シーン2:【美のサブスクリプション】枯れない欲望と、黄金の美容液
祖国の商人どもの情けない悲鳴が遠ざかり、工房には再び、魔道具の駆動音と静寂だけが取り残される。
外の新鮮な空気を吸い込もうと深呼吸をすると、冷たい風に混じって、まだ微かに彼らの泥と汗の臭いが鼻を掠めた。
俺は不快感に眉をひそめ、作業台の上の香炉に火を入れる。
パチリと小さな火花が弾け、乾燥させた白檀と柑橘の皮が焦げる匂いが、淀んだ空気を瞬時に浄化していく。
「さて、ネズミ駆除も終わったことだし、本命の仕込みに入るぞ。ウニ、手伝ってくれ」
「キュイッ!」
俺の呼びかけに、ウニが作業台の端からトコトコと駆け寄ってくる。
その短い前足を器用に使って、俺が並べたガラスの小瓶をツンツンと小突いている。
現在、帝国市場における俺の商会の認知度は最高潮に達している。
『星屑のラベンダー石鹸』で極上の肌触りと香りを教え込み、『純銀ガラス鏡』で彼らの現実(ありのままの姿)を残酷なまでに直視させた。
鏡というものは恐ろしい。
これまで曇った鉛の鏡で「自分は美しい」と錯覚していた貴族の令嬢たちは、昨晩届いた純銀の鏡を見て、自分の肌のシミ、小じわ、毛穴の開きに初めて気づき、絶望のどん底に叩き落とされているはずだ。
(自覚させた『コンプレックス』に、圧倒的な『解決策』を提示する。これが現代ECの最強のアップセル(追加販売)の導線だ)
俺は戸棚から、昨日市場の裏口で法外な高値で買い叩いてきた、帝国の南端でしか採れないという『太陽の砂漠草』の種子油と、純度百パーセントの『濃縮薔薇エキス』を取り出す。
さらに、魔力を含んだ特殊な地下水。
これらを組み合わせ、肌の細胞に直接魔力を叩き込んで強制的に若返らせる、究極の『美容液』を錬成する。
だが、水と油は本来混ざり合わない。
アルフェン王国の軟膏職人どもは、ここに不純物である蜜蝋を大量に混ぜて無理やり固めていた。だから肌に塗ると毛穴が塞がり、余計に肌が荒れるのだ。
「ウニ、お前の針の出番だ。魔力を微弱にして、超高速で震わせてくれ」
「キュルルル……ッ」
ウニが俺の意図を察し、小さな体を丸め、背中の針を青く明滅させながら極小の振動を放ち始める。
俺はその振動するウニの背中に、厚手のガラスボウルをそっと押し当てる。
ビリビリビリッ!
ガラス越しに伝わってくる、目に見えない超音波の波紋。
そこに、透明な種子油と薔薇エキス、そして地下水を一滴ずつ、本当に慎重に垂らしていく。
「……よし、いいぞ。そのままの振動をキープだ」
俺の額から汗が滲む。
瞬きすら惜しいほどの集中力。
水と油が、ウニの超音波振動によって分子レベルで砕かれ、不純物を一切介さずに白濁しながら結びついていく(乳化)。
工房の中を、噎せ返るような、しかし決して下品ではない、高貴で深みのある真紅の薔薇の香りが満たしていく。
香気だけで肌が艶めくような、圧倒的な成分の暴力。
やがて、ボウルの中の液体は完全に一体化し、白濁から透き通るような『黄金色』へと変貌を遂げた。
とろりとした、蜂蜜よりも軽く、水よりも濃厚なテクスチャー。
指先に一滴だけ垂らし、手の甲に伸ばしてみる。
「……!」
塗った瞬間に、液体が肌に吸い込まれるように消えた。
ベタつきは一切ない。代わりに、カサついていた手の甲の皮膚が、内側からパンッと弾けるような恐ろしいほどの水分とハリを取り戻している。
魔力が細胞を活性化させる微かなピリピリとした感覚の直後、生まれたての赤子のような滑らかさが顕現した。
「完璧だ。前世のデパートの1階で売ってる、一本数万円の高級美容液すら軽く凌駕してるぞ」
俺は歓喜の震えを抑えながら、完成した黄金の液体を、スポイトで小さなすりガラスの小瓶へと小分けにしていく。
一瓶あたり、わずか三十日分。
この『三十日分』という容量の少なさが、今回の最大の罠だ。
「キュ?」
ウニが小首を傾げ、なぜそんなに少しずつしか瓶に入れないのかと不思議そうにこちらを見上げている。
「いいか、ウニ。物を売る時、一番愚かなのは『一生使えるもの』を売ることだ。あの純銀の鏡は確かに高値で売れたが、あれは一度買えば割れない限り二度と買ってもらえない」
俺はスポイトの先から滴る黄金の雫を見つめながら、最も邪悪で、そして最も利益を生み出す現代ECのビジネスモデルを口にする。
「本当に恐ろしいのは、毎月、半永久的に顧客の財布から金を自動で吸い上げる仕組み。……『サブスクリプション(定期購入)』だ」
この異世界に、そんな概念は存在しない。
物を買うのは常に単発の取引だ。なくなったら買いに行く。それだけ。
だが、俺がこれから帝国の令嬢たちに仕掛けるのは、美への執着を利用した底なし沼だ。
「この『黄金の薔薇美容液』を一度でも肌に塗れば、その圧倒的な若返り効果に彼女たちは完全に依存する。……だが、容量は三十日分しかない」
俺は小瓶の蓋をキツく締め、照明用魔石の光にかざす。
瓶の中で揺れる黄金の液体が、怪しく、そして魅惑的に光を反射する。
「もし、三十日後にこの美容液が切れたらどうなるか。肌は元のくすんだ状態に戻り、あの残酷な純銀の鏡が、再び老いと醜さを容赦なく映し出す。……そんな恐怖に、プライドの高い貴族の女たちが耐えられると思うか?」
「キュウゥ……」
ウニがブルッと身震いをする。
その恐怖こそが、最高の集客だ。
「だから私は、今日の配信でこう囁くのさ。『買い逃すのが不安な皆様のために、毎月決まった日に、自動で魔力転送陣へ商品をお届けする特別契約をご用意いたしました』ってね」
一度契約の波長を結んでしまえば、あとは毎月自動で金貨が引き落とされ、商品が送られ続ける。
解約の波長を送らない限り、一生続く搾取のループ。
在庫管理の予測も完璧に立ち、利益は雪だるま式に膨れ上がる。
前世の化粧品業界がこぞって導入した、人間の心理の脆弱性を突く悪魔のシステムだ。
「価格は……そうだな。単発購入なら金貨十枚。だが『定期購入』を結んでくれた客には、特別に初回のみ金貨三枚で提供しよう」
お得感で敷居を極限まで下げ、一度沼に引きずり込めば、あとは定価で延々と絞り取る。
この圧倒的な品質の前に、解約ボタンを押せる女など一人もいない。
俺は羊皮紙を引っ張り出し、羽ペンにインクをたっぷりと含ませて、今夜の配信用のフリップを狂ったような速度で書き殴っていく。
カリカリカリッ! という鋭い音が工房に響く。
『鏡に映る現実に、絶望していませんか?』
『塗るだけで、十年前のあなたを取り戻す魔法の雫✨』
『⚠️毎月自動でお届け! 安心の定期便契約スタート!⚠️』
文字が紙の上で踊り、暴力的なまでの説得力を持って形を成していく。
帝国の市場は、今夜の配信で完全に俺の『仕組み』の前に平伏すことになる。
「……さあ、祖国の無能どもが在庫不足で右往左往している間に、帝国の富の蛇口を、根こそぎ俺の商会に繋ぎ変えてやろう」
俺は書き上がったフリップを指で弾き、通信魔道具のレンズ(映像水晶)の横にセットする。
外の太陽はすでに高く昇り、帝都の喧騒が再び活気を帯び始めている。
だが、その活気の裏側で、アルフェン王国という一つの国家の心臓が、ゆっくりと、しかし確実に停止に向かっていることを、俺の頭の中の計算式は冷酷に弾き出していた。
「ウニ、今夜は忙しくなるぞ。……帝国のすべての金庫の底を、ひっくり返す準備だ」
「キュイッ!!」
ウニが前足を高く上げ、気炎を吐くように勇ましく鳴く。
俺の唇に浮かぶ三日月型の笑みは、黄金の美容液よりもさらに深く、妖しい光を放っていた。




