表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

第一章:沈む才能 / 天暦794年6月 ウーレ首都ココロ・商業区

第一章です。国家設定とかはぼちぼち追記予定。

物書きとして成立してるかは不安でしょうがないです。

第一章: 沈む才能 / 天暦794年6月 ウーレ首都ココロ

1

 「社長……公社の公務は我々に任せて、暫く休暇をお取りになったら如何ですか?」

そう言ったのは楠貿易公司の営業部長、ドミニク・レーゼンだった。

「何を言ってるんだ。スイコクとの貿易に関してはまだまだ未知数な事ばかりだ。軌道に乗って一年。もう既に十二分な利益は見込んではいるが、シン国からスイコクに向かった留学生については気になることもある。何かあった時に俺が不在にしてたらどう対応する?」

「私も社長のおかげでスイコク語を多少は話せるようになりましたし、一ヶ月程度なら問題ありませんよ。それより今の貴方の状態は見てられません。一度ゆっくり休んで心身を整えるべきと考えます。」

続けてドミニクは拙いスイコク語で伝える。

「アナタはいま病んでいマス。治スのは社長としての役目デス。」

 ……確かに上達している。俺の知る限り最も優秀な男は、第三の言葉を既に習得していた。

「じゃあ俺もスイコク語で喋ろう。……正直な所助かる話ではある、今俺は自分を見失いかけてる自覚はある。この間の縁談なんて人として最悪だった。」

「ケイトさんのことデスね。……」

 数泊空けてウーレ語で続ける。

 「……澱みなく喋り続けるのは無理です社長。それでもあなたの休息は必須事項と考えます」

「…………」

 声をかけられている社長、スグル・クスノキは言葉を失う。数日前に臨んだ縁談において、縁談相手は積極的にアプローチをかけ、場を和ませようとしていた。そんな相手を前に自分がした行動といえば、無表情で固まり、短い受け答えを返すだけだった。その度、場の空気がわずかに軋むのを感じていた。それでも――

「事実確かにあの時点では俺の精一杯だったんだ、この半年、三国間貿易交渉が纏まってからというもの来る日も来る日も縁談縁談…貿易公社の本業に加えて、だ。美しい人と結ばれれば生活も豊かになるだろうと当初は考えていたが、まったく感情が追いつかないんだ。言葉にするなら……」

 空虚。そう表現するのが正しいのだろう。満ち足りているはずの環境なのに、どこにも触れていないような、そんな感覚。

「社長……」

 右腕として信頼する営業部長、個人的には幼少期から少し年の差のある兄貴としても慕っている人間からの鋭く、どこか痛い眼差しを受け、スグルは決心する。

「分かった、ドミニクの提案を受けよう。代わりに旅の場所の手配とかは全部任せて最低限の仕事をしてから出立する。……良いよな?兄貴。」

「……任せてくれ。俺の故郷をガイド付きで案内させるよ。それと人の目があるかもしれないところでその呼び名は気をつけろと言ってるだろ、スグル。もう社長なのだから……」

「分かってるって、帰って今日は休むよ。それじゃあ頼んだぞ、営業部長殿?」

 バタン、とドアを閉め社長執務室を後にするスグル。

[…………分かってる、分かってるんだよ。スグル…………]

 一人立ち尽くしているドミニクが呟いた言葉は、ウーレ語でも、スイコク語でもなく、それでいて誰の耳にも聞こえることはなかった。


 2

 スグルは素直に帰宅した。ここ最近は家に帰っても眠るだけで、会社で寝泊まりすることも多かった。気がついたら、3日ぶりの帰宅だった。

「ただいま」

 なんてことはない、この世界における帰宅時の挨拶。だが、返ってくる声は、最初から無かった。

 それ以上何も言わず、自室に向かう。

 食事は会社で済ませてきた。今夜やることは眠ることぐらいだ。

 ガチャリ――自室のドアを開ける。なんてことはない、八畳ほどの洋室。ベッドがあり、机がある。他に目を引くものといえば――壁に架けられたカットラスにマスケット銃、そして一段目を引くのは、部屋の隅を占領する大きな望遠鏡だった。

 無意識の内に指を伸ばす。長らく使われていないそれらには、埃が溜まっていた。

「…………」

 スグルは言葉にもならない息を吐く。望遠鏡から手を離し、背中からベッドに倒れ込んだ。

 天井を見上げ、目を閉じる。


 ――あの日、何かがズレた。


 そう思った瞬間に、意識は過去の記憶に沈んでいった――


 3

 天暦776年6月26日。

 スグル・クスノキはウーレ国首都、ココロにて生まれた。父親であるアレン・クスノキは、『楠貿易公司』を立ち上げ、主に隣国である『シン』との貿易を主軸に、堅実な商いを積み重ねてきた人物である。国内外合わせ100人ほどを抱える、そこそこの規模の会社を率いる社長であった。

 母親はモミジ・クスノキ。アレンが会社を立ち上げる前から伴侶として傍に立ち、家庭も仕事も支え続けてきた、良妻であった。

 そんな一家の待望の長男として生まれたスグル。さらに一年後には弟が誕生する。

 ――ユウキ・クスノキ。天暦777年7月7日生まれ。この日に生まれた人間には輝かしい未来が約束されると言われている『約束の日』に生まれた子供である。

 スグルと関わった同年代の子供は口を揃えて言う。

「スグルはずるい、天才だ」と。

 しかしユウキと関わった同年代の子供は畏怖する。

「ユウキはかみさまだ。なんでもできるんだもん。ぼくたちとはちがうんだ」と。

 スグルは"天才"であり、ユウキは"神童"であった。

 そんな兄弟仲はどうだったかと言うと――すこぶる良好であった。

 そこには曖昧な愛情やら同情は無く、はっきりとした理由があった。

 まず、両親は早い段階でユウキを後継者に定めていた。

 それは彼が特別だったからというより、そうせざるを得ないほど、ユウキが突出していたからだ。

 ユウキ自身も、その事実を理解していた。

 そしてスグルも七歳になる頃には察していた。

「会社は、ユウキが継ぐ。」

 その認識が家族の中で早い段階で共有されたことにより、兄弟の間で競争や争いが生まれることは無かった。

 むしろ当時のスグルにとっては好ましい事でもあった。ユウキが後継者になったことで、スグルは"自由"になった。剣を振るい、銃を学び、星を追いかける時間を失わずに済んだ。……ほんの少しの、ユウキに対する罪悪感を心の隅に押し込めていれば。

 一方でユウキは、その才能と引き換えに、"自由"を少しずつ削られていくことになった。それでも、ユウキは気丈に、強く正しく振る舞い続けていた。周りの大人に"一切"の違和感をもたせないほどに。

 だからこそ、夜に二人で星を眺める時間は、兄弟それぞれにとっては救いの時間だった。

 そこでは「天才」も「神童」も「後継者」も関係なく、ただの兄弟で居ることができた。

 その時間を過ごすことが、スグルにとってユウキにできる唯一の兄としての役割だった。――


 4

 天暦787年7月6日。翌日にユウキの十回目の誕生日を迎える前日。いつものようにスグルとユウキは一緒に星を見ていた。

「あれが最近名付けられたソード星だよ。光り方に特徴があるんだ、少し青みがかっていて綺麗だろ?」

「うん!すごい綺麗だよ!ウーレでは星の命名に武器の名前をつけるんだよね。シンプルだけど分かりやすいんだ。」

 ウーレの国家でも知っている人間が限られるルールを当然のようにすらすら述べるユウキに、感嘆のため息が漏れる。

「ユウキは本当になんでも知ってるな〜、お兄ちゃんが教えれることなんか無い気がするぞ〜」

 スグルは素直に感心すると共に、教えることが少ない寂しさを隠せなかった。そんな心境を察してか、

「そんな事ないよ!シン語だってお兄ちゃんの教え方が上手だったから僕も数ヶ月で覚えれたし、お兄ちゃんの習得スピードは誰も真似できないよ!」

 とフォローしてくれた。なんてできた弟なんだろう、これで明日にやっと十歳なのだから凄いもんだ。……ここまで優秀で、素敵な弟。――この弟の前で、俺は"自由"にのうのうと生きている。そんな自己嫌悪をいつものように頭の隅に追いやって話を続ける。

「……それにしても明日で十歳か。ちょっと早いけどおめでとうな、明日はとびきりの贈り物を用意してるから期待しとけよ?」

「……うん!ありがとうお兄ちゃん!楽しみにしてるよ!」

 瞬間、目線を逸らしたようにもみえたが、直ぐに向き直ったユウキは純粋な笑顔で答えてくれる。それに満足したスグルは、星の説明に戻る。

「お、あれはアーチャー星だぞ、あれは大分古い星だよな……ランサー星も眩しい光を放ってるな……ユウキ?どうした?」

 さっきから相槌を打ってくれていたユウキが、途端に黙ってしまった。心配になり顔を覗き込んでみると、顔は青ざめ、目に焦点が合わず、額に脂汗をかきながら何かを呟いている。

「…………いあ………………いぁ…………」

「?……ユウキ!しっかりしろ……!」

「……!アレ、お兄ちゃん、どうしたの?」

「どうしたもこうも今意識が定まってなかったぞ?体調が悪いなら連れ出しちゃったのは良く無かったな……今日はもう寝て明日に備えるか。」

「……うん、ごめんなさい、お兄ちゃん。部屋に戻って休むね。おやすみなさい。」

「おう、おやすみなさい。良い夜をな。」

「……………………………………………………お兄ちゃん、――――ううん。おやすみ。」

「?おう……」

 ユウキは何かを言いかけたが、まあ、明日何か聞けばいいだろう、この弟は"必要"なことを聞かないはずなんてないしな、と思い、深く聞きはしなかった。

 いや、聞くことは簡単だった。体調の問題なら詳細を聞いてお抱えの薬師に伝えればいい。明日に不安な気持ちがあるなら、父に伝えて何かできないか相談すればいい。そんな事も思い付かないような"天才"ではない。

 ――そのはずだった。

 単にスグルは、選ばなかった。この夜に、選ばなかった。

 そうしてユウキを部屋に送っていき、スグルも部屋に戻り眠りについた。

 二人の最後の時間だった。


 5

 天暦787年7月7日。

 楠貿易公司にとっては、次期社長発表の祝賀会の日。

 ユウキ・クスノキの十歳の誕生日だった。

 しかし、祝賀会兼誕生日パーティーが行われる事は無かった。

 ――ユウキは 消えた。

 朝、いつもなら目覚めてリビングにやってくる時間になっても、ユウキは起きてこなかった。母に頼まれ、スグルは起こしに行った。初めての体験に新鮮味を感じながら、部屋のドアノブを捻った。

――――"空"だった。

 整理された机、シワのないベッド、規則的にかけられた衣服。全て生活感が残っているはずなのに、ユウキの痕跡なけを感じることができなかった。

 スグルは、目の前の状況を説明するすべを持たなかった。

 何秒、何分立ち尽くしただろうか。スグルは直感してしまっていた。

 ――ユウキは、"自らの意志"で、この家から消えたのだと。

 時間は残酷に加速する。戻ってこないスグルを心配したのだろう。母が、父がやってくる。二人とも部屋を見るなり血相を変えた。当然だろう。自分達の息子の痕跡が、微塵たりとも感じられないのだから。

 スグルは親に、従業員に、警察機構に、何を聞かれても答えを持たなかった。

 ――本当は気付いていた。

 逸らした目線。小さな呟き。紡がなかった言葉。

 ……間違いなく何かの手掛かりになるだろう。しかし、スグルはそれを伝えなかった。

 "伝える事ができなかった"のだ。

 それを口にした瞬間、何かが壊れてしまう気がした。

 自身の立場か、昨夜の選択か、ユウキの意志か、あるいはその全てか。いずれも壊す覚悟をスグルは持てず、ただ沈黙を選んだ。周りの人間も疑う事は全く無かった。"天才"は信用されていたのだ。

 楠貿易公司はウーレ国政府とも取引がある。その御曹司の失踪ということもあり、警察機構は迅速に捜査を開始した。父も母も警察を信頼し、なにより"神童"を信じた。彼らにとって、ユウキが何も言わずにいなくなる事など、あり得ない事だったから。

 ――その前提に、スグルだけは立つ事ができなかった。


 そこからの半年間の記憶はほとんど残っていない。

 一週間、二週間、一ヶ月……時間が経つごとに捜査体制は変わっていく。百人、五十人、十人……。その間、クスノキ家の時間は止まってしまった。

 一ヶ月を過ぎた頃、最初に変化があったのは父アレンだった。家に帰らなくなったのだ。憔悴した姿を見ていた母モミジも、スグルも、かける言葉を持たなかった。

 三ヶ月を過ぎて母が倒れた。薬師に診てもらったが、ストレスが原因のようだった。懸命に明るく振る舞ってはいたが、それから一ヶ月もたたずに入院することになった。

 ――そして、ユウキ失踪から半年後。久方ぶりに家に帰ってきた父に告げられた。

「お前が楠貿易公司の次期社長だ。学校の中退手続きは済んでいる。明日から会社に出勤しろ。無駄な時間はない。以上だ。」

「…………はい、父上。」

 拒むことなどできなかった。これが"選択"の結果なのだから。


 6

 スグル・クスノキの楠貿易公司初の出勤日。スグルはシン国企業との交渉用文書の作成を命じられた。入社ガイダンスなどは一切ない。ユウキが残していたものを参考に、その仕事を引き継げ――そう言われているようだった。

 幸いにも、自らの得意分野である外国語を多く使う仕事だったこともあり、労働時間の半分を使って仕上げることができた。幼い頃よく遊んでくれていた、八個ほど歳上の係長ドミニクに提出し、確認してもらう。

「確認いたしますね………………流石、です。完璧な資料です。これで提出しておきます。」

「ありがとうございます」

 期待通りではあったようだ、そう安堵した瞬間だった。

「……あと三個、資料作成お願いしますね、シン国への米・小麦・木工製品輸出品の資料作成が残りの依頼になります」

 ……思わず息を呑んだ。

「……今日依頼分の資料作成ですよ、社長がやらせろ、と仰ってました。」

「………………………………」

 この会社の労働時間は一日八時間である。今かかった時間が四時間。残り四時間で、同じものを……三つ。

 とてもじゃないが、人間にできる作業じゃない。――いや、最初から人間として数えていないんだ。つまりは――

「……ユウキは八時間でこの量を……」

 呟かずにはいられなかった。父の意図を、父にとっての自分の存在意義を確信してしまったからだ。

 心配そうな目で見つめるドミニクに対し、

「了解しました、取り掛かります。」

 それだけ言い残し、作業に戻る。

 この日の勤務時間は、十二時間だった。


 一ヶ月も経つと、ある程度の慣れは生じる。十二時間必要だった作業も、十時間ほどで終わるようになってくる。ただし、それ以上の短縮はついに不可能だった。しかし、上司であるドミニクも、部長も、社長も、一切指摘することは無かった。ドミニクや部長は「よくやっている」と言ってくれた。――社長からは、感嘆の言葉も態度も無かったが。

 それからもスグルは業務に没頭していった。ユウキの代わりを務めるために、剣を振るうことも、銃を持つことも、星を探すこともなく。――書類と数字だけを追い続けていった。


 7

 天暦791年1月4日。

 スグルが入社して三年ほどが経った新年明けの初出勤日。

 いつものように業務をこなしていく。自身は業績により営業部の部長に、かつての上司であるドミニク課長を従える立場となっていた。正直、ここまで明確な業績を上げることができたのはドミニクのサポートのおかげだ。昔兄貴と慕っていたこの男は、自分がこれから手を回そうと思っていた箇所に先回りして、仕事を進めてくれる。楠貿易公司の社員は皆優秀だが、彼は明確な"秀才"だった。

「新年からシン国さんは元気だな〜。買付量が尋常じゃねえよ。西国とついにぶつかり始めるように見えるぜ」

「仕方ないですよ、部長。西のホープ連邦がオレーを占領してから、シン国は軍備を増強しています。我々の主要取引品である穀物も需要が増加するのは当然でしょう。」

「穀物はな、嗜好品の類がウーレは弱い。そこらへんは鎖国中のスイコクが一番発展してるって噂だ。……スイコクの需要が分かれば面白い取引が……って今考えても仕方ねえ、か。」

「ひとまずは今日の分割片付けて社長との会議に間に合わせますよ、部長。」

 そんな他愛もない会話をしながら、仕事をこなしていく。


 同日19時10分。楠貿易公司本社会議室。課長以上の幹部十名ほど、無言で待機している部屋。会議開始時刻は10分ほど過ぎているが、出席予定のアレンの姿が見えない。

「…………社長の様子を確認してきます。」

 それだけ告げ、スグルは席を立った。ドミニクも無言で後に続く。

 社長室のドアをノックする。答える声は無い。

「……社長、スグルとドミニクです。会議の時間のため参りました。失礼します。」

 丁寧にドアを開ける。その先に居たのは、椅子にもたれながら項垂れているアレン・クスノキであった。

「父さん……?」

 返答はない。素早く近くに駆け寄る。

「……社長……」

 返答はない。顔を覗き込み確認する。

 ――そこには灰のように燃え尽きた、父の顔があった。


「……脈はある。呼吸も……。兄貴。」

「分かった、薬師を呼んでくる、スグル。」

 言葉にせずともドミニクは意図を理解し行動を起こした。

「………………」

 社長室に視線を巡らせる。

 処理に三日はかかるであろう書類の山。

 机の端に分けられたスイコクの文化資料。

 開け放たれた引き出しから、社長印が顔を覗かせる。

 そして、裏返されたまま机の一角を占領する一枚の絵画。

 それに指を伸ばし、――手を止める。表面に描かれているはずの絵を見る覚悟は、スグルには無かった。

 ――机の上からヒラリと、一組の書類が落ちる。何気なく拾ったその書類には、『天暦790年度楠貿易公司決算報告書』と記載があった。無論スグルも内容は知っている。

 『従業員数:国内外併セ百九十八人』

 『当期決算:黒字 純益五千万ゴル』

 『次期デハ従業員数大幅ナ増加ヲ予定 シン国以外ノ取引先開拓ヲ狙ウ』

「………………………………」

 楠貿易公司は、前年決算を経て、今期は従業員数を大幅に増員していた。今や総従業員二百四十二名。ウーレ国の貿易会社の中では現在三番手、二番手を狙う位置にいる。

 そのトップが、倒れた。

「………………………………」

 スグルは会議室に足を向ける。

 選択は、三年前に行われていた。


 8

 19時35分。

 会議室に戻ったスグルに、幹部達の視線が注がれる。

 瞬間、喉の奥が詰まる。これから話す内容に、恐怖を覚える。――しかしそれは一瞬だった。

 (俺は、もう止まれない。それがあの日の選択の、"代償"なのだから……)

 心の中で独白し、言葉を紡ぐ。

「皆、落ち着いて聞いてほしい。先程、社長が倒れているのを発見した。ドミニクが薬師を呼び、治療を行っている。現在は意識不明だ。勿論直ぐに回復する可能性もあるが、様子を見る限り難しい可能性もある。

 ……皆は不安に思っていると思う。決裁権を持つ社長が倒れ、楠貿易公司はどうなってしまうのか、と。だが、安心してほしい。社長が回復するまで、私が社長の業務を引き受ける。無論、入社してまだ三年の私を疑う者も多いだろう。だが、信じて欲しい!社長はこのようなことが起きた時の手立ても残されていた。シン国、ウーレ、そして鎖国中のスイコクを含めた『三国間貿易』の草案を!これが実現すれば、ウーレ国内で我々は一番の貿易会社となる!私の言語能力については、皆も知るところだと思う。社長も、交渉は私に任せる予定だったと記載がある。

 この計画を持って、私を信じ、ついてきて欲しい!」

 スグルは頭を下げ、話を終える。

「……ちょっと待ってください、営業部長。」

 四十過ぎの幹部の低い声が会議室に響く。

「社長が倒れた、非常事態に"三国間貿易"なんて大博打に出るなんて、正気ですか?」

 想定していた問答だ。

「非常事態だからこそ、です。今のまま停滞するのは千載一遇の好機を逃すことになりかねないからです。西のホープ連邦の台頭、それに呼応したシン国の軍備増強と兵糧の発注。現在、ウーレは極めて貿易が盛んな状況にあります。そこに鎖国国家ではあるものの極めて上質な嗜好品を保持していると言われるスイコクを巻き込む。稀にないチャンスです。しかし、時間がありません。競合他社に先を越されれば、当社の影響力は低下し、業績を悪化の一途を辿り、この会社を信じてくれた従業員達を路頭に迷わせる可能性だってあります。

 ……正直に言えば、怖くないと言えば嘘になります。しかし、その恐怖を超え、皆を力の限り導くと誓いましょう!」

 その返答に、厳しい目線のまま、目で頷く。

 三名ほど、視線は合わないまでも、頷く者もいる。

「……よろしいかね、若旦那」

 六十過ぎの古参幹部の声だ。

「社長の容体がはっきりしない今、若旦那一人に決済を任せるのは――」

「承知しています。」

 被せるように答える。

「だからこそ、私だけではない、皆さんの力が必要なのです。」


 沈黙と視線が交差する。


 ――最初に拍手をしたのは、丁度会議室に戻ってきたドミニクだった。その音は小さいながらも、確かに場の空気を動かした。

 小さく、だが確かで厳かな拍手が響く。

 ――スグル・クスノキが楠貿易公司・社長代理と認められた瞬間であった。

 (これでいい。あとは全て"紛い物"の俺次第だ。)

 心の中で呟く。止まることは、もう許されない。


 9

 ――結論から先に言えば、表面上は全て上手くいった。

 まずはスイコク中枢と交渉した。どうやら、半年前から父が既に根回ししていたらしい。貿易の余地がないかを判断する為に一ヶ月間、極秘でスイコクに渡る許可を得た。

 一週目――交渉できるレベルまでのスイコク語の習得

 二・三週目――スイコク主要都市の確認、探索。

 四週目――スイコク主要人物達との会談、具体的交渉。

 一ヶ月の滞在で、彼の国の輪郭は掴んだ。

 ・人口はウーレの半分ほど、シン国の二割ほど。

 ・スイコク特有の技術や伝承で作られる、茶や酒などに代表される飲料品や、細工・陶磁器などの工芸品など、嗜好品の類がウーレやシン国と比較し発展している。

 ・ただし、鎖国の影響もあり人口は停滞、技術の伝承や製品の量産に課題を抱える。

 以上の特徴を踏まえ、スグルはスイコクに提案を行う。

 ・スイコクに対し、部分的な貿易を求める。

 ・主な取引として、

 ☆スイコク→ウーレに対し特産嗜好品の提供。

 ☆ウーレ→シン国に対し兵糧の調達、提供

 ☆シン国→スイコクに対し人的資源の提供。

 以上の取引契約を締結。五年毎に詳細な条件を見直す、というものであった。

 鎖国中であった時のスイコク将軍カルラは条件付きでこれを承諾。シン国への橋渡しを楠貿易公司に依頼することになる。

 その後ウーレ政府の承認、シン国首脳との折衝を経て三国間経済会談を設定。それらを経て、後に歴史書にも記される『三国間貿易』は始まったのだった――


 10

 ――意識が引き戻される。

「朝、か……」

 こんなに長い時間睡眠を取ったのはいつぶりだろうか。半年?一年?三年?……おそらく六年ぶり、だろう。

 一瞬、部屋を見渡し、直ぐに身支度を整える。ドミニクが言っていた旅行準備期間は二日間だった。あまりに手際が良い。残っている最低限の仕事を済ませるには"丁度"良い期間でもある。玄関のドアを捻る。

 ――今日も、のうのうと生きるとしよう。


 11

 天暦794年6月30日。

 楠貿易公司船乗口。貿易品の運搬に加え、客室も整備し旅行船としての機能も有しているウーレ国随一の船舶である。

「それじゃあスグ…社長、一ヶ月羽根を伸ばしてきてください。酒と魚の美味しい海の綺麗な島です。もちろん会社の事は気にせず。」

「そうさせてもらうよ。……二人なんだし呼び方なんて気にしないでくれよ、兄貴。」

「そうはいきませんよ。一般のお客様からしたら貴方は、ウーレ国間発展の英雄なのですから。」

 ……今日は一般客の乗船はないはずだが。

「……まあいい。不在時の重要な決断は営業部長殿に一任するよ。シャルの野郎が噛み付いてきそうだが何とか頑張ってくれ。」

 二十歳の若手係長の顔を思い浮かべながら話を続けようとした時。

 ――――ボーーーーーーーーーーッッッ――――

 汽笛が鳴る。……スグルは時間を守らず従業員の邪魔をするような"社長"ではない。

「それじゃあ行ってくるよ兄貴、帰ってきても病んでるなんて言うなよ?」

「それは貴方次第です。……行ってらっしゃい、スグル。」

「おう」

 船に乗り込み、まもなく出航する。

 [……………ウ……ラ]

 聞き慣れない言語……西方のどこかの言語か、声が聞こえたような気がしたが、振り返っても笑顔で手を振るドミニクしかそこには居なかった。

「……気のせいか、部屋で寝るとしよう。」

 客室に向かい、ベッドに背を預ける。

 ……思えば旅行なんて七歳の頃に行ったくらいだ。ここまで長い"自由"な時間もいつ以来だろう。

「束の間の自由……か。俺にはお似合いだ。」

 天井を見上げ呟く。仮初の時間である事は、理解している。

 (でも、少しだけ期待しても良いだろ……?)

 明確に誰に向けた思いでもない。そんな感情を抱きながら、スグルの意識は沈んでいった――


 天暦794年7月3日。ウーレ経済新聞の一面見出。

 『楠貿易公司船、海難事故により遭難か。搭乗していたスグル・クスノキ氏(18)の行方は不明』



 第一章 終


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ