二十四話 黒司祭と骨と回復魔法の攻撃性
「コレはなんとしたことだ」
報告を聞いて、男は驚愕の声をあげた。彼こそは、魔王の側近──この闇神殿に君臨する黒司祭だった。
闇神殿とは、魔王が封じられ眠り続けているその場所の事だ。
この神殿の周囲には、瘴気が目に見えて湧きあがり、精神を狂わせる邪気にあふれている。この地を踏んだのが耐性のない者ならば、一瞬で狂い死ぬだろう。
それほどに穢れた神殿だった。
黒司祭一人だけが、長く闇神殿に存在することを許されていた。短時間であるならば、魔人や幻獣が闇神殿に入る事も可能であるため、今のように話を交わす事もある。
しかし、それとは比べ物にならないほどの長い時間を、彼はこの神殿にたった一人で存在し続けているのだ。
全ては魔王の為に。
闇司祭が驚きの声を上げたのは、幻獣の報告が信じられなかったためだった。
それほどまでに、カラドリウスの言葉は驚くものであった。
なんと、人の国の王都に送っていた闇騎士の死霊団が全滅したというのだ。信じられない事だ。
あれは闇騎士が二十年かけて集めた兵隊だったのだ。その一団がたったの数日──いや、交戦してからは数分で壊滅したという。
誰がこれを信じられるだろうか。これを伝えたのが、嘘をつけない幻獣でなければ、一笑に付して終わらせていただろう。
だが──首をかしげて、伺うように声をあげるカラドリウスに、黒司祭は声をかけた。
「常識はずれな存在がいるものだな。すまないが、しばらくこの者達を監視してもらえるだろうか」
『任せるが良い。良い報告ができることを祈っておるぞ』
頼りにされたのがよほど嬉しいのか、カラドリウスは大きく胸を膨らませた。
ぶわっと羽毛が舞い落ちるのを、黒司祭は風の魔術で払う。
『蟲惑は上手く王都を飲み込んでいるようだ。だが、あいかわらず白翁の行方がわかっておらん。アイツはどこへ行った?』
「さて──アレの行動は予測できんよ」
黒騎士と蟲惑、白翁は黒司祭と同じ魔人だった。もちろん、すべて偽名である。
生まれた時の名など、今の自分には必要ないと、生まれ変わった時に新しく付けた呼び名だった。
同じ魔人といえども、在り方が違えば望みも異なる。変わり者として有名な魔術師であった白翁は、魔人になっても変わらず曲者であった。
今はどこで何をしているのか。
そもそも人の形で在り続けているのか──黒司祭は考えるのをやめた。
『フム。魔王様の様子はいかがか』
「かわりなく眠っておいでだ。"生贄の羊"もいる──まだまだ現状を維持するおつもりだろう」
『それは重畳なるや』
満足そうに鳥が喉を振るわせる。グルッポゥと間抜けな声をあげて、カラドリウスは翼を広げた。
『"生贄の羊"──の、我が同胞も元気にしておるぞ。カラウスなる個体が申しておったわ。フン、同胞の弟が口うるさくてかなわんらしい』
「……そうか」
微かに黒司祭の表情が動く。もう何か月も動いていない口元が、いかにも不格好な笑みを浮かべた。
『では、監視に行ってくるとしよう。魔王様の子細は任せたぞ』
「あぁ」
身体のほとんどを占める翼を広げて、カラドリウスは飛び立つ。この闇神殿に長く居るのは、いくら幻獣であっても狂気と隣り合わせ。いつ気が触れるかわかったものではない。
優雅に宙を舞うカラドリウスが北の空に消えるのを見送って、黒司祭は己だけが在り続ける闇の中に消えていった。
○ ○ ○
「これは、トルク殿」
「うん──なんだ、アレフか。どうした、こんなところで」
「こんなところ、ですか」
アレフは苦笑した。アレフがトルクを見つけたのはセクドの町の中である。
トルクは「こんなところ」というが、町中を歩くくらいは普通であろうと思うのだが──
「近頃は騎士の鍛練にも参加していないそうではないか。いったい、どこで何をしているのやら」
なるほど、今の時間──昼過ぎというのは、普通ならば身体を動かしている時間だった。それを言われると、アレフには弱い。
だが、今日は外に出る理由があったのだ。
「外周を見回っておりました。いやはや、あれだけ退治しているというのに、魔獣はいくらでも湧いてきますな」
そう、ここ最近は毎日、訓練の一貫として、騎士達と勇者は町の外へと魔獣退治に出ているのだ。
それなのに、毎日毎日、魔獣は現れ続けている。全く減った様子はなく、いいかげん嫌になるというものだった。
「ほう──その言葉が本当なら、感心なことだが……」
トルクはアレフの、返り血で赤く染まった鎧を見た。鎧の端々にまで血がこびりついている。その赤色はまだ乾ききっておらず、ぬっぺりとした色を保っている。
あまりにも汚れてしまった鎧を隠すためだろうか、真紅のマントが右肩にかけられ、身体の半分を覆い隠していた。
「なるほどの──嘘ではないか」
「そう言われるトルク殿はどちらへ? この先は外門にしかありませんが」
「いや、な──また白骨が見つかったと聞いてな。こうも続くとなると──気にせざるをえまい」
トルクの口調には苦い物が混ざっていた。
「なんと──また、ですか?」
昨日に続いて今日も──と、アレフは複雑な顔をしてみせた。
正直”骨”と聞いて思い出すのは、森の中で目撃したという”死霊の大群”である。アレフ自身は見ていないのだが、白骨が斥候として町に出現している可能性はないだろうか。
そして、その考えはトルクも同じようだった。
「ウム──まさしくその通りだ。ワシも同じことを考えていた。あの大群はどこに行ってしまったのかとな。
既に森の中に居ない事は報告を受けている。かといって、町を警戒しながら、草原まで足を伸ばすには戦力不足──せめて、王都からの応援があれば別じゃがな。
今は、騎士に持たせた手紙の返事を待つしかあるまい」
あれほどの大群の死霊を相手にする事は、トルクでも二の足を踏む。それほどに敵の数は多く、有効な魔術も限られていた。
単純な物理攻撃──つまり、斬った突いたは効き目が弱く、砕くくらいしか有効打はない。
魔術であればまだ相手にしやすいのだが、魔力は無尽蔵ではない。かならず底がある。
「ええい。このさい”ラストエリクサー”でも良いから、魔力回復薬を集めねば。レナードに一筆書いて──」
ぶつぶつと、トルクが考え事を始める。
返事がないのを承知の上で、別れの挨拶と一礼をして、アレフはその場を立ち去った。
「シッ。まだだ──もう少し、大人しくしていろ」
アレフの肩にかけられていたマントが左右に揺れる。アレフの右腕の中で意識を取り戻した毛皮が、不機嫌そうに唸り声を上げたのだ。
「もう少し──もう少しだ」
アレフはマントの上から、あやすように小さな魔犬を撫でた。
○ ○ ○
「で、どうする?」
魔力も回復し、ゆっくり休憩もとったセシルがメディエに訊ねた。
「どうするとは?」
「こういう”襲撃イベント”というのは、複数の場所で同時に起こっているのがセオリーのはず。ならば、西南北の各門で同じことが起こっているんじゃないだろうか?」
「バイオハザードか……」
うーん、とメディエはこの後の予定を考えた。
今日は暇なので、遠出でもしてみようと話していたのだが──人の命には代えられないだろう。
「そうだなぁ。助けられるなら、助けにいこうか。っていっても、どこに向かう?」
「南」
即座にセシルは言い切った。
「どして?」
「あそこには、確か避難民がいたはずだから。違ったか?」
「イヤ──あぁ、そういえばそんな話あったなぁ」
周囲の町からの避難民が、南門近くにテントを張っているはずだった。
「それに、魔獣の死体置き場もあったし。厄ネタは早めに潰しておいたほうが良いだろう」
「あったなぁ、死体置き場とこ──ンじゃぁ、南門に向かいますか!」
二人は姿を見られないように、そっと木々に身を潜めた。
周りに人影はない。だが、念のためという事である。石橋は叩いて渡れ──先人は良い言葉を残している。
「隠遁」
だめ押しのように魔法で身を隠せば、誰も二人を見つけることは出来なかった。
そして、森のなかを警戒しつつ南門に移動していった二人は、道の途中で同じように潜む敵の集団を発見したのだった。
「いたぞ」
「うわぁ。マジで?」
まさしく、ホラーゲームに出てくるアンノウンである。だが、 ゲームの敵キャラならば、これほどしっかりと集団行動をとるだろうか。ゾンビの知能について考えたくなるくらい、彼らの行動は不自然であった。
「待ち伏せとは、えげつないよなぁ」
「……さっきのに比べて賢いな。誰かが操ってたりするかもしれない」
「ウン。あるね」
こういうシチュエーションでは、裏で死体を操るボスが居るのが典型である。二人はそっと周囲を探って──特に強い個体は混ざっていないと安心した。
音もなくセシルが前に出る。そのまま、魔法でさっさと決着を付けようとするのを見て、メディエが止める。
「ちぃーっとまった。相手がアンデットってんなら、やってみたいことがあるんだけど」
「?」
今にもフレアを放とうとしていたセシルが、訝しげにメディエを見る。
「試して見たくねぇ? ──回復魔法でアンデットはダメージをくらうのか」
おぉ、とセシルは頷いた。
「回復魔法でダメージを負ったり、蘇生魔法で一撃死だったりするんだな。おもしろそうじゃないか」
「でしょでしょ──どうせ、範囲攻撃魔法で一発なのはわかりきってるし。何事も挑戦だぜ」
くくくくく、と二人は顔を見合わせて笑った。
そして──
「快癒」
「蘇生」
結果、アンデットは回復魔法でダメージを負う事が分かったのだった。
二人はその場にいた死体の全てを、回復魔法で処理──安らかな眠りに突き落としたのだった。




