十八話 薬師と伯爵家の朝ごはん
「あ、あの。すみません。あのう……」
不安そうな声で話しかけられて、薬師は立ち止まった。周りを見ても誰もいないということは、おそらく自分に話しかけたのだろうと推測する。
仕事柄、突然話しかけられるのは慣れているので、何時ものように愛想良く振り返った。
「はい。どうかしましたか?」
「あの、あの。……昨日、その」
ただ、いつもと違うのは、話しかけてきたのが同じ薬師らしいということだった。
濃い色のワンピースに真っ白なエプロンをつけ、ポケットの多いバックを下げている。何本もの薬草が入ったバックは重く、薬師達の悩みの種となっているのだ。
しかし、その人物のことを見たことはなく、流れの薬師だろうかと当たりをつけた。
「何か探し物? この町の薬草売りなら、ヤソ爺の……みせ……」
何故か息苦しくなって、薬師は言葉を途切れさせた。喉をぐっと閉めつけられるような、感覚が襲う。吸い込んだ息は肺まで届かず、ただ口を開けては閉めて──助けを求める声も、掠れて意味のある言葉にはならなかった。
ひゅ、ひゅ、と細い管を空気が通る音だけが薬師の喉から洩れる。喉を、胸を襲う違和感に、抵抗しようと喉に絡みつく何かを探す。
けれど、そこには何もなかった。
薬師の足から力が抜ける。がっくりと膝をついた彼女は、その衝撃でバックの中の瓶が激しい音を立てたのを聞いた。
薬──慌ててバックを開けようとして、すでに体が思うように動かなくなっていることに気がつく。手が震えてバックを開けることができず、目は霞んで上手くものを見ることができていなかった。力の入らない足は体を支えることができず、その場に倒れ伏してしまう。
目の前が白に塗りつぶされ、なにも見えない。何も聞こえない。
「……やっぱり、あたしには血は無理かなぁ」
その様子をじっと見ていた少女はつぶやいた。
彼女の手には一本の薬瓶が握られている。彼女はそこから風を使って、薬師を昏倒させたのだった。
意識のない薬師に近づいて、彼女のバックに手をかけると、中から数本の瓶を取り出して、自分の物にしまいこむ。
代わりに、一本の注射器を取り出す。その中には茶色の液体が一杯に詰められていた。少し考えて、薬師のスカートをめくると、坐薬をいれる要領で注射器の中身を押し入れた。
「針の跡があったらばれちゃいますからね。ちょっと不便かな」
そっと下着とスカートを元のように戻して、少女が薬師の様子を伺う。
彼女は、小刻みに痙攣を繰り返した後、動かなくなった。
「効果はてきめん」
少女は満足そうに笑う。
「あたしの勇者様に手を出すからですよ。今後は無いようにしてくださいね」
○ ○ ○
「他には? 何か、何でもいい、気になったことがあれば教えて欲しい」
セシルとメディエは顔を見合わせた。
先日顔を合わせたノア達とは、一度別れていた。セシル達はタマゴを依頼主に届けたのち、ギルドに報告にいかなくてはいけなかったからだ。
簡単に王都の状況と対処法──カゼノヤイバで新鮮な空気を得る方法を伝えて、ノア達とは別れた。用事があればギルドを通じて──と伝えていたところ、その翌日にはピアニー伯爵家に呼び出されたのだった。
以前食べたグラノーラを出され、セシルたちは喜んでそれに飛びついた。二人が食べ終わって一息ついたのを見て、ノアが口を開く。
「昨日、王都に魔獣がいるって話をしてくれたよね。でも、見当たらなくて。いなくなったのなら良いんだけど」
「あなた達は、以前の──ほら、仔犬の魔獣のことを分かっていたでしょう?
あの時もっと真面目に対処していたら、犠牲者もでなかったはずですもの──今回のこともね。あなた達の言うことが正しいと仮定して動いてみようということにしたのよ」
「う…」
確かに、数日前からメディエの罠にかかる魔犬も少なくなっていた。
「と、言われても困ります。どうして犬たちがいなくなったのか、よく分かりませんし」
「あぁ、犬のことじゃなく、他のことでも何でも良いんだ」
他のことでも──何かネタはあっただろうか、と二人が記憶を探る。
それに思い至ったのは、セシルが先だった。
「あの、本当に何でもいいんですか?」
「ああ、何でも」
本当に何でもいいのかと念を押して、セシルが口を開いた。
「ちょっと前の事なんですけど。魔術屋のところで、女の人に会ったんです」
「え、それ話すの? 気のせいじゃん」
セシルの話に思い至ったメディエが止めようとする。本当に何でもない話なのだ。
「気にしないで。何でもない話でも良いのよ」
「えっと、ですね。その女の人の顔が、わたしとメディエで違ったんです」
セシルの言葉に、ルリが不思議そうな声をあげる。
「どういうことかしら? 顔が違う?」
「そうです。つまり、私が見た顔と、メディエが見た顔が違ったんです」
「あのね、ボクは、ボクのおかーさんだと思ったの。でも、セシルはセシルのおかーさんだったと言うの」
勿論母親だというのは嘘だ。けれど、子供の言う事としてはこれくらいだろうと、話し合ってのことだった。
二人が見たのは、かつての自分たちの顔だったのだ。
それが判明した時、二人は非常に気まずい思いをした。
『あれは、私の顔だった』とセシルが言うのに、『え、いやいや。オレの顔だったぜ』とメディエが返す。二人揃ってイヤイヤと繰り返した結果、考えないようにしよう、と落ち着いたのだった。
それを、わざわざ言うとは──
「ええ。わたしとメディエの母は全く違う顔です。それなのに、二人ともが自分の母親だと思った。おかしいでしょう?」
「それ、魔術屋と言っていたよね。彼は何と言っていたのかな?」
「びっじーん。チョー天使様、だって言ってたよ」
「女神様だと絶賛してましたね」
「美人、ねぇ──」
よく分からないなと、ハーヴィが言う。しかも、魔術屋と会っていたというのなら、女性に問題があるならば彼が気がつくだろうとも思うのだ。
「まぁ、変だなと思ったので」
「だから、気のせいだってば~」
何でも言いって言いましたよね、とセシルがルリの顔を伺う。
「幻惑の可能性もある。ハーヴィ、そのような魔術はあるだろうか」
「そうですね。なくはないですが──ちょっと、思いつきませんね。見るもの全てに幻をかけるというのは、効率が悪いんです。何らかのスキルという可能性の方がありますね」
「そうだな。では、女性の話はこれまでとしよう」
「他には何かある?」
「……う~ん。思いつかないかなぁ」
「いうことは言っちゃった気がします。もう思いつかないですね」
そうか、とノアはハーヴィとルリ、リヴの顔を見る。皆が首を振るのを確認した。
「話を聞かせてくれて感謝する。何かあれば、ギルドか伯爵家通じて教えてくれ」
「ありがとうね」
「どういたしまして」
「こちらこそ、朝ごはんをごちそうさまでした」
二人はごちそうさまでした、と手を合わせた。




