五話 魔術屋と違和感
大通りを往く人々は良いカモである──その発言の通り、メディエは女性にとすれ違う毎にスキルを使用していた。
ギルドに登録をしたのは昨日のこと。本日は、ギルドスタッフお勧めの”魔術屋”に向かっている途中である。
その魔術屋は大通りの中、メディエ達が占拠しているボロ屋敷とギルドの中ほどにあり、繁盛しているという話だった。残念ながら昨日は臨時休業になっており、魔術を購入することはできなかったのだ。
そう、この世界では魔術は購入するものだった。
それなりの資金で、誰でも魔術を使うことができる──それはすなわち、すべて一律の杓子定規な魔術が世界のほとんどを占めているということだった。
そして、それはメディエとセシルが知っている、”魔術”、”魔法”、”スキル”とも異なる系統の新しい”魔術”であった。と、同時にメディエ達が持っている”スキル”はこの世界には存在しないものだった。
つまり、メディエの使用する”スキル”に気がつく者は誰もいない、ということなのだ。
だからこそ、カモだ。とメディエは言い切り、窃盗スキルを使用し続けているのだ。
「ふんふんふ~ん。鹿のフン~」
ひょい、ひょい、ひょい。と迫りくる人の波を小柄な身体で上手に避ける。避けるついでにスキルを使うのはいかがなものかと、セシルは心を痛めている。しかし、いくらセシルが注意しても、メディエの行動をいさめる役には立っていなかった。
「ふん──げふっ」
あまりにも注意力が散漫だったためか、メディエが正面の女性を避けきれずにぶつかってしまった。正面からふんわりとしたスカートにつっこんで、メディエを避けようとした女性の動きとの反動を逃がしきれずに、女性の足元に無様に転がってしまう。
「ふ…………う。う……う…………うぅ、ご、ごめんな、さい」
涙目になりながらぶつかった女性を見上げて、メディエは謝罪する。その視線の先にあったのは、長い漆黒の髪をポニーテールにして黒い小さなネコミミの獣人の女性──落ち着いた濃紺のワンピースを着ている女性だった。
「こら。もう、周りに迷惑ばかりかけて。ツレがすみません」
「あぅ。ごめんなさい」
「わたしは大丈夫。キミは? 怪我はしていないかしら?」
セシルが後ろから声をかけるのに合わせて、立ち上がるともう一度謝罪の言葉を口にする。ついでとばかりにスキルを発動させるのは、もう癖のようなものだった。
「本当に申し訳ありません」
スキルの使用に気がついたのだろう。セシルがメディエの頭を押さえつけて、礼をさせる。その姿に頭を下げられた女性のほうが、困った顔をしていた。
「あらあら、いいのよ、そんな気にしないでちょうだい。けれど、いい事? 今後はちゃんと前を見て歩くのよ。それと、こんな人がたくさんいる中で、走ったりしちゃダメ──約束よ?」
「はぁい!」
「申し訳ありませんでした」
この女性は思ったよりも落ち着いた低い声をしているな、とセシルは手をわきわきさせた友人の頭を抑えたまま──現実逃避をした。こんなに良い返事をしても、どうせすぐに悪癖が出るのだ。
メディエの窃盗──にかぎらず、自分たちが持っている特別なスキルは頭の中で選択した時点で発動する。これら発動条件の無いスキルは、それゆえに他者が発動を止めることができなかった。
「ふふ。それじゃぁね。さようなら」
「さようなら」
「ばいばーい」
どうしてこんなにメディエは元気なのか。躁状態にでもあるのか、と思ったところで──セシルは違和感を覚えた。
メディエは非常に元気がある──高揚しすぎではないかとあきれるほどに。
それならば、なぜ私はそれほど感情が高ぶっていないのか? 今までの鬱々とした生活を思えば、メディエよりも私こそが、開放感に気が大きくなって”危険”を犯すこともありえるのだから。
(なぜ、自分はこんなに落ち着いている? 私は、本当に私なのか?)
ふとした疑問。小さな疑問だったはずのソレは、いつの間にかセシルの根底への問題となって、暗く大きく膨れ上がっていった。
「おーい。おーい。セシルさん。起きてる? 生きてる?」
「! 生きてるッ」
「お、おぉぅ。どうした? なンか地雷踏んだか?」
セシルの目の前で、何も考えていないようなのほほんとした顔が笑っていた。
今のメディエには悩みがあるのだろうか、とセシルは恨めしく思う。昨日の朝、男性の生殖器官に触れないと、泣いて半狂乱になっていたのが嘘のようだった。
「いや、なんでもない。少し考え事をしていただけだ」
「……そっか。じゃぁ、イイや。それより、教えてもらった魔術屋ってアレだろ? さっさと用事すませちゃおーぜ」
底抜けに明るい声に促されて、セシルはとりあえずの疑問を放棄することにした。
魔術屋で店主に詳しい説明を聞いている相棒を見ながら、少し前に感じた違和感は何だったのだろうかとメディエは思案していた。セシルが思っているほどには、メディエは楽観的でも感情的でも、あるいは周りが見えていないわけでもなかった。
それならば、なぜメディエは女性にぶつかってしまったのか?
──それは、メディエが彼女の気配を感じられなかったから。
気配を感じられなかったが為に避けることができず、正面からぶつかってしまったのだ。それに──服にも違和感があった。普通のワンピースは上下がつながっている。否、つながっているからワンピースなのであって、上下が分かれていたらツーピースである。
彼女の服は一見ワンピースのようだったが、服の揺れ方、皺のでき方を思い出すと──あれは間違いなくツーピースだった。それならばなぜ、あれほど完璧にワンピースに見せていたのか?
加えて、袖である。肩から二の腕の要所をキュッと絞り、腕の細さを強調する。それに対比するように肘から下にはたっぷりとした生地でフリルを作る。かわいらしいレースをあしらった袖口は大きく開いており──何でも隠せるようになっていた。
それらを統合させると、気配が薄く暗器を持ち歩く──おそらく彼女は暗殺者。最低でも盗賊だった。
(こんな時に、お役立ちのイイスキルがあった気がするんだけど、なんだったかなぁ?
さすがのメディエでも、ポケットにつっこまれた彼女の下着については後悔せざるをえない。ついつい癖で窃盗してしまったが、自分の下着がないことに気がついたら、彼女は誰を疑うだろうか。
道行く大勢か──不自然に己にぶつかった子供、か。
「しばらくはおとなしくしよう。する、せざるをえない」
「ほほぉ。良ぃ心がけだね。聞いたよ」
聞くものもいない独り言だからと決意を口にしたら、返事が返ってきてメディエはとびあがった。
これは誰もいない部屋で歌いながらお絵かきをしていたら、実は机の影に友人がいた、という心境──というか、そのままである。
「うをぉ。い、い、いたんだぁ?」
「一緒に店に着たんだから、あたりまえだよ……それより、本当に大人しくするんだよね? 絶対だよ」
「は! 誠心誠意努力いたします」
「努力、ねぇ」
「いやいやいやいや。絶対、きっとできるかぎりがんばるから────そのかわりに、他のスキルについて調べよ?」
絶対なのかきっとなのか。きっと、できる限り、かもしれない発言に、メディエは鷹揚に頷いて見せた。
「そうだね。スキルについては確認したおいた方が良いと思うよ──が、とりあえずはコレだね」
言って、セシルは店主の前に並べられた二つの透明な玉を指差した。
「アレが魔術屋の持つ水晶玉なんだって。それぞれ一つずつの魔術が込められていて、アレに触れることで”魔術”を覚えることができるんだって」
「へぇ~。便利なのなぁ」
「選んでもらったのは、”イキモノノカンテイ”と”ムセイブツノカンテイ”。どちらも皆持っている基本のスキルらしいよ」
「どちらも基本中の基本の品ですよォ。最初はァこれらで練習をしてから、もっと実用的な魔術を学んだら良いですゥ」
ふむ、とメディエは相槌を打とうとして──考え直した。
「どうせなら、攻撃魔術が良いなぁ。ばーんで、ガッで、どどーんっていうの」
「……わからないよ」
「あッはっはっはっはっはッ。子供には時々君みたいな子がいるねィ。キラキラでカッコイイのが良いんだよねェ」
「そうそう。バーン! ドーン! って感じの」
「……わからん」
セシルは首をかしげたが、店主は何度も頷いていた。
「男の子だねィ。よし! じゃぁ、これが良いよゥ」
そう言った店主が手にしたのは、一際キラキラと光を反射する──立派(に見える)台座に乗せられた、小さめの水晶玉だった。
「これは?」
「これはァ、”ヒカリノタマ”。キラキラの光の塊が飛んでいく魔術だよゥ。よ~ッく練習しないと的には当たらないから、毎日の練習が大事なんだよォ」
「おおぉぉ。これだよコレ! キラキラでドドンだ」
目を輝かせて、メディエがそれを受け取ろうとして──セシルの顔を伺う。
「ん? どうしたの」
「いや、あの。良いの、か、な~。なんて?」
それは、買い物途中に欲しい物を見つけた時の、機嫌を伺う目だった。
「ああ、良いんじゃないかな。どうせ、いつかは必要になるし。その代わり、というか。両方の魔術は覚えられないから──”イキモノノカンテイ”の方を覚えよう。これがあれば、薬草とか探せるんですよね?」
「おォ。君は賢いねェ。一回しか言ってないのに、よく覚えてるゥ。そう、生物を鑑定したいなら、コレ”イキモノノカンテイ”が一番だよねェ。これも、よく練習しないと失敗することがあるから、ちゃァんと練習するんだよォ」
「はい──これは、練習すると、いろいろ判別できるようになりますか?」
「ん? あァ。いや、無理かなァ。この水晶玉に入っている”イキモノノカンテイ”は最低レベルなんだよォ。もっと詳しく知ろうと思ったら、高レベルの”イキモノノカンテイ”を覚えるしかないかなァ」
「レベルがあるの? ん、じゃぁ、オレの”ヒカリノタマ”も最低レベルなんじゃぁ?」
メディエとセシルが顔を見合わせる。
二人は使えば使うほど魔術レベルが上がり、威力も上がっていくと思っていた──TWAはそういうシステムだったのだ。
「そうだなァ。簡単に言うとォ、い~ッぱい練習すれば、失敗しなくなるねェ。ただし、出来ることは変わらない、ということォ」
「弱い”ヒカリノタマ”は、どんなにがんばっても弱いまま、ってこと?」
メディエが頬を膨らませて抗議する。
「まァ、そういえるかなァ。でないと、魔術屋がやっていけなくなっちゃうからねェ?」
「確かにそうですね」
「えー。じゃぁさぁ、強い”ヒカリノタマ”ちょうだいよ~」
「弱い”ヒカリノタマ”で練習しないと、”ヒカリノタマ”をコントロールできないよゥ。それに、弱い魔術をいっぱい使って魔力を増やしていかないと、強い”ヒカリノタマ”を買っても使えない事になっちゃうよゥ。そういうのを”宝の持ち腐れ”って言うんだよォ」
メディエとセシルはもう一度、顔を見合わせた。今度は仕方ないな、という顔だ。
「う~。そういう事なら、しょーがない。今は弱い”ヒカリノタマ”だけど、ババーンとすぐに強い”ヒカリノタマ”を使えるようになってやるんだぞ!」
「こちらは、さっき言ったように”イキモノノカンテイ”が良いです」
「うしうし、”ヒカリノタマ”と”イキモノノカンテイ”ねェ。──二人とも手をだしてェ。そう、水晶玉をしっかり握って────”マジュツノケイショウ”」
店主の魔術と共に、水晶玉が輝く。強い光は一瞬で消え、後には何も残らなかった。
「これで、良いんですか?」
「おけおけェ。試しにこっちに”イキモノノカンテイ”使ってみなよゥ」
店主の了解を得て、魔術を使う。
体の中から”何か”が抜けていく感じと共に、頭の中に流れ込んできた情報がある。
「グレイ、さん?」
「そそそ、こっちの名前だねェ。魔力が抜けていく感じがわかったかィ? そうやって自分の魔力を鍛えていくんだよォ」
セシルが瞬きを繰り返す。魔力というのは、先ほどの体の中から抜けて行った”何か”なのだろう。けれど、抜けて行ったとともに、すぐに補充された感じもある。低レベル、ということは消費も少なく、回復も早いということなのだろう。
早速魔術を使ったセシルに、メディエが口をとがらせた。
「えー、いいなぁ。いいなぁ。オレも魔術使ってみたい!」
「攻撃魔術は街の中じゃァ使用禁止だよォ。使うなら、城壁の外にいくんだねェ」
「ぶ────はぁい」
攻撃魔法は外で。言われてみれば当然のことである。
「ありがとうございます。え、っと。お代を──予定してた”ムセイブツノカンテイ”じゃなくなったから、いくらになりますか?」
「初期魔術は、一律銅貨一枚サ。どんどん魔術を使ってェ、どんどん上達してェ、また買いに来てねェ」
「えーっと、グレイフさん。ありがとな」
「ありがとうございます。ぜひ、また」
「またおいでェ」
おじゃましました、と上手に声を合わせて、セシルとメディエは魔術屋を後にしたのだった。
魔術紹介
イキモノノカンテイ:生物を鑑定・分析する
ムセイブツノカンテイ:無生物を鑑定・分析する
ヒカリノタマ:光攻撃魔法