第9話:仕様変更(婚約)は、事後承諾で
「こ、婚約者だと……!? ライオネル、貴様気でも触れたか! その女は国を追放された罪人だぞ!」
クリフォード殿下の裏返った声が、森に虚しく響いた。 しかし、ライオネル公爵は微動だにしない。その瞳は、徹夜明けのシステム障害対応時よりも鋭く、冷ややかだった。
「罪人? 彼女のどこが罪人だと言うのです」
「聖女への嫌がらせ! 教科書破り! 階段突き落とし!」
「それらの証拠は? 現場を見た者は? すべてアリス嬢の証言のみではありませんか。……それに比べて」
ライオネル公爵は、背後にいる私(と、じゃがバターの鍋)を愛おしそうに振り返った。
「彼女は、過労で死にかけていた私を救い、温かい食事と安らぎを与えてくれた。私にとっては、国よりも守るべき《聖域》だ」
「ぐぬぬ……! だ、騙されるな! それも魔女の洗脳だ!」
殿下が喚く横で、アリスが杖を振り上げた。
「そうですわ! ライオネル様もわんちゃんも、悪い魔法にかかっているのです! 私の《聖なる光》で浄化して差し上げます!」
「えいっ!」という掛け声とともに、アリスの杖からピンク色の光弾が放たれた。 狙いは私……ではなく、私の足元にいるリュカだ。
「危ない!」
ライオネルさんが剣で弾こうとする。 しかし、それより早く私は動いていた。
「――未承認のパケットを検知。遮断します」
私が指先で空中に四角い枠を描くと、半透明の光の壁《魔力障壁》が出現した。 アリスの放った光弾は壁に当たって跳ね返り――
「きゃあっ!?」
見事にアリス自身の顔面で弾けた。 「目が、目がぁぁぁ!」と某大佐のように叫んでうずくまる聖女様。
「自業自得ね。セキュリティの基本ですよ」
私は冷ややかに見下ろした。 すると、パニックになった殿下が抜剣し、騎士たちに号令をかけた。
「おのれ魔女め! 総員、突撃だ! 彼女を切り刻んででも聖獣を奪い返せ!」
「……やれやれ」
私はため息をつき、リュカの首をポンと叩いた。
「リュカ。お客様にお帰りいただきなさい」 「ワフッ(御意)」
次の瞬間。 リュカが大きく息を吸い込み――本気の咆哮を放った。
『ガアアアアアアアアアアッ!!』
それは、ただの大声ではない。 高位の魔獣が放つ《威圧》の効果が付与された衝撃波だ。 ビリビリと空気が震え、騎士たちの鎧が共鳴する。
「ひいぃっ!?」 「か、体が動かない!?」
レベル差がありすぎる騎士たちは、その場に腰を抜かしてへたり込んだ。 殿下も無様に尻餅をつき、ガタガタと震えている。
そこへ、ライオネル公爵がゆっくりと歩み寄った。 彼は殿下の鼻先に切っ先を突きつけ、底冷えする声で告げた。
「殿下。これ以上の狼藉は、騎士団長として……いいえ、一人の男として看過できません」
「ひ、ひぃ……! わ、私は王子だぞ!?」
「ええ、存じております。ですので、これ以上恥を晒す前にお引き取りを。……さもなくば」
公爵はニッコリと笑った。その笑顔は、間違いなく「魔王」のそれだった。
「コーデリア嬢が残した業務引継書にあった《裏帳簿》――殿下が横領してアリス嬢への貢ぎ物に使った予算のデータを、父王陛下に公開することになりますが?」
「なっ……!? な、なぜそれを!?」
「彼女は優秀な管理者ですから。全てのログ(証拠)を残していたのですよ」
殿下の顔から血の気が引いた。 社会的抹殺の危機。 もはや、聖獣だの追放だのと言っている場合ではない。
「撤収!! 撤収だぁぁぁ!!」
殿下はアリスを引きずり起こし、脱兎のごとく逃げ出した。 腰を抜かした騎士たちも、這いつくばるようにしてその後を追う。
「二度と来るな! バーカ!」
遠ざかる背中に向かって、私は思いっきり手を振ってやった。 森の静寂が戻ってくる。 嵐は去ったのだ。
「ふぅ……。片付いたな」
ライオネルさんが剣を納め、爽やかな笑顔で振り返った。
「ありがとう、ライオネルさん。助かりました」
「礼には及ばない。君の平穏を守るのは、婚約者の務めだからね」
「……あ、そこは訂正しないんですね?」
私がジト目で見ると、彼は私の手を取り、真剣な眼差しで見つめてきた。
「訂正? とんでもない。……既成事実はこれから作ればいい」
「……はい?」
「まずは、来週から週末だけでなく、水曜の夜も泊まりに来ていいだろうか? いずれは住民票もこちらに移すつもりだが」
「ちょっと待ってください。それ、侵食率上がってません?」
公爵の溺愛攻撃は、聖女の魔法よりも防ぐのが難しそうだった。
こうして、私と聖獣、そして通い夫(公爵)のスローライフは、王家公認(?)の事実として守られることになった。 私の平穏な無職ライフは、まだまだ続きそうだ。
――完(?)




