シーン2:【玉座なき謁見】最強のパトロンと、不敵な追放令嬢の取引
吹き飛んだ樫の木の破片が、足元でパラパラと乾いた音を立てて崩れ落ちる。
工房に開いた巨大な風穴から、帝都の冷たい朝の空気が一気に流れ込んできた。
逆光を背負って立つ巨躯。
ヴァルツ帝国皇帝、レオンハルト。
彼が一歩、泥だらけの床を踏みしめるたびに、見えない重圧が足元から這い上がり、俺の心臓を直接鷲掴みにしてくるような錯覚に陥る。
息が、詰まる。
アルフェン王国の王太子アルベルトが放っていたような、虚飾に満ちた薄っぺらい威圧感とは次元が違う。これは数多の戦場を駆け抜け、絶対的な権力で数百万の民を統べる『本物の強者』だけが持つ、濃密で暴力的なオーラだ。
「キュ、キュアァ……ッ」
首筋に隠れていたウニが、恐怖に耐えかねて小さな悲鳴を上げ、俺の谷間のさらに奥深くへと潜り込んでガタガタと震え出す。
その微かな振動が、逆に俺の冷え切っていた脳細胞を強制的に覚醒させた。
(……ビビるな。相手が誰であろうと、ここは俺の店だ。主導権を渡せば、一生いいように買い叩かれるだけだぞ)
俺は奥歯を強く噛み締め、アルフェン王国で鍛え上げた『完璧な公爵令嬢の微笑み』を顔面に貼り付ける。
そして、泥だらけのドレスの裾を優雅につまみ、皇帝に向かって一歩も引かずに、堂々たるカーテシーを披露した。
「ごきげんよう、皇帝陛下。……いささか手荒なご訪問ですが、当工房はいつでも大歓迎でございます」
俺の淀みない挨拶に、レオンハルトはピタリと足を止める。
彼の黄金の瞳が、俺の顔、煤だらけのドレス、そして背後の作業台に乱雑に積まれた金貨の山を、値踏みするように舐め回す。
そして、フッと鼻で笑った。
「ほう。震え上がって命乞いをするかと思ったが……見事な胆力だ。それとも、単に状況が理解できていないだけの阿呆か?」
「阿呆であれば、陛下からいただいた『三本の黄金』を前にして、あのようなギルドの小悪党を追い払う芝居は打てませんわ」
俺が視線だけで作業台の上のインゴットを示すと、レオンハルトは喉の奥で低く笑う。
彼は歩みを進め、無造作に作業台の前に立つ。
そして、昨日俺が徹夜で銀のワイヤーを繋ぎ合わせた、不格好な『配信魔道具』を太い指で軽く小突いた。
「っ、陛下! それにはお手を触れないでいただきたい! 少しでも配線がズレれば、明日の通信で帝都中の魔力網がショートします!」
俺が思わず声を荒げると、レオンハルトは驚いたように眉を上げ、すぐに面白そうに口角を吊り上げた。
「なるほど。このガラクタの寄せ集めのような塊が、昨晩、俺の夕食の時間を邪魔した元凶というわけか」
「邪魔、とは心外な。退屈な宮廷の夜に、極上の娯楽を提供したと自負しておりますが」
「娯楽、だと?」
レオンハルトの黄金の瞳が、スッと細められる。
空気が、再び刃物のように研ぎ澄まされた。
彼は配信魔道具のレンズ(映像水晶)を見下ろしながら、低く凄みのある声で呟く。
「……昨晩、一部の貴族の館から異常な魔力波長が検知されたと報告があった。俺が直々に通信機を覗いてみれば、そこには見ず知らずの女が、泥を固めたような石鹸を法外な値段で売り捌き、あまつさえ貴族どもから無数の金貨を巻き上げている光景が映し出されていた」
彼は作業台に転がっていた金貨を一枚指で弾き、空中で見事にキャッチする。
「お前はこれを『娯楽』と言うがな。俺には、そうは思えん」
「……と、仰いますと?」
俺は表情を崩さず、内心で冷や汗をかきながら次の言葉を待つ。
「これは、戦争より強い武器だ」
ドンッ、と。
レオンハルトが拳を作業台に叩きつける。
その振動で金貨の山が崩れ、チャリンチャリンと硬質な音を立てて床に散らばった。
「情報を一方的に流し込み、価値観を操作し、民衆の財布の紐を直接開かせる。もしお前が、この魔道具を使って『帝国は滅びる』と囁き続ければ、数日で暴動が起きるだろう。……違うか?」
(……っ! この男、一瞬で『マスメディアの恐ろしさ』に気づきやがった!)
俺の背筋に悪寒が走る。
アルフェン王国の王太子や宰相は、目先の利益と物流の仕組みすら理解していなかった。
だが、このヴァルツ帝国の絶対者は違う。
『配信』という、俺が前世の知識から持ち込んだ全く新しい概念の本質を、たった一度の視聴で完璧に見抜いている。
この男をごまかすことは不可能だ。
「……流石は皇帝陛下。慧眼、恐れ入ります」
俺は微笑みを消し、まっすぐにレオンハルトの瞳を見据える。
ここからは、命を懸けた大商い(プレゼンテーション)だ。
「おっしゃる通り、この『配信魔道具』は使い方次第で国を傾ける毒にもなります。ですが、私は商人。血の流れる戦争にも、退屈な政治にも興味はございません」
「では、何が目的だ。アルフェン王国を追放された公爵令嬢セシリアよ」
(すでに俺の素性まで割れているのか。仕事が早すぎる)
俺は隠していたウニを胸元から取り出し、作業台の上にそっと置く。
ウニは「キュ?」と首を傾げながら、レオンハルトの太い指の匂いを嗅ぎに行き、彼もまた無骨な指先でウニの背中の針を器用に撫で始めた。
その奇妙で和やかな光景を挟みながら、俺は両手を広げ、はっきりと宣言する。
「私の目的は一つ。この帝国の、いえ、世界の経済を『私の手で作り変える』ことです」
「……作り変える?」
「はい。陛下もご存知のはずです。現在の帝国は軍事力こそ強大ですが、流通はギルドに独占され、平民は粗悪品を高値で買わされ、貴族は他国の輸入品に莫大な国庫の金を吸い取られている。……あまりにも、非効率で退屈な市場です」
俺は作業台の下から、先ほど仕込んでおいた『完璧なガラス鏡』を取り出し、レオンハルトの前に提示する。
歪み一つない、銀と硝子の見事な融合。
レオンハルトの顔が、わずかに驚きに染まる。
「私は、この通信網を使って、本当に価値のあるものを、欲しがる人間の元へダイレクトに届けます。ギルドの搾取も、国境の壁も、身分の差も関係ない。圧倒的な『熱狂』で、この国の経済を根底から回してみせます」
「……」
「陛下がもし、私を危険分子としてこの場で斬り捨てるなら、それはそれで構いません。ですが……」
俺は一歩踏み出し、レオンハルトの顔の数ギリギリまで近づく。
彼の瞳の奥底で、野心という名の炎がメラメラと燃え上がっているのが見える。
「もし、私のこの『力』を帝国のために生かしたいとお考えなら。……私と、専属契約を結びませんか?」
沈黙が、重く、そして甘美に工房を満たす。
ウニが「キュイッ!」と空気を読まずに鳴き、レオンハルトの指を軽く甘噛みした。
その瞬間。
「……くっ、ふはははははっ!!」
レオンハルトは天を仰ぎ、腹の底から雷鳴のような大爆笑を響かせた。
窓ガラスがビリビリと震えるほどの圧倒的な声量。
「いいだろう! 追放された身一つで、この俺を相手に商談を持ちかけるか! その図太さ、見事だ!」
彼は笑い涙を指で拭いながら、ギラギラとした瞳で俺を見下ろす。
「面白い。もっと見せろ、セシリア。お前のその『商売』とやらで、この停滞した帝国をどうひっくり返すのか、最前等席で見せてもらうぞ。……で、契約の条件はなんだ?」
「話が早くて助かります」
俺は待ってましたとばかりに、徹夜で書き上げておいた契約書の羊皮紙を束で叩きつける。
「条件は三つ。第一に、私の商会への商人ギルドの不干渉、および帝国内での完全な商売の自由の保証。第二に、帝国騎士団による流通ルートの絶対的な保護と優先権。そして第三に……」
俺はにっこりと、最高に邪悪で、そして魅力的な笑みを浮かべる。
「当商会の利益にかかる税率を、今後十年間、現在の『平民の屋台レベル』で固定していただきます」
「……なんだと?」
レオンハルトがピクリと眉を動かす。
「お前、自分がこれからどれほどの利益を出すつもりか分かっているのか? 税率を固定すれば、国庫に入るはずの莫大な金が、すべてお前の懐に収まることになるぞ」
「あら。私は『帝国の経済を回す』とは言いましたが、国庫を潤すとは一言も申し上げておりませんわ。私が稼いだ金は、すべて次の事業の投資に回します。結果的に、帝国の民の生活水準がアルフェン王国を遥かに凌駕することをお約束します」
俺は悪びれもせず言い放つ。
これこそが、ECの頂点に立つための絶対条件。
利益を吸い上げられるのではなく、利益を再投資して市場を独占する『アマ〇ン方式』だ。
レオンハルトは契約書と俺の顔を交互に見比べ、やがて、呆れたように、しかし心の底から楽しそうに大きなため息をついた。
「……狂っているな、お前は。だが、その狂気がたまらなく面白い」
彼は腰の剣の柄から手を離し、俺に向かって太く、傷だらけの右手を差し出した。
「契約成立だ。今日からお前は、帝国公認の特権商会を名乗るがいい。俺の名と紋章、好きに使え」
「感謝いたします、陛下(最高のパトロン様)」
俺はその大きな手を、両手でしっかりと握り返す。
ゴツゴツとした硬い掌。
だが、その奥にある熱い血の巡りが、確かな『契約』の証として俺の手に伝わってくる。
「キュイイッ!」
ウニも二人の間に立ち上がり、短い前足を上げて万歳をするようなポーズをとった。
「さて、と。最強の後ろ盾も手に入れたことだし……」
俺はレオンハルトの手を離し、背後の配信魔道具を振り返る。
今夜の配信。
アルフェン王国の貴族たちが欲しくて欲しくて発狂する『魔法の鏡』の販売。
そして、その裏で静かに、しかし確実に崩壊し始めているであろう、俺を追放した祖国の物流網。
「さあ、世界一の商売の、第二幕の開演だ」
俺の胸の奥で、カチリと時計の針が進む音がした。
ここから先は、止まらない。
金貨の雨を降らせ、情報を支配し、俺を侮った者たちすべてに、最高の『ざまぁ(絶望)』を叩き込んでやる。




