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三十三話 魔将は愛を求める


「ポチ!」

「──カゼノヤイバ!」


 分かりやすく仕掛けがされている白煙を、ディーノの指示をうけたポチが風の魔術で散らす。

 相手の視界が晴れ切る前に、ルリは一歩を踏み出すと、細剣を突き出した。急所を狙うようことはさすがにできない。狙うのはかすり傷だった。

 ノアとルリの剣には毒を塗ってあるため、かすり傷でも戦闘不能に追いやることができるのだ。

 ルリは慎重に狙いを定めて、一撃を送ったのだが──しかし、その剣は空を切った。


「あら?」


 いつもに比べて剣が軽く、体感速度がおかしい──とルリは感じた。

 しっくりと腕になじんでいる剣の重さではない。まるで無手であるかのように、剣の重みがしない。

 剣の軌道が予測よりも速すぎたため、一撃が入らなかったのだった。


 加えて、周囲の動きがゆっくりに見えていた。

 常ならば”敵”を相手にする時、その攻撃を見たりはしない。相手が繰り出してくる攻撃の”予測”をして、動いている。相手の視線の先、剣の持ち方などを見て、どこに一撃が来るかを予測しているのだ。

 それなのに。

 今日は動きがスローモーションで見えていた。

 これは良い事ばかりではない。相手が遅すぎてペースが崩されてしまっている。


 ポチを守るように前に出た騎士が、ゆっくりと剣を繰り出してくる。

 いつもならば、ここから剣筋(けんすじ)の読み合いが始まるのだが──


(まるで、弱い者いじめでもしているみたいね。だめだわ。リヴ兄さんじゃないけど、可哀想に思えちゃう)


 騎士の腕が伸びきったのを確認して、細剣の柄で手首を打つ。

 うぐっ、と呻いて騎士が取り落とした剣を、部屋の端まで蹴りだした。


 そのままの姿勢で、後方から二人目が上段から剣を下ろしてくるのを避ける。

 二人目の剣が一人目の鎧に当たって、高い音を響かせる。くるりと身をひるがえしたルリは、一歩相手の懐に入り込んで──柄で顎を突き上げた。

 強烈な一撃をくらった騎士は、倒れそうになるのを踏みとどまろうとしたのだが、数秒後に後方に倒れ込んでいった。そのままピクリとも動かなくなる。


 ルリにとっては数分にも感じられる時間だが、実質五秒にも満たない出来事であった。

 簡単に二人を潰してしまったルリを警戒し、今度は四人が襲いかかる。


 一秒が一分に感じられる。そんな間延びした時間の中で、ルリは軽々と四人を沈めていったのだった。




 ○ ○ ○




「僕のハニーは強いよね」


 ルリが次から次に騎士を戦闘不能に追い込むのを見て、ハーヴィは言った。勿論、魔術を使いながらである。彼が使っているのはミズノムチ。ハーヴィはそれでポチを牽制しながら、ディーノを縛り上げたのだった。


「ええぃ。なにが悲しくてこんな時まで、お前のノロケを聞かんといかんのだ」

「さ、さすが──余裕ッスね……」

「ほらほら。がんばらないと魔力切れちゃうよ」


 ポチの魔力は常人としては多い方だが、魔術師に迫るほどではない。

 ハーヴィはポチに強制的に魔術を使わせる事で、ポチの魔力切れを狙っているのだった。その証拠に、ポチの額に汗が出てきている。

 笑いながらポチを弄るハーヴィは、魔力に十分余裕がある。しかも、魔力強化の補助をうけてもいるのだ。

 さて、彼らはどこまで持つだろうか、とハーヴィは余裕の笑みを浮かべた。


「……?」


 リヴは、好き勝手に振る舞うハーヴィの横に立って、迫りくる何かを感じていた。

 何か──大きなモノ。強いモノが近づいてくる気配がしているのだ。


 そっと魔術の発動準備をする。

 戦場となっている、ディーノの敷地を覆うほど広範囲の防御魔術。

 その魔術を展開してすぐの事。柔らかな光りを纏うその防御結界の外に現れたのは、まだ若い三つ首の魔犬──ケルベロスだった。




 ○ ○ ○




「あなたは、どうしてわたくしを選んでくださらないの?」


 心底不思議だと、エリシスは首を捻っていた。

 なぜ、彼らは自分を選ばないのか。魅了されないのだろうか。

 男ならばエリシスの特殊能力が通じるはずで──彼らの目には、エリシスはもっとも好みの女性の姿で映っているはずなのだ。

 それなのに、なぜ敵対されているのか。エリシスには理解できなかった。


「わたくしは美しいでしょう? 美しいと思って下さるでしょう? それなのに、なぜ、わたくしを選んでくださらないの? わたくしに敵対しようとなさるの?」

「お前の言う”美しさ”とは、所詮見目のことだ。フン──どれほど見目が良くとも、性格の悪さがにじみ出ているようではな」

「わ、わたくしはッ! かつて”地上の華”と謳われたのですわ。才色兼備の美女として皆に崇められたこともございますの。ですから──」


 エリシスがノアに懇願するような目を向ける。蠱惑的で甘く誘うような、相手を引き込むような誘惑に満ちた瞳だった。

 

「わたくしを愛して下さいませ」


 優しく耳をくすぐる響きだった。

 甘く優しく美しく。相手を魅了し、絡め取とうとする華の美しさだった。

 けれど──


「断る」


 ノアはその懇願を一言で捨てた。


「どうしてですの? わたくしは……わたくしは美しいでしょう? これだけは、誰にも否とは言わせませんわ。それなのに、どうして──どうして愛してくださらないのですか? 愛して下さい。わたくしを、愛して下さいませ──」

「”地上の華”……聞いた事があるな。三十年近く前の社交界にいた女性のことだな。ソレがお前か」

「そうですわ。わたくしは”地上の華”。社交界に咲いた華と呼ばれておりましたわ」

「不幸な結婚をしたと聞いている」


 そっとエリシスが瞳を伏せる。長い睫毛からは宝石のように輝く涙が、零れて落ちた。


「貴族の娘ならば理解しているだろうが──結婚とは、愛でするものではない」

「いいえ! 愛が──愛こそが! 結婚は、愛が──愛ゆえに!」

「貴族の結婚とは、一族の繁栄のためにこそ、行うものだ」

「いいえ! いいえ! 愛ですわ。愛するからこそ、だからこそ、結婚とは、愛が──愛して。愛したからこそ、愛ゆえに!」


 狂ったように叫ぶエリシスを、ノアは冷たい目で見た。


「お前が貴族だというのならば、その責務を負っていたというのならば。考えなくてはいけないのは”一族”であり”領地”であるべきだった。その身は領地の民によって養われていることを、自覚するべきだった。食べ物の一つ一つ、着る物の一枚一枚にまで、民の血と汗によって購われていると知るべきだったな。そして、貴族にとっての”愛”とは、無条件で得られるモノではなく、育むものだと知るべきだった」

「いいえ! わたくしは愛を──愛されたいと──愛を──愛して。愛してくださいませ。わたくしを、愛して──愛してくださいませ」


 エリシスは、ただ愛を求めて叫ぶ。


「愚かだな」

「……どうしていけませんの? わたくしは、ただ愛して欲しいだけですのに。愛が欲しいだけですのに」


 花弁の散りゆく薔薇のように、エリシスはうなだれる。

 エリシスはただ涙をこぼしながら、そこに佇んでいた。武器も持たず、ただ身一つで。


「わたくしを殺しますの? 無力なわたくしを……わたくしは、武器など何ももっておりませんのに? わたくしは、ただ愛を求めているだけですのに?」

「無力とは笑わせる──」


 ノアが剣を抜く。

 エリシスの真骨頂は相手を操る事。外見で、会話で、香りで、相手を魅了して手駒にする。

 ならば、さっさと退場してもらおうと、ノアが剣を突き付けて──


アミュレット(こんなもの)があるから……」


 ノアの耳元でエリシスが囁いた。


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