十五話 騎士と魔術師と勝利
王都の門は閉ざされ、騎士達に非常事態が宣言された。
貴族地区に魔獣が出現したため、その排除の為に全ての門が閉ざされ、多くの騎士達が貴族地区へと配置されたのだ。
幸いなことに市街地には魔獣の目撃情報はなく、安全とされていたが、万が一の事を考えて騎士の巡回と、市民達へは室内への避難が勧められていた。
本日王都の外に出ている者たちは、門前にて騎士団による保護が決まっているために何の問題もなかった。
問題なのは魔獣退治を専門にしている騎士達が王都外にいることだが──それは市民達には知られていない内容であった。
市民達は”魔獣”というものに対する具体的な危機感を持っておらず、右往左往する騎士達を眺めては、彼らの活躍をわくわくした思いで待っているのだった。
魔獣という存在がどのような存在なのか──
皮肉なことに、市民達はそれを目の前で見せつけられることになってしまう。
○ ○ ○
最初にソレに気がついたのは若い騎士だった。彼は詰め所から数名が魔獣の警戒にと隊を組んで詰め所を出たのを見送ると、そのまま周囲の警戒に入っていたのだった。もちろん、その腕には対魔獣用に準備されたアミュレットを装備している。
その騎士の前を何か──何か黒い物が横切って行ったのが見えた気がしたのだった。
「? 今、影が走っていったように見えなかったか」
「は? 先輩達が警戒に行ったのは向こうだろう。コッチじゃないぞ」
「けれど……今確かに何かが」
その騎士は詰所の中に声をかけた。詰所の中にはまだ数人いて、アミュレットを手に眺めている者、愛用の武器を磨いている者、さまざまだった。
その中から一人外に出てくる。
彼はしっかりと準備を行っており、防具──薄い金属鎧にアミュレットを装備し、武器──槍を手に持ち腰に剣を帯びていた。
二人で周囲の音を拾おうとするが、詰め所内の音がひどく良く聞き取れなかった。
「すまんが、少し静かにしてくれ。で、アレフ、おまえは、こっちに来い」
アレフは現時点での詰め所のリーダーである。本来のトップは別にいるのだが、彼は市街の見回り組に出てしまい、アレフに指揮権は移動している。
しかし本人はまだ新人であるため、このように他の隊員に使われることもしばしばであった。
呼ばれるままにアレフが外に出てくる。彼がアミュレットを装備していないのを見て、注意しようとした、その時。
「ぎゃぁ──」
小さな悲鳴が聞こえ、すぐに途絶えた。
三人で顔を見合わせて、空耳ではないことを確認する。
「今、今、声が……」
「悲鳴がしたな」
「……しかし、命令がないのに持ち場を離れていいのだろうか」
アレフが困ったように口にするが、それに返されたのは呆れたような声だった。
「おいおい! そんなんでどうする? ……まったく、これだから貴族のおぼっちゃんは。
悪いけどオレが騎士になったのは、市民を守りたいからなんだよな。出来るならさぁ、上司の顔をたてようと思ったんだけど、仕方ないな。
おい! 命令違反でも良いってヤツは来い! 本体が貴族区画にいるってことは、市街地は魔獣に喰われ放題だ! オレ達で止めるぞ」
その声に詰め所から数人が飛び出てくる。それを見て、アレフは慌てて声をかけた。
「待て! 待ってくれ。オレも行く」
「オレも行く、じゃねぇ。──上司はおまえさんだ。行くなら行くで命じてみせな」
ぐっとアレフの言葉が詰まる。彼は今まで”命令”をしたことはなかった。今までは命じられることを粛々とこなしていればそれで良かったのだ。
考える事もなく、誰かの命を預かる事もなく、ただ言われるがままに動いていた。
それなのに、今この時に”命令”することなど、彼には出来なかった。
「無理、だ。すまない──」
「おまえさんには次もあるだろうよ。それまでには心を決めるんだな。おい、行くぞ!」
○ ○ ○
それは酷い光景だった。いたるところに人であったものの欠片が落ちている。ところどころの扉は壊され、家の中までが荒らされきっていた。だけでなく、家自体が壊されているところも数軒あった。
それらを背景に何人もの市民が逃げ惑っており、そのうちの一人に追いついた三メートルはある巨大な魔獣が、柱のようなどっしりとした足で体を抑えつけて──
アレフは初めて魔獣の食事を見た。見てしまった。
ぱっくりと開かれた口── 一メートル近くある大きな犬の顔が、顎まで裂け、大人を丸飲みにしているのだ。
その瞬間まで悲鳴が聞こえ、次いでぼきぼき、と骨を砕く音がする。咀嚼できなかった腕や足が魔獣の足元に落ちるが、魔獣はそれらには目をくれず、別の新しい獲物に狙いを定めていた。
「うわああぁぁぁ!」
思わず悲鳴が上がる。己が上げたものか、他の誰かの悲鳴なのか──それすら判断ができず、アレフは魔術を放っていた。
放ったのはカゼノヤイバとヒカリノタマ。
カゼノヤイバはアレフの得意魔術であるために無意識で放っていた。ヒカリノタマは黒い魔獣に効きそうだと判断して放ったものだった。
そんなコントロールの甘い魔術を魔獣は余裕で避けると、新たな獲物にアレフ達を定めて口をゆがめた。
「ッ! 魔獣だ! 誰かあれが何なのか、鑑定を──!」
「ハウンドドックです! ハウンドドックの成獣ですっ」
騎士達が槍を構えて魔獣を取り囲む。
相手は魔獣──ハウンドドックであるならば、アレがくるはずである。
すう、と魔獣が息を吸いこむと魔力を込めて吠えた。
「アァオオォォォ──ン」
それはハウンドドックの攻撃の一つ、パニックボイスと呼ばれるものだった。
その魔力を帯びた声は人々の心に作用し、パニックを起こさせるとされている。
今回もその効果は発揮された。
魔獣の吠え声を聞いた者達は、皆通常では考えられない行動を始めていた。家に隠れていたはずの者が道に飛び出してきたり、家の中で暴れる破壊音が聞こえてきたりしている。道を逃げ惑っていた者達もその場に倒れたり、近くの者に殴りかかったり、さまざまであった。
そしてその効果は騎士達にも有効であった。
騎士達の中でもアミュレットを装備していない者数名が、倒れたり、武器を置いて逃げ出しているのだった。
「チッ! おい、おまえら──」
配給されたアイテムを装備していないとはどういうことだ──そう、苛立ち交じりで叫ぼうとした騎士は、アレフが茫然と立ちすくんでいることに気がついた。よく見ると、アレフもアミュレットを装備していないようだった。
「てめぇもか! おい、元気な奴! 倒れた奴をひっぱたいて正気に戻せ!」
目の前で、魔獣が獲物に向かって地を蹴った。
アレフは茫然と、身動きもできず己に迫る牙を見ていた。動かそうにも体が動かない──否、体を動かそうと考えることも出来ていなかった。
硬直するアレフと魔獣の間に、横から剣が突き込まれる。そのまま魔獣の顔面に向けて威嚇の剣が振られ、反動でアレフは殴り倒された。
「てめぇ、何をぼーっと突っ立ってる!?」
「あ、ああ……すまない?」
殴られた衝撃で地面に倒れ込み、ようやく動くようになった頭で、アレフは礼を言った。
「アミュレットはどうした! 配られていただろうが!?」
「まじゅつ、ぐ」
言われて思い出したのは、一人に一つ配られていた対精神攻撃アイテムであった。
「どんなに便利なアイテムだろうと、使わなきゃ意味はねぇ!」
剣を構えて魔獣を威嚇する男の腕には、支給されていたアミュレットがしっかり装備されている。自分はどうしたのだろうかと、意識を巡らせて──支給されたそれに手を出さず、机に放置してきたことを思い出した。
「本当にすまない」
「ああぁぁ! 言いたいことはあるが、いい! 今は争ってる場合じゃねえ」
「かえすがえすも、すまない。
相手はハウンドドックだったな。──槍を向けて牽制しながらヒカリノタマで攻撃する! 相手はヒカリ属性が効く、体のどこでもいいから当てればダメージになる。
とにかく距離をとってちまちま体力を削るぞ」
アレフは貴族であるため、魔獣への対抗方法を座学で学んでいる。おそらくその通りにできるだろう、と皆に指示を下した。
魔獣の前に四人で相手取る。全面に二人、左右に一人ずつで魔獣を牽制するのだ。他のメンバーは魔術での牽制に参加しながら、倒れた者や市民達の保護へと走った。
ちまちまとアレフが称したのは間違いではなかった。本当にちまちまとしかダメージが入らないのだ。
しかし、魔獣も槍には臆するのか、一定の距離をおいて様子を伺っているようだった。だがこれでは時間がかかって仕方がない。
このまま魔術が切れるのが先か、魔獣が倒れるのが先か、考えたくもない耐久レースに入るかと思った時だった。
再度、魔獣が息を吸い込む。
「まずい、パニックボイスが来るぞ!」
「アミュレットを持っていない者は下がれ!」
騎士達の警戒の声──しかし、それにかぶさるようにして魔術がかけられる声がした。
「カゼノヤイバ!」
「────────!」
魔獣の吠え声はその魔術にかき消されて、騎士達には届かない。魔術の主はそのまま、いくつものヒカリノタマを魔獣にぶつける。吠えの後で動けないタイミングで、魔獣の急所にヒカリノタマを──それも騎士達とは比べ物にならない威力の魔術をぶつけるコントロールに目を見張る。
いったい誰が──と思い視線を巡らせて。息を切らせて立つ魔術師を見つけた。
「あなたは、確か魔術屋の」
「宮廷魔術師のナイン。ナイン・ウォーロックですゥ。間に合ってよかったですヨゥ」
言いながらも、ナインはヒカリノタマを魔獣に当て続ける。いくつも、いくつもの魔術の光が魔獣を貫き、ついに魔獣の足の一本が吹き飛んだ。
「遅くなって本当にすみませんねェ。パニックボイスを聞いて、ようやく場所が特定できたんですヨ。魔術師と騎士団の情報のやりとりも、もっと密にしたほうがいいですねェ」
ぱんと二本目の足が吹き飛び、魔獣の体が崩れ落ちる。
それを見て、自分達の苦労はなんだったのかと、アレフは力を落とした。
自分達は騎士である。この国を守るために力を付けたはずだった。それなのに、魔獣の一体に良いように翻弄され、自分達の剣と魔術は相手に効かず、魔術師の助力を受けている。その現実に眩暈がするようだった。
茫然と魔術師を見て、彼に翻弄され続ける魔獣を見る。
体中から血を流しながら──魔獣はそれでも力の入った目をアレフ達に向けていて──とん、と最後の力を振り絞った魔獣が地を蹴った。
「あぶない!」
「う、うわああぁぁぁ」
誰かの声がする。その声に押されるように、アレフは効き手を突きだした。
その手に持つのは──槍。
目の前に迫った魔獣の大きく開かれたその口に、力いっぱいに槍を突き刺す。目前に迫った魔獣の顔を直視できなくて、目を閉じて力を込める。
ぐじゅ、と腕に返ってくる抵抗を押して、腕を口内にのめり込ませて────魔獣の命と引き換えに腕一本を覚悟していたアレフは、衝撃がこない事が信じられなくてそっと目を開いた。
アレフの目に映るのは魔獣の口内の赤さと温かくぬめった舌の感触──ほとんど己の頭を飲み込んでいる口と、そこに突きたてた槍──そして、喉の奥から真赤な血があふれてきてアレフを濡らしていた。
魔獣の巨大な口に突っ込んでいたのは、腕だけではなかった。アレフの上半身のほとんどが飲み込まれていたと知り、腕が震える。体中の力が抜け、その場に尻もちをついた。
それと同時に、魔獣も巨体を横たえる。ズドンと、重い音を響かせて、まるで大地が揺れたかのような錯覚さえ感じられた。
「何が──今、一体──」
「勝った。おまえさんの──アレフ・ノールトンの一撃が致命傷だな」
「おめでとうございますゥ。でも、今のはギリギリだったこと、幸運だったことを肝に銘じてくださいねェ」
信じられないと、アレフは立ち上がろうとして、腰が抜けたのか崩れ落ちた。それに手を差し伸べて、騎士は言う。
「しっかりしろ。そして、宣言を──勝利を宣言するんだ」
足が震える、手が震える、声が震える。
それでもアレフは立ち上がり、そっと横から差し出された剣を掲げて宣言をした。
「も、もはや脅威は去った! 魔獣は我ら騎士団と魔術師が打ち取ったのだ!」
魔獣の吠え声 の対処法について
一:アイテム(お守り)の装備
二:カゼノヤイバの応用で真空を作り、声をシャットダウン
三:ツチノツチの応用で土壁を作り、略
対処方法は人によっていろいろ




