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八話 新旧英雄と静かな侵食

 たった半日で荒れ地になってしまった領主館跡に一人佇み、アレフは物想いに沈んでいた。脳裏にこだまするのは、トルクの叱咤の言葉である。


「アレク! おまえは仮にも英雄なのだぞ。でかい図体をそう小さくしてどうするか。それではまだ赤子の方が自己主張しておるわ。

 ええい。胸を張れ、背を伸ばせ!

 それでも英雄の名を冠する者か!」


 つい先ほど、この場では町人を集めて盛大な集会が開かれていたのだった。その最中の態度が良くないと、トルクは言うのだ。


「……英雄か。なりたくてなった英雄でもないが」


 小さく胸の内がこぼれる。

 誰にも聞かせることのできない、それがアレフの本音であった。

 彼はまだ、自分が”英雄”になったことが納得出来ていないのだ。


 一人で地面を見つめるアレフの耳に、砂利を踏む小さな音が聞こえた。


「何者──これは、隊長……エクス様。失礼いたしました」


 アレフはとっさに剣に当てていた手を離して、敬礼を行う。それに軽く頷いて、エクスはアレフに向かって歩いてくる。足元には大小の瓦礫が散らばり、木屑──屑と言うには大きな棒がいたるところに転がっては道を塞いでいる。

 それなのに、まるで障害物など無いかのようにエクスの足取りは軽く、まっすぐにアレフの横まで辿り着いた。


「先日から思案の色が濃いようだが?」

「……おはずかしい限りです。その、まだ得た地位に戸惑っております。

 エクス様──お教え願いたい。英雄とは、なんなのでしょうか? 長く英雄と呼ばれるあなた方なら、お分かりのはずです」


 アレフの声は震えていた。同じ英雄と称しながらも、細身の中に爆発的な破壊力を持つ彼らのことをアレフは恐れているのだった。


 彼ら”英雄”の恐ろしさは、形を持ってアレフの足元に存在している。

 粉々に砕かれた瓦礫──元は赤一色に染め上げられた煉瓦の壁であったものが、崩れ落ち粉々になって散らばっていたり、窓を飾っていた色ガラスも原形をとどめているものなどなく、いたるところで鋭尖の輝きが反射している。壁の装飾品や家財なども省みられることはなく、押しつぶされ引き裂かれて、ただのガラクタとなって散らばっていた。

 多くのモノを蹂躙して、領主一家と侍従達を生け捕りにし、地下にいたという魔獣の欠片も残さずに破壊しつくした──それが”英雄”の力なのだ。

 そして、その全ては、この男(エクス)の指示によるものだった。


 それだけの力があるから、英雄なのか。

 英雄とは、敵を滅ぼす絶対的な力の事なのか。


 アレフは己の無力さを思い知ると同時に──この場にいない者達(・・・・・)へ逆恨みの様な感情を抱き始めていた。


 なぜ、自分がここにいるのか。

 なぜ、自分だったのか。

 なぜ、おまえたち(・・・・・)ではないのか。

 どうすれば──

 

「知らぬ」


 答えの出ない思考の迷路からアレフを引きずりだしたのは、エクスの感情のこもらない冷たいとも感じられる声であった。


「は? し、知らないとは……」

「我らはただ我らの敵を屠っていただけだ。そう、我らはただ、目前に延ばされた死神の手より逃れようと、足掻いていたにすぎん。

 生き残ったものが体を休めるその横で、傷を負った一人が息絶える。

 我らの敵を十体殺めれば、我らも十人殺められる。

 その結果として、生き残った我らが”英雄”と呼ばれるようになっただけのこと」


 エクスは遠い過去を思い出すかのように、足元を見ていた。


 その瞳に後悔のようなものが見えた気がして、アレフはかつて行われたであろう魔獣との戦いと、その結果を夢想した。

 魔獣によって多くの村や町が滅ぼされ、王都もぼろぼろになっていたという。その時分はこの館跡の様な荒れ地がいたるところに広がっていたのではないだろうか。


「……申し訳ありません」

「構わぬ。気にする事でもなかろう。我らは同じ──同じ英雄(そんざい)なのだから」


 ゆっくりとした動きで、エクスから手が延ばされる。

 剣を持つ者の手。

 ごつごつとした分厚い──日頃手甲を付けているため斑に日焼けした手を見て、アレフはためらうように視線を揺らした。


 この手を取ることが許されるのか。

 否、この手を取ってしまったら、”英雄”であることを受け入れなくてはならないのではないか。


 差し伸べられた手を取ることもできず、さりとてふり切ることも出来兼ねて、アレフはただ己の手を握りしめていた。




 ○ ○ ○




「……で、ありますから。新しい素材の発見は新しい芸術の誕生でもあるのです。

 残念なことにカメオという芸術は、現時点では鉱石が最も優れた彫刻素材であることも確かです。なぜならば、カメオという彫刻を美しく彫るには、土台と浮彫の色の差が必要になります。

 つまり、はっきりとした色の差があるほうが好まれるのです。

 その点、この素材は赤からピンク、白のグラデーションになっております。

 赤を残せば赤白はっきりした作品を作れ、ピンクを残せば柔らかな作品を作ることができます。

 今までピンクを好まれる方々は、貝を材料とするしかありませんでした。しかし、材料が貝殻であるため、大きな作品を手に入れることは難しかったのです。

 それを、この素材は変えることができるのです。

 この素材であるならば、大きな作品を作り出すことが簡単にできるのです。なんと素晴らしい事でしょうか。

 さあ。新たな芸術の誕生を共に迎えようではありませんか」


 芸術という言葉とは縁遠い冒険者(・・・)ギルドで講釈をたれる男を尻目に、クレイブは差し出された依頼書を確認していた。

 目の前の男──どこかの大店の店員であったはず──は、話が流されているのもかまわず、好き勝手にしゃべり続けている。


「ご存知だと思いますが、一年を通してロブヌターイーターを獲ることはできません。ですから、期間を区切って依頼に出しておくということでよろしいですか? よろしいですね」

「勿論です! よろしくお願いします」


 カウンターに身を乗り出すようにして近づいてきた男は、むせるような甘い花の香りを纏っていた。


「新たな芸術作品が出来上がりましたら、ぜひ貴方にも受け取っていただきたいと思います。

 私どもにとっては、それほどの価値のある物なのです。新たな文化の一ページを共に綴ろうではありませんか──」

「あ」


 男に手を握られて、クレイブは戸惑う。

 気持ち悪い。気持ち悪いのだが、振り切って良いものか。珍しく出した仏心は良かったのか悪かったのか。

 上機嫌に依頼主が手を上下に振っても、クレイブは呆れ顔のままだった。


 その時、ギルドの扉が小さく開かれて、顔をのぞかせたのは子供達だった。

 昨日の大男(ダンク)との出会いが強烈だったのだろう、そっと顔だけを覗かせて室内を確認する。


 そして、クレイブに覆いかぶさるように迫る男と、それを甘んじて受け入れているクレイブの姿を見て──メディエは嫌そうに顔をゆがめて、扉を閉めた。


「ん? あ、ちょ、ま──」


 クレイブの声は扉に阻まれて子供達には届かなかった。




「アレ、どうよ」

「うん。──昨日からいろんなところが臭いと思ったら。ギルドまで汚染されてたね」


 メディエとセシルが先ほどのギルドの光景について話をしていた。

 二人が話すのは”臭いほどに甘い匂い”について。少し前に一軒の家から甘い匂いが漂ってくると思ったら、昨日は数件に広がっていたのだ。

 体中をかきむしりたくなるような、甘ったるく気持ち悪い匂いだったので、二人はその周辺を倦厭(けんえん)していたのだが。とうとうギルドまでもがその匂いに汚染されてしまったのだった。


「がーっと、消臭させてくれないかなぁ」


 ギルドを無料の遊び場扱いしていた二人は、首をかしげる。

 せっかくのたまり場であったが、仕方がないかと、二人があきらめた時、クレイブの声が追いかけてきた。


「まって! ──ご、誤解なんだ──」


 二人はクレイブをギルドの外で見たことはなかった。だから人混みの中のクレイブの姿というのは、非常に違和感を覚えるものであるのだが、それ以上に振り返らなくても漂ってくる匂いが、二人の顔をゆがめさせた。


「よかった、追いついて。あの──ね……。え、あ、あれ。ごめんね。何か、したっけ?」


 子供達の顔は醜悪そのものであった。眉間には皺がより、目は釣り上がり、口がぐにゅっと曲がっている──そんな顔で振り帰られたクレイブは、一瞬言葉につまった。もごもごと文章にならない言葉を繰り返す。


「……です」

「え、何かな?」


 子供の声が聞き取れず、身を寄せようとするのをさえぎられる。小さな体で必死に距離をとろうとするのを見て、クレイブは体がこわばってしまった。

 ショックを受け立ち尽くすクレイブを、子供達の声が現実へと引き戻した。


「クレイブさん、気持ち悪い匂いがします」

「鼻がまがりそ~。クサ~イ」

「え? くさい……?」


 言われて思いつくのは、先ほどの依頼主の甘い香りだった。おそらくは、長く話し込む間に香水がうつってしまったのだろうと、クレイブは思い当たった。

 試しに自分の腕に鼻を寄せてみても何の匂いもしないのは、鼻が慣れてしまったせいだろうか。


「ちょっと強いけど、甘くて良い匂いだと思ったんだけどな」


 依頼主から漂っていた甘い香りを思い出して、クレイブは残念そうに呟く。

 それを子供達は胡乱(うろん)な目で観察していたのだった。


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