六話 それぞれの道へ
「よくぞ、魔王を倒した! さすがは勇者だ」
「──ありがとうございます」
「直接お言葉を賜り、これ以上の栄誉はございません」
以前に勇者のお披露目があった"飛竜の中庭"に、再び貴族たちが集まっていた。
王から直答を許され、短く返す勇者の言葉を聖女が補足する。
その様子に、貴族たちも拍手を贈った。
今日は最上の祝い事のため、中庭の至るところに大輪の花々が飾られている。
それに負けじとばかりに、皆の装いも慶事用の物だった。
高音の優しい音楽が流れ、魔術師達の魔術が空を彩る。
勇者のお披露目よりも力の入ったその美しさに、人々の間からは感嘆の声がもれた。
○ ○ ○
ぱちゃん、と水の揺れる音がした。
「あ~。チョー気持ちイイ~」
「ちょっと。じじくさいよ」
「へーい」
建物の中庭からは、微かに歓声が響いて来ている。
今日は勇者の帰還に合わせて、お祭りが行われているはずだった。その歓声をBGMに、セシルとメディエと──他数人がお風呂につかっているのだった。
湯あみ用の服が、べったりと体に張り付いて動きをゆっくりにしている。セシル達にとっては、慣れない服だ。
初めてこの服を見たのはピアニー伯爵家だった。湯あみ用の服を知らなかった二人は裸で風呂に突撃し、こってりとメイドさんに叱られた記憶がある。
服を着て風呂に入るなど、考えたこともなかったのだから仕方がない。
湯上がりのローブだと思ったと、メディエは言い訳をしていた。
「神の御技とは素晴らしい。これほどまでに、瘴気が浄化されるとは」
「クスクス。この湯は御神水ですわ──水の神の祝福をいただいているのね」
「加えて、医療の神様からもらった、疲れに効く薬草入りでーす。これで二十四時間戦えますッ」
「何言ってるの、そのキャッチコピーは古いよ……」
皆がいるのは、広い──三部屋をぶち抜いて作られた風呂だった。ニンフの言った通り、湯にはたっぷりの御神水が使われ、麻袋に詰められたハーブが沈んでいる。
ハーブから出たエキスが、湯をほんのり濁らせていた。
人だけではなく、ニンフの兎と仔犬達も楽しそうに浴槽中を泳いでいる。
鳥であるカラドリウスは、水を嫌い黒司祭の近くの縁に掴まっていた。
「二十四時間戦うとは、なんと勤勉なことだ。見習わなければ」
「ホラ。本気にする人がいるから、取り消して」
「なんかゴメン。冗談が通じない人だったのか」
四人と四匹がまったりしていると、いきなり扉が開いた。カラドリウスが宙に飛びあがって、警戒の音をたてる。
更衣室との間で仁王立ちしているのは、立派な黒豹ミミを持ったナルだった。
「あれ? なんでここに?」
「勇者と一緒に王宮にいるんじゃないのん?」
「てめェら──なんだァ、あの非常識なトラップは! オレ様じゃなけりゃぁ、死んでるぞ!」
「えー? でも、突破した人が目の前にいるしぃ~」
目の前のナルは、くたびれていた。
服は破れ、髪はボサボサになっている。
それでも、メディエの設置した罠を潜り抜けたのだから、盗賊としての腕は一流だった。
「どうして、呼び鈴をならさなかったんですか?」
「あァ? 呼び鈴だァ? ……気がつかなかったな」
「あらあら。おちゃめさんね」
「まぁ、こちらにどうぞ。疲れがとれますよ」
クスクスとニンフが笑い、セシルが湯を進めた。
ち。とナルは舌打ちをして服を脱ぎ捨てると、風呂に飛び込む。
猫科なのに大丈夫だろうかと、セシルは少し心配していた。
「あー。生き返らァ……これで、酒があれば言う事ねェんだが」
満足の声をあげているのも関わらず、ナルは欲望の声をあげる。
ダメな大人だよね、とメディエはセシルの近くに避難した。
ここに酒は用意されていない。
そもそも家主が子供で、客が精霊と規律の厳しい神官だ。動物達もいるというのに、そんな不健康なものがあるわけがなかった。
「まぁ、今日は"おつかれさま会"ということで大目に見ますけどー」
「おゥ。いたわってくれ。ったく、思ったよりも、お子様達の面倒を見るのは疲れるなァ」
あっという間もなく、手を伸ばしたナルがメディエの頭をかき回した。
いつもならば、男が近づいただけで逃げるメディエだったが、大人しくナルの手を受け入れている。
「え? ちょ、ちょっと。大丈夫なの、それ?」
「? ソレって?」
「それ、男の人の手だよ。ずっと、逃げてたのに」
「あ──うん。そうなんだけどさ?」
セシルの疑問に答えるメディエも不思議そうな顔をしていた。メディエの目の前にいるナルを見る目には、何の感情もこもっていなかった。
今までならば、恐怖に頬が引きつっていたのだが──それを分かっていて、ナルは嫌がらせをしていたのだが──今、恐怖は欠片すらも浮かんではいなかった。
「なんだろうな? よくわかんないけど──違うって感じるんだよな。うーん? なんだろう、コレ?」
「違う、というよりも。気にする必要がなくなった、という理由ですわね。
レプリカとはいえ、あなたは神。ならば、人に恐怖を覚えることなど──ありえませんわ」
ニンフの強烈な一言に、メディエは少し考えた。
「でも、偽神が付いてからも、ずーっと男の人が怖かったよ? なんで、今になって?」
「それは──あなた自身が知っているはずですわ。私にはわかりません」
「いつから怖くなくなったんだ? 仔犬達が生れた時は、そうじゃなかったよね」
セシルの言葉に、メディエは今までの事を思い出そうとした。
あれから何があったか──
ある時は、ロブヌターとイーター。時々ホタテを狩っていた。
ある日は、ギルドへ行って、カタツムリと青虫を捕獲していた。
またある日は、ギルドへ行って、王都外のハーブの木を切り倒して薪にしていた。
またまたある日は、迷宮の調整のために業務用階段を上り下りしていた。
基本的にメディエとセシルは一緒に行動している。
なにかあったっけ? とメディエはセシルに聞くが、セシルも首をふった。
「特に思いつかないなー」
「クスクス。──本当に?」
ニンフの言葉に、メディエが言葉を返そうとした、その時──パン、とニンフが手を叩いた。
大きな音と共に湯が波立ち、びくっとメディエが体を揺らした。
「そういえば、神様にお願いされていた"確認"を忘れておりましたわ。セシルさん。あなた、お帰りになるのですよね?」
「おや、そうなのかね」
「帰る? ──って、どこにだァ?」
「え、ええ。そのつもりです」
セシルの返答に、ニンフは笑みを見せた。
ばちゃばゃ、と音を立てて兎がセシルに近づいてくる。きゅ? と可愛く鳴く兎をできるだけ見ないように、セシルは顔をゆらした。
仔犬達はメディエの胸と背中に陣取って、セシルを見つめてくる。う──と、セシルは呻いた。
「うふふ。それも"選択"ですもの。非難はいたしませんわ」
「己の未来は、己の手で選び取る。それが人が人であるという証明。……それが人という存在のありよう、だしー」
小さな声でメディエが呟く。
弾かれたように、驚きに満ちた顔でセシルがメディエを見た。
「ほーう。子供が言いやがるなァ」
「だが真理でもある。始まりの時、神が我らにくだされた神託だ。
我ら人には、無限の可能性がある。そこから真に望むものを選び手にせよ、と」
「メディエは、それで良いの? 仔犬達の為に異世界に残るって──アレ本気なのか?」
セシルを見返すメディエの目は優しかった。
メディエは笑みを浮かべたまま、セシルに返す。
「うん。チョー本気。ってゆうか、オレはもう選んでるんだ。未来を──異世界で生きる未来を」
「そんな……そう、なのか」
セシルは視線をゆらした。
「ま! 悩む事ないって。自分が"本当に望む事"を選べばいいんだよ。後悔しないように──大切なのは、それだけだもんな」
「それが一番、難しいんじゃないかな」
ほかほかに仕上がった体をソファーに投げ出して、セシルは今後を考えていた。しっかりブラッシングされた仔犬が近づいてくるのをすくいあげ、胸にだきしめる。
といっても、本当は選択はしているのだ。"帰る事"──セシルにはそれしか選べないのだから。
「私は生きたい。お父さんと、お母さんと。お兄ちゃんと、弟と。家族みんなに会いたいよ──」
ぎゅっと仔犬を抱きしめて、セシルは体を丸めた。噛みしめた唇から嗚咽が漏れる。
「先生にも、謝りたい」
「謝ればいいじゃん。悩む事はないってば」
独り言に返事があって、セシルは奇声をもらした。
「な、なななななんでここにいいい」
「おちついてー。はい、深呼吸」
「ああ、もう! ……で、なんでここにいるわけ? 他の人達はどうしたの?」
メディエを睨むセシルの顔は真っ赤になっていた。最後に珍しいモノを見たな、とメディエは──にやりと──
「うわ、嫌な顔」
「失礼な。セシルさんの、ちょっと珍しい顔が見えたなーとか思ってないから」
「で?」
「はいはい。黒司祭さんを部屋に案内して。ナルさんは迷宮へ。ニンフはギルドへ。みんな出かけちゃったよ」
「そう──」
誰もいないと聞いて、セシルは安心した。
先ほどまでのバカ騒ぎも楽しかったが、セシルはまだ大人数になれたわけではなかったのだ。
家族と医者と看護婦──限られた人にしか会わない生活を、繰り返していたのだから。
「で、メディエはなんでここに? ……笑いに、っていったら叩くから」
「いやいや。そんなことしませんよー。コレが完成したから、渡そうと思って」
メディエがセシルに見せたのは、白いフェルトで作られた犬の人形だった。
少年の掌にすっぽりと収まってしまうほどの、小さな人形だ。それが二個あった。
「……これは?」
「ん? プラトンと仔犬達のモフモフで作ってみたの。なかなか上手にできただろー」
「作ったのか!」
言われてみれば、その人形の毛はプラトン達と同じ色をしていた。その形すら"犬"──彼らを思い出させるものだった。
柔らかな白い、もこもこふわふわの犬。
セシルは手を伸ばして、一つを受け取った。
「どうして──」
「んー? なんとなく作り始めたんだけどさ。二つあるし。分けるのにいいかなと思って」
それはメディエの手作りだった。
スキルや魔法、魔術をつかってズルをしたわけではない。抜け毛を集めるところから全て、メディエが一人で作りあげたのだった。
「……どうして……」
「オレさ、ホントにセシルの事は特別に思ってるんだよね。一番つらい時──TWAに逃げてた時に出会ったのもある。ずっと一緒にゲームしたしさ。
こんな異世界に呼ばれた時も、セシルに助けてもらったしさ。
友達が一緒だって思うと、なんかいろいろ暗くならなかったし?」
「それは──こっちもだよ」
ぎゅっと、セシルは人形を握りしめた。
「私もあの時が──メディエとであった時が、一番つらかった。先が見えなかった。
何も分からなくて。いつ退院できるのか、どころか病名すら分からなかった……先生や看護婦さんが採血とか、写真をとるとか。全部嫌だった。
何もしてくれないくせに、顔だけ優しそうにして、すぐに治るよ。なんて"嘘"ばかり言われてた。
記憶ある一番最近なんて、ほとんど植物状態で、身動き一つできなかった。
だから、異世界に来て、嬉しかった。楽しかった。自由に動く体が、自分の足で立てる事が、どんなに嬉しかったか……」
「うん。オレ達は同じだった。
同じようにつらくて、生きて行くのが嫌だった──。
でも、それはセシルの本当の望みじゃない──だろ?」
「──生きたい。私は生きたいんだ。メディエと別れても、"私は家族に会いたい"」
「うん──。オレは"家族に会いたくない"。だから、仕方ないんだ。
オレは、誰にも傷つけられたくない。誰も傷つけたくない。あっちに帰れば、オレは絶対に傷つけるから──。
だから、異世界で生きて行くって決めた」
セシルの瞳から涙がこぼれ、フェルトの人形をぬらす。あふれ続ける涙を、そっと仔犬がなめとった。
「ごめん、ごめんね──」
「うん。オレもごめんな。多分、オレは──もう泣けないんだ。ごめん……」
「なんで、メディエが謝るの! 私は、私は──」
「セシル。オレの友達──どうか幸せに」
それが、"セシル"が聞いた最後の言葉だった。
○ ○ ○
ピッピッピッ──
高い電子音が"少女"の眠りを覚ました。
規則正しく音を発する器械は、少女が横になるベットの真横に置かれている。
そこからは二十四時間、ずっと少女の容体を監視しているのだ。
(今日はちょっと良い気分かな。楽しい夢が見れたしね)
"夢"の中では楽しい事ばかりだったと思い返して、少女は目を開けた。
(え──)
ピ────
器械が高く鳴り響いて、少女は驚いた。
(どうして? え? わたし──目が、見える?)
眠るまで、ほとんど見えていなかった目が、像を結んでいた。
喉の奥に入れられているチューブが、気持ち悪くて仕方がないと感じた。
(どうして、なぜ?)
体中に違和感を覚えた少女は、特に手何か持っている感触に気が付いた。何か柔らかな物を握っているような──それは、小さなフェルトの人形の感触だった。
(メディエ──あなたがくれた人形──夢の中で、あなたがくれた人形。それが……あぁ、神様──)
動かなくなっていたはずの手が、人形を握っている。少女はその指に出来る限りの力を込めた。ぴくり、と指が小さく動くのが感じられた。
(メディエ、わたしの友達。わたしの神様──わたしは選ぶわ。絶対に幸せになってみせる。だから──メディエも──いつか、また)
少女の瞳から涙がこぼれ、枕に吸い込まれて消えていった。
-end-
ヒイロのパートはファンタジーゲームのエンディングをイメージしました。勇者と聖女が王様の前で祝われる。ファンファーレで終了です。
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