襲撃少年
3月の終わり頃。春休みの真っ只中。春の訪れを告げていた太陽の眩しくも暖かい輝きは、既に失われている。空には星がポツポツと現れており、月は光を湛えながら顔を覗かせている。
辺りは暗闇に包まれているものの、所々に置かれている電灯や自動販売機、往来を行き交う車の明かりに時折、照らし出されボクの眼にその光景を映し出す。
辺りの暗闇に同調し、溶け込んでしまいそうな漆黒のパーカーと、青いジーンズに身を包む。ボクは自動販売機の前で立ち止まった。
財布から数枚の硬貨を取り出し、投入口へと差し込む。それに伴い、光が点るボタンの1つを指先で軽く押す。ガシャンという音と共に、落ちた熱を放つコーンポタージュの缶を手に取る。財布をポケットにしまい、その温かさを両の手に感じながら、ボクは足を踏み出し始める。
ボクの左右の足は規則正しく一定の歩幅で動き続ける。耳には音楽プレーヤーに繋いだイヤフォンを付けている。流れ込むのは静かな夜に似つかわしくない、賑やかな音楽。それはボクの心を、感情を、少しずつ少しずつ、高揚へと導いていく。
いつもの公園へと足を向ける。ボクの瞳は不規則な動きを続ける。キョロキョロと周りを窺っている。敏感に人の気配を察知し、気付かれないよう、その動向を探る。ボクの目的に危害を加えるか、そうでないかを。
自販機から歩き始めて10分程で、目的の場所に辿り着く。決して、大きいとは言えない公園。その公園の数少ない遊具のうちの1つ、柵で囲われたブランコに腰掛ける。ブランコのイスの両端から伸びる2つの鎖。熱い缶から片手を離しその鎖の片方に手をかける。まだ冷たい夜の空気を吸い込んだ鉄の感触が掌に拡がる。
キィーコ・・・キィーコ・・・というブランコの軋む音。ボク以外に誰もいないこの空間。夜空に響き木霊する。
無意識的にブランコを漕ぎ始めた足とは裏腹に、ボクの瞳は意識を総動員して、辺りの様子を窺う。
けたたましい音楽を垂れ流すボクの耳元。それとは無縁の静寂の表情を見せる世界。
ボクはその世界に少し身を委ねながらも、忙しなく、瞳を動かしている。
音の無い世界はすぐに終わりを告げた。ボクが視界の端に人影を捉えたことによって。
音の出る耳栓を外し、体に合わせて揺れ動く椅子の動きを静かに止める。靴が道路を叩く音色が、音の無かった世界に徐々に大きくなりながら刻み込まれていく。重苦しい音ではない。軽快なコツ・・コツ・・という一定のリズムが奏でられている。
パーカーに付けられたフードを深々と頭に被る。音楽プレーヤーにイヤフォンを巻きつけ、ポケットに突っ込む。もう片方のポケットにはボクの手によって熱を奪われた缶を放り込む。ブランコを降り、静かに、けれど、足早に、人影を追うように歩き出す。
電灯の光で黒いシルエットはしっかりと彩りを持った人影へと変化し、映し出される。
手袋は着けておらず、チラリと見えた紐状のモノから彼女はイヤフォンを付けていると思われた。170位はあるだろうか?彼女はおそらくボクより大きく、その分スラッとした長い足を持っていた。その為か、歩幅もボクより大きく、置いて行かれないように、そして追いつけるように、ボクも必然的に歩みを速めなければならなかった。
彼女との距離は10メートルくらいであろうか?
中学2年頃から始めたこの行為。初めはおっかなびっくりといった具合でやっていたものの、今ではこなれたものだ。
彼女との距離は段々と縮まってきている。おおよそ5メートルといったところだろう。
ボクの行為。フラストレーションの発散は年を経る毎に少しずつ回数を重ねていった。回数を重ねる毎に、その間隔は短くなっていった。今では約1ヶ月の間をおいて行為を行っている。
彼女との距離はもう1メートルも無い。手を伸ばせば触れることの出来る距離。
彼女の手元をもう1度確認し、ボクは彼女の手に触れた。外気に素肌を晒した彼女の手を握る。そして、その手にボクはボクの欲求を、欲望を全て流し込む。
彼女の体はビクッと震えた。約1ヶ月振りの感覚。ボクが与えた欲求に反応する彼女。それに呼応するようにボクも震える。柔らかく、同時に刺激的な感覚。それを感じたいがためだけに繰り返した行動。思わず顔がニヤついてしまう。
しかし、すぐにボクが浮かべた笑みは凍りついてしまった。
彼女はボクの方を振り向き、怯えた眼をボクに向けたのだ。ボクと彼女の間に流れる沈黙。
彼女はボクに、ボクは彼女に恐怖を感じていたのだと思う。
お互いに。
彼女よりも、一足早く我を取り戻したボクは、彼女の手を強く握り、再び欲求を吐き出す。
彼女には何の変化も無かった。
ボクは彼女の手を放し、逃げ出した。
ボクはただのニンゲンだった。何か得体の知れないものに恐れを抱き、逃げ回る。
いや、逃げることでしか自分を守ることの出来ない弱いニンゲン。
焦りや恐怖を抱いた体は思うように動かず、足は絡まり、ボクは派手に転んだ。ポケットからポタージュの缶が飛び出したのだろうか。まだ蓋を開けてもいないあの缶が。鈍い音が耳に伝わるが、そんなことを気にしていられる心境ではなかった。
すぐさま立ち上がり、家まで必死に走った。後ろを振り返ること無く。走ることは得意ではなかったが、無我夢中で走っていた。やっとの思いで家に着いた時には、呼吸さえロクに出来無いような状態だった。
玄関で呼吸を整える。
いまさらになってこけた時に打った所が痛くなってきた。
落ち着いてきてから、汗まみれの服のまま部屋に上がる。
ベッドに倒れ込み、思案を巡らせる。
右手を顔の前に置き、力を込める。何も起こらない。
体を少し起こし、机の上に手を伸ばす。
親父が持っていたスタンガン。内緒で部屋に持ってきていたそれを手に取る。
そして、体に突き刺す。
何も・・・起きない。
ただただ、電気がボクの中に流れ込むだけだった。
それを何度か繰り返したところで、体に限界が来た。
ボクは気絶し、そのまま眠りに堕ちた。
読んでくださった方ありがとうございます。
次回投稿は気長に待っていただけるとありがたいです。
それでは~