第4話:冷徹公爵は、過労の匂いがする
極上のトマト煮込みハンバーグを食べ終え、私はウッドデッキ(魔法製)で優雅なティータイムを楽しんでいた。 手には、庭で摘んだ薬草をブレンドした自家製ハーブティー。膝の上には、巨大な聖獣リュカの頭。
「……最高」
前世の私は、この時間はまだ満員電車で揺られていたはずだ。 それが今や、小鳥のさえずりをBGMに、もふもふを撫で回すだけの簡単なお仕事。 この幸せを守るためなら、世界の一つや二つ、うっかり救ってしまってもいいかもしれない。
そんな平和ボケした思考を巡らせていた、その時だった。
コン、コン。
控えめだが、明確な意志を感じるノックの音が響いた。
「……え?」
ここ、人里離れた《死の森》の真ん中なんだけど。 リュカが低い声で「グルル」と唸り、身を起こす。私はそれを片手で制し、玄関へと向かった。
(まさか、もう追手が? それともNHKの集金?)
恐る恐るドアを開ける。 そこに立っていたのは、一人の男性だった。
長身痩躯。夜の闇を溶かしたような黒髪に、切れ長の氷のような瞳。 仕立ての良い騎士服を纏っているが、その全身からは隠しきれない威圧感と――どす黒いオーラが漂っている。
私は彼を知っていた。 ライオネル・フォン・ベルンシュタイン公爵。 王国の宰相にして、騎士団長も務める超エリート。そして、ゲーム内ではヒロインですら冷たくあしらう《冷徹公爵》として有名な攻略対象キャラクターだ。
(なんで公爵様がここに? もしかして、追放刑じゃ生温いから直接処刑しに来たとか!?)
身構える私。 しかし、次の瞬間。私の《鑑定眼》ならぬ《社畜眼》が、彼の顔にある「ある特徴」を捉えてしまった。
――目の下の、濃いクマ。 ――整っているけれど、血の気のない肌。 ――そして何より、纏っている空気が「3徹明けのプロジェクトマネージャー」のそれだ。
(……あ、この人。限界だわ)
敵意よりも先に、同情が湧き上がってしまった。 あれは、責任感の強さゆえに仕事を抱え込み、部下(脳筋な王子とか)の尻拭いに奔走させられている人間の目だ。前世の私と同じ、哀しき企業戦士の成れの果て。
ライオネル公爵は、私が黙っているのを不審に思ったのか、気まずそうに口を開いた。
「……突然の訪問、すまない。近くを調査していて、いい香りに誘われてしまった。君がここで暮らしているとは知らず――」
嘘だ。 彼の視線は、私の背後のテーブル――そこに残っていたトマトスープの鍋に釘付けだ。 よっぽどお腹が空いているらしい。
私はドアを大きく開けた。
「立ち話もなんですし、どうぞ中へ。粗茶ですがご用意しますわ」 「い、いや、しかし私は君の元婚約者の敵とも言える立場で……」 「いいから。座って。休んで」
有無を言わせぬオカン(あるいはベテラン事務員)のような圧で、私は公爵をダイニングの椅子に座らせた。 そして、カップに熱々のハーブティーを注ぎ、余っていたトマトスープを温め直して差し出す。
「どうぞ。毒は入っていませんけど、栄養はたっぷりです」
「……かたじけない」
公爵は躊躇いがちにスプーンを口に運んだ。 その瞬間、彼の氷のような瞳がカッ! と見開かれる。
「……!!」
そのまま彼は、無言でスープを平らげた。 続いてハーブティーを一口。 そのハーブティーは、疲労回復効果のある《聖女の雫草》と、精神安定効果のある《安らぎの葉》を、私の魔力で強制ブレンドした特製ドリンクだ。市販のポーションなら1本で金貨10枚は下らない代物である。
「ふぅ……」
公爵の口から、長い長い溜息が漏れた。 それと同時に、彼を纏っていた刺々しい「過労オーラ」が霧散し、憑き物が落ちたような穏やかな表情へと変わっていく。
「……体が、軽い。頭の芯にあった霞が晴れたようだ」 「お疲れのようでしたから。ブラック……いえ、激務なのでしょう?」
私が尋ねると、彼は自嘲気味に笑った。
「ああ……。殿下の後始末に、隣国との交渉、魔物の討伐……。ここ数ヶ月、まともに眠った記憶がない」 「わかります。上司が機能しないと、現場にしわ寄せが来ますものね」 「! 君は……理解してくれるのか?」
公爵が、縋るような目で私を見た。 そこにはもう「冷徹公爵」の面影はない。ただの「癒やしを求める社畜」がいるだけだ。
「ええ、痛いほどに。ここには誰も来ませんから、少しゆっくりしていかれるといいわ」 「……ああ。君が淹れてくれた茶を飲んだら、急に眠気が……」
強力な睡眠導入効果も付与しておいたのが効いたらしい。 公爵はテーブルに突っ伏し、数秒後には安らかな寝息を立て始めた。
「スピー……スピー……」
無防備すぎる。 この国の宰相が、追放された悪役令嬢の家で爆睡。スキャンダル待ったなしだ。
私は毛布を持ってきて、彼の肩にそっと掛けた。 足元では、リュカが「その男、食っていいか?」という顔をしているが、「ダメよ、過労肉は美味しくないわ」と止めておく。
(さて、この人が起きるまで、私は畑でも耕そうかな)




