九話 乙女と男の苦悩と魔術師の決意
ミーナは一人、王都とセクドの町をつなぐ街道を急いでいた。すでに何度も往復した道である。慣れた道を、ユニコーンに掛けられた手綱をしっかりと握りしめ、バランスをとっていた。
ユニコーンは馬に似た幻獣である。
馬と異なるのは、額から突き出た一本の純白の角と、針金のように長く細い足であった。ユニコーンはその細い足をばねのように使い、なみの獣ではない速さで大地を駆けるのだ。
ちなみにユニコーンに似た幻獣にバイコーンというのが存在する。これは二本の漆黒の角を生やしたユニコーンのことだった。バイコーンは乗り手として男を好み、大地を力強く駆け巡る。その為、騎士のパートナーとなることが多かった。
ユニコーンが好むのは若い女性の乗り手である。彼女達を乗せて軽やかに走る姿は、多くの絵画に描かれ、芸術として受け入れられていた。
しかし今、ミーナが走るのは芸術のためではない。彼女は伝令であった。
セクドの町と王都を往復して書簡を回す。
日頃思うままに駆けることのできないユニコーンは楽しそうだが、ミーナは気落ちしていた。それでもユニコーンの背にあり続けられるのは、彼女が身体能力の発達した獣人であるからだった。
そもそも、全力で駆けるユニコーンに乗り続けることなど、人族ではできない芸当である。ただの人が乗れば百メートルも行かないうちに落馬してしまうだろう。それほどにユニコーンの背でバランスをとるのは難しい。恐ろしいほどの速さで後方へと流れてゆく景色を確認しながら、ミーナは風のようにユニコーンを走らせ続けた。
ふとユニコーンから気遣うような意識が向けられることに、ミーナは気がついた。
彼女の望むままに駆けながらも、塞ぎ込んでいる相棒を気遣っているのだった。
やさしい相棒に返事を返すように、首筋から肩を撫で付けると、動く筋肉の力強さと跳ね返る弾力を十分に味わう。
けれどミーナの心を占めて放さないのは、相棒ではなく、使者の仕事でもなく、ただ勇者のことだけだった。
ミーナは何度も何度も、勇者に話しかけようと挑戦しているのだった。けれど、なぜか必ずといっていいほどに邪魔が入ってしまうのだ。
先ほど町を出るときもそうだった。
少しできた自由時間で勇者と話をしたいと願っていたミーナは、騎士達に呼び止められて薬の話をすることになってしまった。なんとか騎士達との話を終えた時には、勇者は仲間達と腕を組んで笑っていた。
勇者の後ろから豹の獣人が圧し掛かっているのを、周りの騎士達が囃し立てている。がっしりと捕まれた勇者が、体をひねって豹人を振りほどこうとしているのに、豹人はびくともしない。結局そのまま押しつぶされてしまった。地に伏せる勇者に騎士が手を伸ばして立ち上がらせると、今度は前から勇者に抱きついていた。
勇者は楽しそうだった。
抱きつかれても、押しつぶされても、嫌な顔一つしていない。
周りに囃し立てられても、笑われても、まじめな顔をして相手をしている。
少しでも勇者が嫌な顔をしていたら、話しかけるのに。
勇者が楽しそうにしているのを見ていると、疎外感を感じてしまうのだった。
少しでも勇者と話をしてみたい。
ミーナという存在を知ってもらいたい。
そして、笑いかけて欲しい。
それなのに──
少しでも勇者の近くにいたいから、伝令に立候補したのだった。
それなのに──
ほんの少しも話ができない。
勇者の周りにはいつも沢山の人がいて、勇者は彼らと笑い会っている。
どうして、自分ではないのか。
どうして──
ミーナの思考の変化を感じて、ユニコーンがスピードを落とす。今のミーナのように、意識を他へやったまま乗り続けられるほど、ユニコーンは甘くはない。
意識が逸れている証拠に、ミーナはスピードが落ちたことになど少しも気がついてはいなかった。
ユニコーンは相棒の変化に困惑して、それでもミーナを乗せたまま王都への道を駆けるのだった。
○ ○ ○
どうして──と、それを見た騎士達は困惑していた。
先の英雄であるエクス達は皆の憧れであった。
騎士の中の騎士、強者の中の強者。
エクス達は王都を襲った魔族を退け、国を、世界を救った英雄なのだ。
それが、なぜかアレフと同行している。
アレフと──。あの、運が良いだけで英雄に選ばれたハリボテを、まるで仲間であるかのように親しく接しているのだ。
「な……んで、アレフと?」
「隊長──エクス様……」
騎士達は目を見開き、エクスの一挙一動を食い入るように見つめている。その前で、エクスはアレフを見て──笑みを浮かべたのだった。その笑みはエクスが仲間内でしか見せないものだった。相手の行動に満足を得たときの、褒めるときの笑み。
いったいどれだけの騎士達がその笑みを向けられることを願い、その為に骨を折ってきただろうか。
それを。それを、何もしていないアレフは得ているのだ。
困惑は衝撃をへて憤怒へと変わる。
それは、自分達を省みないエクスと、選ばれたアレフへの怒りだった。
いっそのことアレフを──と思いかけたところで、自分達を見る目に気がついた。
それは、今の今まで指導していた少年の、何も知らない純朴な視線だった。
「…………アレフは、英雄だ。貴族の英雄サマだ、な」
震える声で、一人が口にした。
勇者──世界を救う希望の前で、どろどろとした大人の感情を、嫉みと怨恨を見せるわけには行かないと、必死のプライドが働いた結果だった。
「英雄サマだ。あぁ──そうだな」
「俺達とは違う」
「あぁ。違う、な」
「俺達は俺達にできることをやる。それだけだ──」
「おい、ヒイロ! この空気どうにかしろよ」
エクスとアレフの登場で一気に重たくなった空気を前に、ナルがヒイロをせっついた。
「どうにか……って、どうしたらいいんですか?」
「うっ。そ、そうだな──英雄様に話しかけてみるとか?」
「アレフさんですか。……この空気の中で?」
ヒイロ達の周りの騎士は皆、ぎらぎらとした目でアレフを追っていた。まるで睨みつけるかのような──否、睨みつけているのだ。
その中で、アレフを呼べというのか、とヒイロが聞く。
「無理、だな。うん無理」
「うん。ごめんなさい」
そこには、和やかに護身術を教えてくれていた、人好きのする騎士達の姿はなかった。豪快に笑っていた口はかみ締められ、優しく見守ってくれていた瞳は怒りをたたえてアレフを凝視している。
まるで人が違ってしまったかのような騎士達に、ヒイロとナルは肩をおとした。
「だめだなぁ、コリャ。──騎士達みな、隊長のこと尊敬してたんだなぁ」
「尊敬してたら、アレフさんを嫌いになるの?」
良く分からない、とヒイロが首をかしげる。
「アイツラは、アレフが楽をして英雄になったと思ってる。──ンで、英雄になったから、隊長に受け入れられたと思ってンだろうさ。
楽をして隊長に受け入れられたと思ってるから、アレフが気に食わないんだろうよ」
「でも……アレフさんも楽をしたわけじゃ……」
「そうだな。でも、それは見ている人には判断ができない事だ。
お前にできることと、オレにできることは違う。お前が精一杯やったことは、オレが片手間でできることかもしれない。さっきの護身術のようにな。
その場合、他の人が見たらどう思うだろう。お前が手抜きしているように見えるかもしれないし、オレが超人に見えるかもしれない。
なぁ、ヒイロ。忘れるな。
お前はお前で、お前ができることしかできねぇし、お前にしかできない事がある。
オレ達が生きていることには意味があるんだ。
だから自分にしかできないことをしっかり行う事が大切なんだよ。
それは、他人には理解できないことかもしれない。なんだそんなこと、と言われてしまうような些細なことかもしれない。
それでも、ソイツにしかできないことがきっとあるんだ。
いや。お前は分かりやすいよな。勇者、だもんなぁ。
でも勇者じゃないオレ達にも、生きる意味はちゃんとある。それが何かはまだわかんねぇけどな。
そう──もしかしたら、為しとげるのはオレじゃないかもしれない。オレはただ、お前を助けるためにいるのかもな。
そんな可能性だってある。
考えてもみろよ。
オレ達は一人で生きているんじゃない。多くの人に影響を受けて、多くの人々に影響を与え続けながら、オレたちは生きているんだ。
今、騎士達は良くない影響を受けちまってる。
でもアイツラにだって分かっているだろうさ。今のままじゃいけないって。英雄様をうらやましく思ったところで、何にもなりゃしないってな。
だから、難しいかもしれないが、騎士達のことも待っててくれや。
不条理に思えるかもしれないが、アイツラが頭を冷やせるくらいの時間を与えてくれよな、勇者様」
「…………うん」
ヒイロの沈んだ声はなかなか浮上しない。それだけ目の前の光景が衝撃的過ぎた。先ほどまで和気藹々としていた相手が、目の前で豹変されれば誰だってこうなるだろう。
少年がこれを受け入れるには少しの時間が必要そうだと、ナルはヒイロをつれてこの場を去ることにした。
「ほら、腹がへったからちょっとつまみに行こうぜ。
まぁ──アレだ。アイツラを嫌いになってやるな。アイツラは今ちょーっと頭に血が昇ってるだけだからよ。すぐにもとの陽気なアイツラに戻るって」
「うん……。スキナヒトを横取りされたら誰だって怒るよね」
陽気に振舞うヒイロの言葉に、言いえて妙だとナルは苦笑したのだった。
○ ○ ○
トルクは既に面影も思い出せなくなってしまった人を思う。淡い金色の髪を持った女性──それはこの国の姫だった。二十年前に消えてしまった、現国王の妹。
そして同時期にいなくなってしまった二人。
一人は当時の騎士団長──歴代最強との誉れも高い男だった。トルクの友人であり、かの姫の婚約者でもあった。彼はさっぱりした性格の度胸が大きな男で──だからこそ姫も男を選んでいたのだった。
もう一人はトルクの師。師匠はトルクを導けるほどに多才ではあったものの、その才はトルクのものとは異なっていた。彼は天賦の才を持って生まれてはいなかったのだ。師は血のにじむような努力の結果、周囲に認められていたのだ。師こそは百錬鋼を成さんとする意志の持ち主であった。
その師匠も、姫と共に消えた。
ほどなくしてトルクの愛する人も去りゆき、トルクは世界に一人となった。それはまさしく伯牙絶絃の悲しみである。
もはやこの世界に、己を理解し得る者は存在しないのだということ。たった一人、己と同じ存在であった騎士団長までが消えたという事実。
理解者の不在こそがトルクから人らしさを奪い、彼を冷たい水のごとき存在へと変えてしまった原因であった。
「アレフはもっと英雄らしくならねばなるまいな」
かつての友のように──という言葉は胸の内にしまう。
それでも守ることのできなかった姫の姿が思いだされて仕方がなかった。
今のアレフやヒイロでは力が足りない。
もっと強く賢くあらなければ、守りたいものも守れないのだ。
「勇者も、もっと教育せねばなるまいな。しかも、魔術を知らないときた。聖女もどうせあてにはならんだろうし──ワシがしっかり尻を叩いてやらねばなるまい」
トルクが願いのは、世界を守ること。
そのためにも、自分が勇者と英雄を導かなくてはならないと、トルクは決意を新たにしたのだった。
いい感じに魔将達の紹介ができたと思います。




