シーン3:【真実を映す鏡】同時接続数1000超えの熱狂と、祖国崩壊の足音
窓の外から、ガチャリ、ガチャリと規則正しい金属音が聞こえてくる。
帝都の夜をパトロールする衛兵の足音ではない。今日から俺の工房の周囲を完全に包囲し、蟻の子一匹通さない鉄壁の警備を敷いている、ヴァルツ帝国皇帝直属の近衛騎士団が立てる甲冑の音だ。
「ギルドの豚どもが二度と近づけないよう、最高級の案山子を置いてやる」というレオンハルトの言葉通り、俺のボロ小屋は今や、帝都で最も安全不可侵な要塞へと変貌していた。
工房の中は、外の冷気とは対照的に、魔道具の放つ熱と俺自身の興奮でむせ返るような温度に達している。
「……よし。画角ヨシ、照明ヨシ、音声のノイズキャンセリングも異常なし」
俺は作業台の上に設置された配信魔道具のレンズ(映像水晶)を慎重に磨き上げながら、最終チェックを口に出して確認する。
背後の白ホリ(撮影用背景)の前には、真紅のベルベットの布が掛けられた、縦長の『何か』が鎮座している。
俺が今日、帝都の貴族どもの度肝を抜くために用意した最高傑作だ。
「キュイッ、キュキュッ!」
足元では、ウニが「早く始めようぜ!」とばかりに俺のドレスの裾を引っ張っている。
昨晩の配信ですっかり味を占めたらしい。魔獣のくせに、画面の向こうの視線を浴びる快感に目覚めてしまったようだ。
「分かってるよ。お前も今日は大事なモデル(役者)だからな。しっかり頼むぞ」
俺はウニを抱き上げ、作業台の端の定位置に座らせる。
そして、小さく深呼吸を一つ。
肺の奥まで夜の空気を取り込み、アルフェン王国で培った完璧な令嬢の微笑みを顔面にセットする。
指先が、通信魔道具の送信スイッチに触れる。
昨晩はたった3人からのスタートだった。だが、今日は違う。
昼間にあの超高級馬車の群れが帝都中を走り回り、「あの石鹸の商会が今夜また何かを売るらしい」という噂は、すでに上流階級のネットワークを完全に駆け巡っているはずだ。
「さあ、見せてみろ。この帝国の本当の購買力を」
カチッ。
俺は力強くスイッチを押し込んだ。
ブゥゥゥン……ッ!!
起動と同時。
魔道具の基部に取り付けられた『共鳴石』が、俺の予想を遥かに超える、暴力的なまでの光の明滅を始めた。
昨晩はポツリポツリと灯った黄色い光の粒。
それが今は、スイッチを入れたコンマ一秒後には『塊』となって共鳴石の表面を埋め尽くしたのだ。
100……300……500……800……!
「うおっ!?」
あまりの接続要求の多さに、魔力回路が悲鳴を上げて火花を散らす。
数字は止まらない。
1000……1200……!
最終的に、共鳴石は『同時接続数1500』という、この魔道具の処理限界ギリギリの数字を叩き出してようやく安定した。
(マジかよ。帝都の貴族、全員通信機に張り付いてたんじゃないか!?)
空中に展開されたコメント欄は、もはや滝などという生易しいものではない。光のレーザービームのように文字が流れ去っていく。
『待っていたぞ! 今日は何を売るんだ!』
『石鹸だ! 石鹸を出せ! 妻が後ろで包丁を持っているんだ!』
『昨日の女だ! 本当に時間通りに通信が始まったぞ!』
俺は圧倒的な熱量に一瞬眩暈を覚えそうになるが、すぐに腹に力を入れ、カメラの真正面に立つ。
「ごきげんよう、画面の向こうの素晴らしい旦那様、奥様方。……昨晩に引き続き、お目にかかれて光栄ですわ。セシリアと申します」
俺が優雅にカーテシーを決めると、ウニも隣で短い前足をクロスさせてお辞儀のポーズをとる。
その瞬間、コメント欄に『可愛い!』『あのトゲトゲまた出た!』という黄色い歓声(の文字)が弾けた。
掴みは完璧だ。
「石鹸をお求めの皆様、大変申し訳ございません。あちらは現在、熟成のために数日のお時間をいただいております。……ですが、本日は、昨晩ご縁がなかった皆様にも、絶対に後悔させない『奇跡』をお持ちいたしました」
俺はもったいぶった足取りで、背後の真紅のベルベットの布の横に立つ。
そして、カメラを見つめたまま、スッと目を細めた。
「皆様は毎朝、身支度をする際に、ご自身の美しいお顔を何に映しておられますか? ……青銅の鏡? それとも、アルフェン王国から輸入された、高価なガラス鏡でしょうか」
『王国のガラス鏡だ! 金貨三十枚もしたぞ!』
『くすんでいて顔色が悪く見えるが、あれが最高級品だろう?』
コメントの反応を拾いながら、俺はわざとらしくため息をつく。
「ええ。アルフェン王国のガラス鏡は、確かにこれまでの『最高』でした。裏面に鉛やスズの箔を塗っただけの、気泡だらけで、輪郭がぐにゃりと歪む……あんな粗悪品が、皆様の真実の美しさを映し出せているとお思いですか?」
俺の挑発的な言葉に、コメント欄が『なんだと?』『王国の鏡を愚弄するのか』と少しだけざわつく。
それを待っていた。
常識を否定し、そこに圧倒的な解決策を叩き込むのが、プレゼンテーションの極意だ。
「百聞は一見に如かず。……刮目なさいませ。これが、皆様の『真実の姿』を映し出す魔法です」
バサッ!!
俺は一気に、真紅のベルベットの布を引き剥がした。
照明用魔石の強烈な光が、その表面に反射し、カメラのレンズに向かって一直線に眩い閃光を放つ。
そこに現れたのは、縦一メートル、横五十センチの巨大な『平面』。
気泡一つ、歪み一つない、完全なる平滑。
俺が前世の知識である『銀鏡反応(硝酸銀の還元)』を魔法の触媒で強引に再現し、純粋な銀の皮膜をガラスの裏面に定着させた、世界初の『純銀ガラス鏡』だ。
カメラのレンズが、鏡の表面を大写しにする。
そこには、驚愕に目を見開く俺自身の顔と、作業台の上の機材が、まるで世界をもう一つ切り取って貼り付けたかのように、鮮明に、色彩の狂いなく映し出されていた。
ピタリ、と。
1500人が書き込んでいたコメント欄の動きが、完全に停止した。
「キュ?」
ウニがトコトコと鏡の前に歩いていく。
鏡に映った『もう一匹のウニ』を見て、本物のウニが「キュアッ!?」と驚いて飛び跳ねる。
鏡の中のウニも、全く同じタイミングで、全く同じ青い針の輝きを放って飛び跳ねる。
その完璧すぎる反射、色彩の再現度、輪郭の鋭さ。
それがどれほど異次元の技術であるか、画面の向こうの貴族たちは一瞬で理解したはずだ。
「ご覧いただけましたでしょうか。ご自身の肌のキメ、瞳の奥の光、そしてドレスの絹の糸一本一本まで……すべてをありのままに映し出す『真実の鏡』です」
俺の声が、静まり返った1500人の鼓膜に甘く囁きかける。
「これを見てもまだ、あの歪んだ鉛の鏡で、皆様の美しさを妥協できますか?」
――ピロロロロロロロロロッ!!!
次の瞬間、通信魔道具が爆発したかと思うほどの通知音が鳴り響いた。
光の濁流。いや、もはや文字の形を成していない、純粋な『欲望』の塊が画面を埋め尽くす。
『なんだあれは!? 別世界が中に入っているのか!?』
『銀だ! 裏の輝きが鉛じゃない、純銀だぞ!』
『おい、嘘だろう!? あんな大きさの完全な平面ガラスなんて、神の御業だ!』
『言い値で買う! いや、私に売れ! 王国の鏡など今すぐ窓から投げ捨ててやる!』
狂乱。
石鹸の時とは比べ物にならない、桁違いの熱狂が渦巻いている。
鏡というのは、貴族にとって単なる日用品ではない。己の権力と美貌を誇示するための『究極のステータスシンボル』なのだ。
それを、こんな圧倒的な品質で見せつけられて、理性を保てる人間などこの世にいない。
「お値段は、金貨五十枚。……そして本日の限定数は、たったの『5枚』でございます」
俺が冷酷なまでに少ない数字を提示した瞬間、受信盤の決済ランプが一斉に真っ赤に染まった。
『安い!! 安すぎる!!』
『私が先だ! 波長を繋げ!』
『どけお前ら! 公爵家の権限で回線をジャックしろ!』
俺は押し寄せる決済リクエストの中から、手当たり次第に上位5名を選び出し、一瞬で販売を完了させる。
「はいっ! たった今、5枚すべてが完売いたしました! ご購入いただいた五名の旦那様方、至急転送陣にて商品をお送りいたします!」
『ああああああっ! また買えなかった!!』
『ふざけるな! 金貨百枚出すと言っているだろう!』
『頼む、次こそは! 次こそは私に!』
買えなかった1495人の絶望と怒りが、一気に『スパチャ(投げ銭)』という形の暴力となって転送陣に降り注ぎ始める。
チャリン! ジャララララララッ!!
昨晩を遥かに超える勢いで、金貨の山が崩れ、新たな黄金の峰を形成していく。
「キュウゥゥ!」とウニが金貨の雨を避けて俺の肩に駆け上ってくる。
『次はいつだ! 明日の夜か!?』
『セシリア嬢! その美しき鏡の創造主に、金貨二十枚だ!』
『私の館専用の通信回線を引かせてくれ!』
俺は肩の上のウニの喉を撫でながら、とめどなく流れる金貨とコメントの光を、満足げに、そして冷酷に見つめていた。
(いいぞ。お前らの家にあるアルフェン王国の鏡は、今日からすべて『時代遅れのゴミ』になった。これでもう、王国の鏡に金貨三十枚を払うバカはいなくなる)
その時だった。
光速で流れるコメント欄の中に、ひときわ異彩を放つ、焦りと困惑に満ちた書き込みがチラリと見えた。
『おい、冗談じゃないぞ……! あのクオリティ、我がアルフェン王国の公爵家の工房でも絶対に作れない代物だ!』
(ん?)
俺は視線を鋭くし、そのコメントの波長を追う。
どうやら、帝都に滞在しているアルフェン王国の輸入商人のようだ。
『そもそもどうなっているんだ! 今日、本国の商人ギルドから「北のケイ砂鉱山が突然取引を停止したため、鏡の輸出を全面ストップする」という緊急の手紙が届いたばかりだというのに!』
『我が国の物流が麻痺している最中に、帝国のこんな片隅で、あんな神業の鏡が売られているだと……!?』
俺の口角が、ゆっくりと、そして三日月のように深く吊り上がった。
(……始まったか)
追放されてから、まだたったの二日。
だが、俺という『巨大な楔』を失ったアルフェン王国のサプライチェーンは、すでに音を立てて崩壊を始めているらしい。
北の鉱山ギルドが動かなくなったということは、鏡だけでなく、ガラス製品すべての製造がストップするということ。
それはつまり、王国の最大の収入源が絶たれることを意味する。
「……あら? アルフェン王国からの輸入が止まっているのですか?」
俺はわざとらしく、小首を傾げてカメラに向かって問いかける。
「それは大変ですね。王国の鏡は高価ですから、手に入らなくなれば、帝国の皆様もさぞお困りでしょうに」
言葉とは裏腹に、俺の瞳はゾクゾクするような歓喜に濡れている。
コメント欄の帝国の貴族たちが、すかさず反応する。
『困るものか! あんな鉛のゴミ、もうタダでもいらん!』
『そうだ! 我々にはセシリア商会の「真実の鏡」がある!』
『王国など放っておけ! セシリア嬢、早く次の鏡を作ってくれ!』
「ふふっ……皆様、ありがとうございます。ご期待に添えるよう、身を粉にして制作に励みますわ」
俺は深々とカーテシーをし、最高のカタルシスを胸に抱きながら、通信の切断スイッチに手を伸ばした。
(アルベルト。バルディス。……お前らが今頃、王城の執務室で青ざめた顔をして報告書を読んでいる姿が目に浮かぶよ)
物流は止まり、在庫は尽き、最大の顧客である帝国市場は俺が完全にジャックした。
『ざまぁみろ』なんて安い言葉では足りない。
これは、無能な愚者たちへの、最も残酷で完璧な『経済的処刑』の始まりなのだ。
「――本日の配信はここまで。また明日、皆様の欲望の底でお会いいたしましょう」
ブツンッ。
通信を切断した瞬間、工房を支配していた熱狂の光が消え、静寂と、山のように積まれた金貨の冷たい輝きだけが残された。




