二十八話 聖者への恐怖と聖女の勇気
セシルとメディエはかちかちに体を強張らせて、差し出されたカップを睨んでいた。
ハーヴィの爆弾発言のショックから立ち直れていないうちに、二人は館内に案内され、椅子に座り、お茶を出されているのだ。
けれど、そのお茶は穏便なものではなかった。解析をかけた二人の目には、"微毒" という文字が見えているのだ。
ここで殺されるのだろうか、と二人は怯えていた。
「警戒しているの?とって食べたりはしないよ」
「あッ!」
ハーヴィがお茶に手を伸ばしたのを見て、メディエがとっさに声を上げた。
ハーヴィはその声に動きを止め、子供達とカップを見比べて、魔術を使った。
「ムセイブツノカンテイ」
魔術の結果を見て、ハーヴィが眉を寄せる。おそらく、セシル達と同じものが見えているのだろう。
「……これは、困ったね。すでに入り込まれているってことか」
「”イキモノノカンテイ”で、見分けられないんですか?」
見たいのは”状態”の項目だった。残念ながら、セシルとメディエの”カンテイ”はレベルが低すぎて、異常状態まで見る事はできないのだ。
「うーん。どうだろう。──君達はわかるんだね?」
「う、うん。この世界とは違うスキルがあるから……」
縮こまったままのメディエが言う。
じろじろと頭の中まで探られそうな視線にさらされていては、リラックスなど無理な話だった。
「あの……どうして分かったのか、教えてくれますか?」
「僕には特別なスキルがあってね。なんだと思う? ──神託。神の声が聞こえるんだよ」
「はぁ、えっと、それが?」
「神様って?」
オラクルと聞くと、セシルは思い出したくもない出来事を思い出してしまう。
それは、一人の少年──ヒイロを勇者にしてしまったことだった。
あれは神の意志と言う事になっているのだが、本当にそれで良いのだろうか。いや、良くなくても、彼は勇者として認められ、王都を出発してしまっていた。
「創造神オラファーブを初めとした、多くの神々のこと。一部の神様は、君たちのことを娯楽として楽しんでいるんだよ。雑談もしているし、賭けもしているみたいだね」
「か、賭け?」
「そう。君達が魔王に手を出すか否か──そして、世界を滅ぼすか、否か」
世界を滅ぼす、などという物騒な言葉に、子供達は飛びあがった。
そんなつもりは欠片もない。召喚してくれたことを感謝しているのだ。そんな、恩のある世界を滅ぼすなど、とんでもない話である。
「世界を滅ぼすとか、そんな事考えていません!」
「ない、ない、ぜーったいに、そんな事しないよ!」
「だといいけどね」
ハーヴィは首を振った。目の前の異世界人には、それだけの力があるのだと、神々は話していた。
嫌な事があったからと、世界を滅ぼされるのではないかと、心配している神もいたのだ。
「ぶぅ~。しないって言ってるのにぃ」
「……そういえば、その。私達のことを、誰かに話しましたか?」
「誰にも話していないよ。勇者と呼べる人は、もういるわけだし。
ねぇ、勇者ってなんだと思う? 人より優れている人? 強い人?
僕はね、他人に勇気を与えてくれる人だと思うんだ。なら、逃げた君達は勇者にはなり得ない。君たちの気まぐれで勇者にされたヒイロ君のほうが、よっぽど勇者の素質があると思っているよ」
「い、言い訳もありません」
「オレが勇者とか、ないなーい」
勇者業をヒイロに押し付けた事までばれているとは──セシルは真面目に謝り、メディエは軽く否定した。
と、同時に扉がノックされる。
「まったく──」
「お話中、失礼いたします──」
入ってきたのは、初老の執事と当主であるピアニー伯爵だった。彼らは、ハーヴィ達が盛り上がっているのを、驚きの目で見た。
「おや。お義父さん。どうかしましたか?」
ヘーヴィの目の前で、子供達が伯爵達を指差す。鼻を抓んで首を振るのを、怪訝な様子で見て、ハーヴィは魔術を使用してみた。
先ほども子供達と話をしていた”イキモノノカンテイ”である。それによると、伯爵と執事は”魅了中”ということだった。
「まったく、面倒な……」
ハーヴィは深く溜息をついた。
伯爵と執事をどうしようかと考えている間に、二人の体に縄がかかった。そのまま、二人は床に引き倒され、縛りあげられていた。良く見ると、草で結われた縄を持っているのは子供達だった。
伯爵達が、縛られた体を芋虫のようにくねらせている。うねうねと暴れる横には子供たちが立っていて、一仕事終えたように満足気な顔をしていた。
「これは、君達が?」
「ですです」
「そうですが。え、ダメでしたか?」
いくら非戦闘員とはいえ、恰幅の良い男二人を、あっという間に無力化する手際の良さに、ハーヴィは呆れるばかりだった。
しかも子供達は、縛り上げた男から、凶器を取りあげていた。ぽんぽんと、子供達がナイフを服の中から引っ張り出している。結果、どれだけ隠し持っていたのかと、呆れるほどのナイフが床に並べられた。
「ガチだな」
「うん。本気でハーヴィさんが怖かったんだね」
そのナイフの山を見て、伯爵を見て、ハーヴィを見て。子供達はそう結論付けたのだった。
○ ○ ○
聖女は一人、窓から月を見上げていた。
聖女の世界は狭い。時々顔を見せる神官と、部屋の下を通る度に話しかけてくる勇者だけが、聖女の話し相手だった。
この旅の中で、新しく話し相手になった勇者の存在は、聖女の慰めになっていた。神官達は、何かあると勇者を悪く言うけれども、それほど悪い人ではないようだと聖女は感じていた。
しかし、今朝に聞いた勇者の故郷の話を思い出すと、聖女の心は痛んだ。
聖女には、家族の記憶がないのだ。
もちろん、故郷という存在も彼女は知らない。
故郷や家族のことを覚える前、物心つかないうちに、聖女は神殿に引き取られていたのだから。
家族とはどのような存在なのだろう、と聖女は想像した。
優しい母親と、頼りになる父親。
良いことをしたら褒め、悪いことをしたら叱る人──
聖女の周りには、そんな人は少なかった。
聖女が至高の存在であること、神々の意志の具現者であることから、聖女に厳しいことを言う人は少なかったのだ。
聖女の言葉は神の言葉。
聖女の意志は神の意志。
それが神殿の意向であり、そのように教育されているのだ。
けれど、聖女がまだ幼い頃──おそらく神殿に来てすぐの頃は、違っていたと、聖女は記憶している。あの頃は、まだ先代の聖女が生きていて、次代の聖女といえども普通の神官と同じような務めをこなしていたのだった。
また、当時の大神官も厳しい人だった。
礼儀作法に煩く、遊ぶ時間を削ってでも勉強をしろと言っていた。聖女の魔力が心もとないと知ると、聖女をその地位から引き下ろそうとまでしていたのだった。
彼は、常に唇を歪ませて不機嫌だった。神に愛されている聖女を目の敵にしていた人だったと、聖女は記憶していた。
二人の事を思い出すと、同時に末期の姿までが思い起こされた。
先代の聖女は──誰よりも神に仕えるべき聖女なのに──子供を産むと、そのまま息を引き取った。神に背を向けてまで産んだ赤子だったが、彼女が腕に抱くことはなかったという。
そして、大神官の最後は……
背筋に冷たいものが走って、聖女はかぶりを振った。大神官の事を考えようとすると、いつも腹のなかに苦いものが溢れて、思考が止まってしまうのだった。
この時もそうだった。
流れた思考をごまかすように、聖女は月明かりに照らされた町を見て──宿の入り口をうかがっている影があることに気がついた。
「あら?」
じっと目を凝らしてみると、どうやらその影は少女のようだった。スカートをはいた小柄な影が、キョロキョロと周囲を伺って──宿から出てきた少年に飛び付いた。
少年は覚束ない様子で、よろよろと歩いている。その少年をじっと見て──
「あら。ゆ、勇者様?」
聖女は驚きの声を上げた。
勇者の様子は尋常ではない。意識があるのかも定かではなく、ただフラフラと少女にされるがままになっている。
「た、大変ですわ。誰か!」
しかし、聖女の声に答える者はいなかった。
神官達は皆、出払っているのだ。同じ宿にいるはずの騎士達も、どこに誰がいるのか分からないため、声をかける事も出来ない。
「どうしましょう、どうすれば……」
聖女が悩んでいる間にも、勇者と少女は月影も射さない暗い道へと向かっていた。
ぎゅっと、聖女はスカートを握り締めた。
どうすればいいのか、このまま見ていて良いのだろうか──悩んだのは、少しの間だった。
「わたくしが、いかなくては。これも神の思し召し……神が、わたくしに勇者様を助けろとおっしゃるのならば」
誰も伴わずに外に出るのは、聖女にとって初めての事だった。
ドキドキと心臓が、早鐘のように打っていた。まだ迷いはある。自分が追いかけても仕方がないのではと言う思いと、たった一人で後を追う不安。
けれど、それらを振り切って、聖女は部屋の扉を開けた。転がるように廊下に出ると、ロングスカートを一纏めにして階段を駆け下りる。
勢いのままに宿から飛び出そうとして──
「あれ、聖女様? こんな夜中に何やってンですか?」
酒瓶をかかえた黒豹人に、声をかけられたのだった。




