シーン1:【断罪の舞踏会】冷たい視線と、勘違いの王太子
毎日投稿チャレンジ挑戦中です。
20時に投稿しますので、よろしくお願いします。
シャンデリアの過剰な魔力光が、鼓膜を刺すような高い耳鳴りを伴って空間を白く焼き尽くしている。
王城、大舞踏会。
シルクやタフタの重厚なドレスが擦れ合う、ざわざわとした衣擦れの音。グラスに注がれた安っぽい葡萄酒の酸気と、貴族たちがこれ見よがしに振りまく甘ったるい香水の匂いが混ざり合い、胃の奥をひどく刺激してくる。
息を吸うだけで胸焼けがしそうだ。
俺――公爵令嬢セシリア・アルフェンは、フロアの片隅で、冷え切ったグラスの表面を指先でなぞる。
結露した水滴がシルクの手袋にじんわりと染み込んでいく冷たい感覚。今の俺にとって、それだけが唯一、確かな現実だ。
「……ねえ、見た?」
「ええ、あの方よ。よくもまあ、あんな平然と立っていられること」
「殿下の温情を仇で返すなんて、公爵家の恥ね」
四方八方から突き刺さる、粘着質で冷ややかな視線の雨。
色とりどりの扇子で口元を隠した令嬢たちが、俺を遠巻きに囲んでひそひそと囁き合っている。
声のトーンはわざとらしく大きく、視線は俺の顔と床を忙しなく往復している。
まるで、これから処刑台に上がる罪人が怯える様を観察するような、下世話で残酷な好奇心。
(なるほど。完全に包囲網ができあがっているわけだ)
俺はグラスの中の琥珀色の液体を軽く揺らす。
氷がカランと乾いた音を立てる。
怒りはない。悲しみもない。ただ、ひたすらに白々しい。
誰も彼もが、三文芝居の脇役のようにわざとらしい振る舞いで、自分の立ち位置をアピールしている。
優雅なワルツの旋律が、不自然なほど唐突に鳴り止む。
楽団員たちがそそくさと楽器を置く音が響いた直後。
代わりに空間を支配したのは、大理石の床を乱暴に、そして規則正しく叩く金属的な靴音だ。
「皆の者、静まれ!」
よく響く、だがどこか薄っぺらく中身のない男の声が、シャンデリアの光を切り裂く。
声の主は、正面の豪華なバルコニーから、広間の下等な生き物たちを見下ろすように立っている。
金糸の刺繍がこれでもかと施された、趣味の悪い純白の夜会服。過剰な香油で固められた金髪。
このアルフェン王国の次期国王、アルベルト王太子その人だ。
「……アルベルト殿下」
俺が小さく呟くと同時に、フロアに群がっていた貴族たちが一斉に道を開ける。
モーセの十戒さながらに真っぷたつに割れた人波。
その視線の先で、アルベルトは芝居がかった手つきでマントを翻し、俺をビシッと指差す。
手すりに置かれた彼の左手は小刻みに震え、口元は隠しきれない優越感と陶酔でだらしなく歪んでいる。
(うわぁ……自分の見せ方に完全に酔いしれてるな、あれ。鏡見て練習でもしたのか?)
俺は内心で深いため息をつく。
スポットライトのように魔力光が彼に集まり、周囲の貴族たちが期待と熱狂に満ちた視線を送る。
彼はその視線を全身に浴びて、さも自分が正義の代行者、悪を討つ勇者であるかのように胸を大きく張る。
「セシリア・アルフェン! 前に出ろ!」
大広間にビンビンと響き渡る、無駄に声量だけの怒声。
俺は焦ることもなく、グラスを近くの給仕の盆に静かに置く。
そして、ゆっくりと歩み出る。
ヒールの足音が、水を打ったように静まり返った空間にコツ、コツと規則正しく響く。
群衆の真ん中まで進み出ると、俺はドレスの裾を優雅に持ち上げ、完璧な角度でカーテシーを決める。
指先の角度、背筋の伸び、膝の曲げ方。王国のマナー講師が泣いて喜ぶほど完璧な所作だ。
「お呼びでしょうか、殿下」
「白々しい態度をとるな! お前のその傲慢な顔を見るのも、今日で最後だ!」
アルベルトはバルコニーの手すりをバンッと力任せに叩き、唾を飛ばさんばかりの勢いで叫ぶ。
手すりの飾りがカチャカチャと情けない音を立てる。
「私は今、この場において! 貴様との婚約を破棄する!」
おおぉっ、と。
周囲の貴族たちから、これまた見え透いた驚きの声が一斉に上がる。
扇子で口を覆う女たち、大げさに首を振る男たち。
(いや、さっきまでお前ら全員知ってたような顔でこっち見てたじゃん。リハーサル済みかよ)
とツッコミたくなる衝動を、俺は冷たい微笑みの裏にきっちりと押し隠す。
「婚約破棄、ですか」
俺のトーンは、あくまで平坦だ。
動揺も、すがりつくような涙も、悲鳴もない。
ただ、本日の夕食のメニューを聞き返すような、極めて事務的な声。
自分の期待していた「泣き崩れる令嬢」の姿が見られなかったせいか、アルベルトの顔がカッと不様に朱に染まる。
「そうだ! 貴様は私を、いや、この国を裏切った! その薄汚い本性を、私がすべて暴き出してやる!」
彼はバサッとマントを翻し、階段を一段飛ばしでドタドタと降りてくる。
足元の絨毯がズレて一瞬よろけそうになったのを、俺は見逃さない。
周囲の空気が、ピリッと張り詰める。
室温が数度下がったかのような錯覚。
しかし、俺の頭の中は驚くほどクリアで、冷え切っている。
(裏切った、ね。……なるほど、そういう筋書きで俺を排除するつもりか)
俺は瞬時に現在の王国の経済状況と、自分の役割を脳内で計算する。
現在のアルフェン王国の主要な輸出品――鏡、香料、加工ガラス、石鹸。
そのすべての物流ルート、価格交渉、商人ギルドとの泥臭い調整。
これらはすべて、公爵家というより、俺個人の頭脳と独自のネットワークでギリギリ回っている状態だ。
それを「裏切り」と称して切り捨てる?
「私が、国を裏切ったと?」
「とぼけるな! 貴様が権力を傘に着て我が国の財を貪り、私腹を肥やしていた証拠はすでに挙がっている!」
アルベルトの背後から、一人の男が滑り出るように現れる。
音もなく歩み寄ってきたのは、黒い法衣に身を包んだ、痩せぎすの男。
王国宰相バルディスだ。
彼の落ち窪んだ細い目が、獲物を狙う蛇のように粘っこく俺を舐め回す。
「セシリア嬢。もはや言い逃れはできませんぞ」
バルディスの手には、紐で厳重に縛られた分厚い羊皮紙の束が握られている。
それが何なのか、俺は直感的に理解する。
と同時に、鼻先をかすめた微かな匂いに気づく。
(……新しいインクの匂い。それに、羊皮紙の端が全く擦り切れていない。数年分の横領の証拠とやらが、昨日今日作られたばかりの新品かよ)
呆れてため息も出ない。
「横領、そして国家反逆。……その類まれなる美貌の裏に、どれほどの猛毒を隠し持っていたことか。王国の財を隣国へ横流ししていた罪は重い」
宰相のねっとりとした声が、広間の隅々にまで響き渡る。
貴族たちのひそひそ話が、今度は露骨な非難の刃となって降り注ぐ。
「やはり公爵家は力を持ちすぎだと思っていたのよ」
「国庫の金を自分のものにするなんて、泥棒猫め」
「殿下がいち早く気づかれて本当によかったわ」
(……バカばっかりだ)
俺は、真新しい羊皮紙の束を恭しく掲げるバルディスと、勝ち誇った顔で胸を張るアルベルトを交互に見つめる。
こいつらは、自分たちが今、自らの首にどれほど太く、頑丈な縄をかけているのか、欠片も理解していない。
俺という『要』を引き抜いた瞬間、この国の物流がどうなるか。
数日後には市場から物が消え、価格が暴騰し、民衆の怒りが爆発する。
その簡単な経済の仕組みすら、この無能な王太子と欲深い宰相の頭には入っていないらしい。
「殿下。その『証拠』とやらを、私にも拝見させていただけますか」
俺が一歩前に出る。
たったそれだけで、アルベルトはビクッと肩を大きく揺らし、慌てて一歩後ずさる。
(おいおい、そんなにビビるなら最初から喧嘩売るなよ)
「み、見せる必要などない! これは王家の名の下に、宰相が直々に調査し、すでに真実と認定されたものだ!」
「真実、ですか。それは素晴らしい。では、その揺るぎない真実に基づき、私にどのような処分を下されるおつもりで?」
俺が口角をわずかに上げて微笑むと、アルベルトは俺が強がっていると勘違いしたのか、再び自信を取り戻したようにニヤリと下品に笑う。
「決まっている! セシリア・アルフェン、お前の公爵家における全権限を剥奪し、このアルフェン王国から永久追放とする! 今すぐ着の身着のままで王城を出て、国境の外へ消え失せろ!」
追放。
その言葉が発せられた瞬間、俺の胸の奥で、カチリと何かの鍵が開く音がした。
それは絶望ではない。
悲しみでも、未練でもない。
コルセットから解放されたような――圧倒的な、自由の予感だ。
「……かしこまりました」
俺はドレスの裾をつまみ、この日一番の、そしてこの国で見せる最後の、優雅なカーテシーを披露する。
「殿下のご決断、確かに承りました」
顔を上げた俺の瞳には、一切の陰りがない。
誰にも止められない、底抜けに明るい笑みが浮かんでいる。
予想外の反応に、アルベルトが、そしてバルディスが一瞬、得体の知れないバケモノでも見るように目を丸くする。
(さあ、どうなるか見ものだな。俺という『インフラ』を自ら叩き割ったこの国が、いつまでその優越感を保っていられるか)
シャンデリアの狂ったような光が、俺の金髪を乱反射してキラキラと輝く。
未開の地へ放り出される?
違う。
ここから始まるのだ。
世界中の富をかき集める、俺の規格外の商売が。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます!
セシリアのこれからを「応援したい」と感じていただけたなら、
評価や感想を入れていただけると、とても励みになります。
あなたの応援が、この世界をもっと広げてくれます。
次回もぜひ、お会いしましょう。




