第90話 混ざり合う境界と、最強の副社長
アヴァロンのバルコニー――といっても、壁が崩れ落ちて剥き出しになった鉄骨の上だが、そこからの眺めは壮絶だった。 風には砂の匂いと、オイルの焦げた匂いが混じっている。
酷い有様ですね。 私の隣で、ライオネルが静かに呟いた。 彼が淹れてくれた紅茶(どこから調達したのか、完璧なアールグレイだった)からは、優雅な湯気が立っている。
ええ。これが、今の世界の姿よ。
眼下に広がる荒野。 そこには、本来あるはずのない「異物」が突き刺さっていた。 ねじ曲がった高速道路のジャンクション。 半分砂に埋もれたコンビニエンスストア。 そして、森の木々と絡み合うように聳え立つ、錆びついた電波塔。
現実世界の残骸が、ファンタジー世界を侵食している。 空の亀裂からは、今もなおパラパラとアスファルト片が降ってきていた。
このままだと、どうなるの? 私が尋ねると、ライオネルは紅茶を一口飲み、冷静に分析した。
物理的な崩壊だけではありません。 「法則」の衝突が起きています。 魔法が使えるこの世界と、科学法則が支配するあちらの世界。 二つのOSが無理やり統合されようとして、深刻なエラー(競合)を起こしている状態です。
競合……。
見てください、あそこを。 ライオネルが指差した先。 墜落した旅客機の残骸の周りに、ゴブリンたちが群がっている。 彼らが機体を叩くと、突然エンジンが火を噴き、ゴブリンたちが爆発に巻き込まれた。 逆に、森の奥からは、電柱がひとりでに歩き出し、トレント(樹木の魔物)と殴り合っている光景も見えた。
無秩序ね。
はい。このままでは、どちらの世界も共倒れです。 データは破損し、全てはノイズの海に沈むでしょう。
そんなの、阻止しなきゃ。 私が拳を握ると、ライオネルはふっと微笑み、私の肩に手を置いた。
ええ。そのために私が戻ってきたのですから。 元・管理者側の人間として、この世界のシステム修復を指揮しましょう。 ……もちろん、あなたの「副社長」としてね。
副社長? 私が瞬きすると、彼は真顔で頷いた。
当然でしょう。社長はあなただ。 私は実務と人事、そしてあなたの健康管理を担当します。 ……さあ、オフィスに戻りましょう。最初の定例会議が待っていますよ。
◇
【新生ユグドラシル社・仮設会議室(元・アヴァロン大食堂)】
社長、報告するぜ! イグニスが、現実世界のヘルメット(「安全第一」と書かれている)を被って入ってきた。
近隣の調査が終わった。 やっぱり、ただの瓦礫じゃねぇ。 落ちてきた機械の中には、「生きてる」奴らが混ざってやがる。
生きてる?
ああ。自動警備ロボットや、軍事用ドローンだ。 あいつら、こちらの住人を「不法侵入者」と認識して攻撃してきやがる。 地下帝国の連中も、迎撃で手一杯だそうだ。
厄介ね……。 私が腕組みをすると、サキョウが補足した。
それだけではありません。 各地で「領域のエラー」が発生しています。 踏み込むといきなり重力が反転したり、時間がループしたりする危険地帯です。 そこに迷い込んだ住民が行方不明になっています。
物理的な脅威と、システム的なバグ。 前門の虎、後門の狼といったところか。
では、方針を決めましょう。 ライオネルがホワイトボード(これも現実世界の漂流物だ)の前に立ち、流れるような手つきでマーカーを走らせた。
目的は「世界の安定化」。 そのために必要なタスクは大きく分けて三つです。
治安維持:暴走する現実兵器の排除と、住民の保護。
バグ修正:エラー領域の正常化。
中枢制御:この世界のメインサーバーを再起動し、融合プロセスを制御下に置くこと。
3番目が、最も重要かつ困難ですね。 トリスタンが発言する。 現在、アヴァロンの機能は停止しています。メインサーバーを動かすには、各地にある「サブ・サーバー(アンカー)」を直接繋いで回る必要があります。
アンカー……。 かつて魔王軍が支配していた拠点のことか。
そうです。 ライオネルが地図に印をつける。
北の氷河、南の火山、東の樹海、西の砂漠。 これら四か所にあるアンカーを再起動し、アヴァロンとネットワークを接続する。 そうすれば、私がシステムに介入し、この無秩序な融合を「平和的な統合」へと書き換えることができます。
なるほど。世界を縫い合わせるってわけね。
簡単じゃねぇな。 イグニスがニヤリと笑う。 どの場所も、今じゃバグと暴走兵器の巣窟だろうぜ。
だからこそ、我々の出番です。 アーサーが立ち上がる。 新生・食卓の騎士団。その初陣には相応しい舞台だ。
リュカ(人間形態)も、私の袖を引っ張った。 僕も行くよ。お姉ちゃんの護衛は、誰にも譲らないから。
彼はライオネルを少し睨んでいる。 どうやら、突然現れて「副社長」の座に収まった彼のことが、まだ気に入らないらしい。
ふふ、頼もしいわね。 私は全員を見渡した。
いいわ。 総務部は拠点の防衛と住民保護。 技術部はアヴァロンの修復。 そして、営業部(騎士団と私)は……各地のアンカーへ出張よ!
イエス・マム!
全員の声が重なる。 かつては絶望的な戦いだった。 でも今は違う。 頼れる仲間が増え、頭脳が加わり、組織として機能し始めている。
よし、解散! 直ちに行動開始!
私が手を叩くと、社員たちは一斉に動き出した。 ライオネルだけが残り、私に近づいてきた。
コーデリア。 一つだけ、言っておきます。
なに?
無理は禁物ですよ。 あなたの右腕……今は安定していますが、これ以上の高負荷には耐えられません。 いざという時は、私が強制的にでも止めますからね。
彼は私の黒い右腕を優しく撫でた。 その瞳は真剣で、そして深い愛情に満ちていた。
分かってるわ、副社長。 ……あなたの管理下なら、安心して働けそうね。




