十話 スキルの封印
「わ、わんちゃ~ん。にゃんちゃーん。ご飯ですよ……」
ミントは小さな声で、叫んだ──つもりになった。
なぜだかこの数日、胸騒ぎがして仕方がない。特にこの中庭──家のお嬢様が保護した小動物達を放し飼いにしている辺りに近づくと、彼女のスキルである”キケンヲサグル”が警鐘を鳴らしてくるのだ。
できることなら近づきたくはない。かなうならさっさと逃げて──この家からも逃げだしたいと思っている。
しかし、嫌だからと言って仕事をやめる事はできなかった。ミントはこの家──ヒアシンス家の領地の民であった。村一番の器量良しで細々と気がつく性格であったことから、王都のメイドにと抜擢されたのだ。
勿論村ではお祝いになり、快く送り出されて来た。
そのため、解雇されたならともかく、逃げ出して帰る家などないのだった。
それだけではない、逃げ出したことで村の家族に罰が下る可能性を考えたなら、どうしても逃げるという選択を選ぶことはできないのだ。
だから、彼女はエサを運ぶしかないのだ。
静かな中庭に、彼女が運ぶカートの音だけが響いた。
(あぁ。ダメ。どうしよう。ここは危険)
がくがくとミントの足が震える。その震えは腕にまで到達し、がちゃがちゃと金属の振れる大きな音が響いた。
そして、がたがたとバランスをくずしていたカートが──何かに乗り上げたのだろうか、一際大きな音をたて跳ねて、落ちて、ミントの前で横倒しに倒れた。
思わず耳をふさぎたくなるほどの金属音──カートとえさ入れのボウルが擦れ合って、跳ね返り、地面を転がる音が響いて────その金属音が合図だった。
ミントは身をひるがえす。
パニックに陥った体を、震える足を無理やり動かす。
なんとか逃れようとあがいたその先には、いつのまにか小さな仔犬が行儀よく座っていた。
ミントのスキルは最終警告を発し──仔犬がぱっくりと口を開けた。
メイドがソレを見つけたのは偶然ではなかった。彼女は朝から姿の見えない同僚を探して、ミントの仕事場である中庭にやって来ていたのだ。
「ミント! ミントー? まったく、どこに行ったのかしら?」
横に倒れた小動物様用のカートを起こして、メイドはぼやいた。
ここにカートがあるということは、朝にここまで来たのだろう。その後、どこかに行ってしまったのだ。
周囲にちらばったえさ入れのボウルも回収する。
中に餌は残っておらず、食べざかりの動物達が食べていったのだろう。
困ったことだ、彼女達がいなくなって困るのは残された自分達なのだから。そりゃぁ、この家は快適な職場ではないけれど、何も言わずにいなくなる事はないのに、といなくなったメイド達の事を思う。
これで、もう二日で三人もいなくなってしまった。これを旦那様に伝えたら、どれほど機嫌が悪くなるか──そこまで考えて、違和感を覚えた。
いなくなったのは、二日で三人──さすがに多すぎないだろうか?
思案するメイドを後押しするように、小鳥のさえずりが空に響いた。
○ ○ ○
報告書を机に放り投げる。要領の掴めない命令をしてきた上司に、アレフたち騎士団員は困惑していた。
騎士団といっても、彼らは王都の中を警護しており、外縁の魔獣退治を専門とする者達とは異なる部署にいる。そのためか「ある貴族が魔獣を呼びいれた可能性があるので、要注意」などと言われても実感がわいていなかった。
それほど王都は平和なのだ──否、彼ら騎士団が平和にしているのだから。
その命令への報告書が、今机の上に放り投げられた薄っぺらい紙だった。
「現時点で把握していることはこれだけです」
代表としてアレフが報告する。彼は出身が下級とはいえ貴族であり、所属する詰所の中ではそれなりの地位についているのだ。
「ふむ──該当貴族に変化はなし、か。ん? 昨日一人居なくなっているというのはなんだね」
「は! かの家では使用人の雇用環境がひどく、長く務める使用人は地元から連れてきた数人だけという状況です。事実、数か月前にも同じように使用人が逃げたという報告があります」
「そうか。同じ貴族として情けないものだね」
「……」
使用人などおいたことがないアレフには、どう返答して良いものかわからなかった。
「使用人の事は気にしておいてくれたまえ。もし、使用人を見つけたら、あの家の事を聞くチャンスだからね」
「は。伝えておきます」
「よろしい。今後も該当貴族の事は注視しておくように。あぁ、勿論、通常業務に響かない程度に、だがね」
「心得ております」
当然、返答は「はい」か「YES」それ以外は存在しない。それが騎士団の常識である。
「うむ。これは貰っていく。この後も数か所回らなくてはならないのでね」
「承知いたしました」
かちり、と上司に向かって最上級の敬礼を行う。
目の前の上司は、騎士団副長──騎士や守衛等、全ての部署を合わせた騎士団のナンバーツーである。アレフやこの詰所の団員からしてみれば雲の上の上の上の、どうしようもないほど上に君臨する人物なのだ。
アレフの心臓がどきどきばくばくしているのも仕方がないことだった。
騎士団副長は深く頷くと、机の報告書を回収する。軽く中身を確認し、しっかりとマホウノクウカンの中にしまい込んだ。
それから少しばかり雑談を楽しんだ副長は、数名の騎士達の敬礼を受けて詰め所を出た。騎士団副長──ディーノは、そっと後に控える腹心に茶化すように告げる。
「件の家の使用人が行方不明──これは、さて。偶然か否か?」
「今はどっちとも言えますね。軽く聞いてきたんですが、結構嫌われてるみたいです。
二ヶ月前にメイドが一人辞めてるそうですよ。給料もロクに払われてないですし、職場はサイテーってのは嘘じゃないみたいですね。
ただ、今回はタイミングが良すぎます」
「そうだな。ふむ──昨日逃げたというメイドについて調べてくれ。何時も通り経費でオトす」
腹心が聞いてくるのは裏の情報である。どこにツテがあるのか、彼はディーノが望む”表では手に入らない情報”を上手く集めてくれていた。
取り扱う情報の量と、取捨選択による質の良さ──腹心は本当に上手に情報の真偽を見極めていた。
「経費なところがセコイですよねぇ──お昼までお待ちください。報告は執務室で良いでしょうか?」
「ああ──そうだな、上手いロブヌター料理をテイクアウトして待っていよう」
今しか食べられない料理をネタに、ディーノと腹心は笑いあった。
○ ○ ○
路地裏のボロ家の中で、メディエとセシルは打ちひしがれていた。
なぜこんなことになってしまったのか──その疑問に、二人は分からない、分かりたくないと首を振るだろう。
けれど、この状況を作り出したのは、間違いなく二人自身だった。
「オレ……もう……下着は盗らない……」
心底後悔している、とメディエはパンツを手に──している事に気がついて、メディエはあわててパンツを放り出した。
「……そうか、それは。良いことだ。うん」
セシルの返事も気もやる気がなく、投げやりになっている。
「……っていうか、なんで……なんで…………なんで装備できないんだよっ!」
ブラジャーは装備できるのに、パンツが装備できないなんて──メディエは信じられないものを見る目で、パンツを見る。知覚など行う必要もなく、理由はあきらかだった。
女性のパンツは装備品になる。男性のパンツは消耗品──装備出来ない。
つまり、メディエは男からパンツを盗んだ──それだけのことだ。
「う、う、う、うわぁあぁあぁぁぁぁぁっぁ」
とうとうメディエは頭を抱えて床を転がりだした。ごろんごろんとするたび、埃が舞ってきて──めんどくさいことになっている。
「何が、何がイヤって──ってことは、ブラの方もだっ。このブラにも男物があるってことだ! ちくしょう。お、おおおおおオレのお気に入りが、実は男物だったら。どうしたらいいんだよ!?
あああぁぁぁ。コノ超お気にのネコミミ──男物か? 女物なのか?? どっちだ、どっちなんだ?! オレは装備するべきか、どうなんだよ?
ってか、なんで男がブラしてんだァっ!」
力いっぱい叫んで少しは落ち着いたのだろう、床を転げまわる物体は動きを止めた。へたれているのは確かだが、これはメディエ自身の問題だ。セシルがどうこうと言えることではない。
メディエは触るのが嫌な男に自分から接触して、下着を盗んできた──事に耐えられなかったのだ。
しかし、実はセシルの方が取り返しのつかないことを行っていた。それは──
「……今後どうフォローしろと言うんだ? あのヒイロとかいう少年、きっと彼は住処を出て、王都に来る」
セシルが悄然としている理由──それは、彼が一人の少年の人生を変えてしまったからだった。
セシルがそのスキルを目にとめたのは、偶然だった。神託と呼ばれたそのスキルは、離れたところにいる相手に声を届けるスキルだった。
TWAではメインストーリーのクリアのために必要なスキルである。
当然、指定した相手と会話するのにも使用できるのだが、より簡便なチャット機能に追われて、死にスキルとなっていたのだった。
このスキルを使用すれば、人目がある中でもこっそりとメディエと話ができるのではないかと、試しに使用してみたのだった。
それなのに。
軽い気持ちで使用したスキルに返事があった時、メディエは愕然とした。
動かない頭で横にいるメディエに事の次第を相談すると、ごまかせと軽く言われて──ごまかし方を相談しているんだ、と怒っておいたのだが──とにかく、壮大な嘘をついた──気がするのだ。正確には覚えていないけれど。
自分が頭が働かないパニック状態に陥った時、まさか言葉を重ねて丸めこもうとするとは知らなかった。これも友人の悪影響であろうかとメディエを恨みがましく見つめるが。
「でもサ。TWAのオープニングってことはあれだよ──冒険に行こうぜ! って誘っただけじゃね? ホントに王都にくるなら、そんときに如何するか考えたらいいんじゃん。
──オレもさ、この山のようなパンツ、どうするか考えねェとなぁ。
ああああぁぁぁ、こんだけ男から盗んだんかよ!? アホじゃね? バカじゃね? 何考えてんだよ、過去のオレぇ」
その友人は自分の事でいっぱいいっぱいの様子だった。
「しかた、ない。やってしまったことは仕方がない」
セシルが諦めを多分に含んだ声で宣言する。それは開き直りというか居直りというか──ただし、床を転がるよりは建設的な意見であることに間違いなかった。
「そうだ、過去は悔んでもかえられない。うん、仕方ない。これを教訓として次へ生かせば良い。そういうことだ」
「うん。オレも今回のことを教訓として。男の下着は盗まない──否、もう下着は盗まない」
メディエとセシルは神託と窃盗 ──この二つを使用しないと誓ったのだった。
冒頭の貴族の話と中間の騎士の話で人数が違うのは、情報が遅いからです。
(一人目:前日昼、二人目:前日夜、三人目:朝)




