第8話:その森、セキュリティレベル高につき
「な、なんなのだこれはぁぁっ!!」
《死の森》に侵入してわずか30分。 クリフォード王子の絶叫が木霊した。
彼ら討伐隊50名は、同じ場所をグルグルと歩き回っていた。 進んでも進んでも、気づけば入り口の「枯れ木」の前に戻ってきてしまうのだ。
「クリフォード様ぁ、足が痛いですぅ……」 「くそっ! どうなっている! 地図では直進のはずだぞ!」
後ろをついて歩くライオネル公爵は、心の中で冷ややかに解説を入れた。
(……空間転移のループ罠か)
これはコーデリアが仕掛けた《無限回廊》。 特定の座標に足を踏み入れると、自動的に入り口へ転送される単純かつ凶悪な術式だ。 システム的に言えば、リンク先が自分自身に設定されている「無限ループ」である。
ライオネルは、密かにコーデリアから教わっていた「正規ルート(管理者パスワード)」を知っていたが、当然黙っていた。
「殿下、どうやら強力な幻惑魔法のようです。ここは私が先行して道を探りましょう(嘘)」 「おお、頼むぞライオネル! さすがは我が国の騎士団長だ!」
ライオネルは適当に剣を振り回して草を刈るフリをしながら、少しずつ彼らを「より酷い罠」の方へと誘導していった。
◇
「ゼェ……ハァ……。やっと抜けたか……」
数時間後。 ループを抜け出した(ライオネルがわざと解除した)一行の前に、巨大な岩のゴーレムが立ち塞がった。 身長5メートル。その胸部には、奇妙な石板が埋め込まれている。
「魔物か! 総員、戦闘態勢!」
騎士たちが剣を構える。 しかし、ゴーレムは攻撃してこない。代わりに、機械的な音声を発した。
『警告。これより先はプライベートエリアです。アクセス権限を確認します』 『認証(CAPTCHA)を開始。……以下の画像の中から、《信号機》が含まれるパネルを全て選んでタッチしてください』
ゴーレムの胸の石板に、9枚の絵が表示された。 そこには、この世界には存在しない「信号機」や「横断歩道」の絵が描かれている。前世の知識があるコーデリアにしか解けない無理ゲーだ。
「し、信号機……? なんだそれは!?」 「わ、わかりません! 多分、この赤くて光ってるやつですわ!」
アリスが適当にパネルを叩く。
『認証失敗。――アクセス拒否(Access Denied)』
ブォンッ!
ゴーレムの腕が旋回し、強烈な風圧が発生した。 それは攻撃ではない。ただの「送風」だが、ヘアセットを命よりも大事にするアリスにとっては致命的だった。
「きゃああああ! 私の巻き髪がぁぁぁ!」 「アリス! おのれゴーレムめ!」
王子が剣で斬りかかるが、ゴーレムの装甲はダイヤモンド並みに硬い(物理防御力:無限)。 剣がカキンと折れた。
「なっ……!?」
『不正なリクエストを検知。一時的にアカウントをロック(物理)します』
ゴーレムが手を叩くと、地面から鳥もちのような粘着スライムが大量に噴出した。 騎士たちの足が地面に張り付く。
「うわぁっ! 動けん!」 「ネバネバするぅ! 気持ち悪いですぅ!」
阿鼻叫喚の地獄絵図。 その横を、ライオネルだけが「おっと、危ない」と華麗なステップで回避していた。 (コーデリア……君の性格の悪さ(セキュリティ意識の高さ)には惚れ惚れするよ)
◇
一方、森の奥のログハウス。 私は空中モニター(監視ログ)を見ながら、ポップコーンを食べていた。 足元ではリュカも「ワフッ(ざまぁ)」と笑っている。
「ふふん。第1層の《ループ》と第2層の《物理CAPTCHA》で、もう精神力ゲージが赤色ね」
画面の中では、泥とスライムまみれになった王子と聖女が、お互いに責任を擦り付け合って喧嘩を始めている。
「でも、そろそろ通してあげましょうか。ここからが本番だもの」
私は指先でコンソールを操作し、最終防衛ラインを解除した。
◇
「……見えたぞ! あの家だ!」
満身創痍のクリフォード王子が叫んだ。 森が開け、美しいログハウスが姿を現す。 そこには、優雅にティーカップを傾けるコーデリアと、その足元でくつろぐ巨大な銀狼の姿があった。
「コーデリア! 貴様、よくもこれほどの狼藉を!」
王子が怒りに震えて怒鳴る。 アリスも、泥だらけのドレスでヒステリックに叫んだ。
「ひどいですわ! 私たち、ただわんちゃんを助けに来ただけなのに!」
私はカップをソーサーに置き、ゆっくりと立ち上がった。 そして、営業用スマイル全開で小首を傾げる。
「あら、皆様。ボロボロですね。森でのハイキング(遭難)は楽しんでいただけましたか?」
「ふざけるな! その聖獣を返してもらおうか! 貴様のような魔女に飼われるなど、聖獣への冒涜だ!」
王子が一歩踏み出す。 すると、リュカがむっくりと起き上がり、王子の目の前で大きくあくびをした。
「グルル……(うるさいハエだな)」
そして、リュカは私に擦り寄り、ゴロンと腹を見せた。 「撫でろ」の合図だ。私がワシャワシャと腹毛を撫でると、伝説の魔獣は「くぅ~ん」と甘えた声を出し、尻尾をブンブンと振った。
「……え?」
王子たちが呆然と立ち尽くす。 虐げられているはずの聖獣が、どう見ても「デレデレの愛犬」にしか見えない。
「ご覧の通り、懐いてますけど? 『助けて』って、どこの幻聴ですか?」
私が冷たく言い放つと、アリスが顔を真っ赤にして叫んだ。
「そ、それは洗脳ですわ! 闇魔法で操っているに決まってます! 聖獣様、今助けてあげますからねぇ!」
アリスが杖を掲げ、聖属性の魔法を放とうとした、その時だった。
「――控えよ」
凛とした、だが絶対的な威圧感を持つ声が響いた。 それまで空気のように気配を消していたライオネル公爵が、私の前にスッと立ちはだかったのだ。
「ラ、ライオネル? 何をしている、そこを退け!」
「退かぬ。……これ以上、私の《婚約者》に狼藉を働くなら、王族と言えど斬る」
「……は?」
場が凍りついた。 私も、王子も、アリスも、全員が「は?」となった。
「こ、婚約者……だと……?」
「いつの間に!?」
「えっ、私聞いてないですけど!?」
私のツッコミを無視し、ライオネルさんは抜剣した。その背中は、今まで見たどの瞬間よりも大きく、そして頼もしく見えた。
「コーデリア嬢は、王宮の激務で荒んだ私の心を救ってくれた唯一の女性だ。彼女の平穏を乱す者は、私が全て排除する!」




