第34話:聖獣(サーバー守護者)は、強制終了を遠吠えにする
「……ダメだ。処理しきれない」
私が絶望の声を漏らしたのと、空間が悲鳴を上げたのは同時だった。 ゼクスの重力。ルミの改変。エルモの因果操作。 3つの「管理者権限」が狭い塔の中で衝突した結果、システムが限界を迎えたのだ。
『警告。致命的な例外エラー(Fatal Error)。領域の維持が不可能です』 『緊急措置として、塔内全オブジェクトの破棄(Drop)を実行します』
無機質なアナウンスと共に、私たちの足元の床が「無」になった。 黒い虚無。底のない奈落。 吸い込まれるような引力が、私とライオネルさんを引きずり込む。
「うわああああっ!?」 「コーデリアッ!!」
アーサーたちが宙を舞う。 ゼクスたちはそれぞれの力で空中に留まっているが、私たちにはそんな力はない。 ライオネルさんが半透明になった腕を伸ばし、私の手を掴もうとする。 だが――すり抜けた。
「……っ!?」
彼の腕は、もう物理的な感触を失っていた。 私の指先が、空しく空を切る。
「いやだ……ライオネルさん……!」
遠ざかる彼の顔。絶望に歪む表情。 そして、私の背後から迫る、全てを消し去る黒い波。 終わりだ。 何もかも、ここで削除されて終わるんだ。
その時。 私の懐で震えていた小さな温もりが、爆発的な熱量に変わった。 それまでルミの陰に隠れていた、銀色の毛玉。 ――リュカだ。
「ガウッ!!(主を消させるか!!)」
リュカが私の胸から飛び出し、宙空で巨大化した。 いつものモフモフした愛犬モードではない。 輝く銀の毛並みはプラチナの光を放ち、その四肢には神々しい青い雷光が纏わりついている。
【Identification: Holy_Beast_Fenrir / Role: System_Guardian】 【Access Level: Special (Emergency)】
私の視界に、見たことのないステータスが表示された。 リュカはただの魔獣じゃない。 このバグだらけの世界システムを守るために配置された、正規の《安全装置》だ。
リュカが大きく息を吸い込む。 その口元に、膨大な光の粒子が集束していく。
『オオオオオオオオオオオオンッ!!!』
放たれたのは、咆哮ではない。 **《強制排除命令(Force Ejection)》**の衝撃波だ。
バリバリバリッ!! 空間を埋め尽くしていた黒いノイズが、リュカの声に触れた瞬間に弾け飛ぶ。 ゼクスの重力も、ルミの花びらも、エルモの時間停止すらも、その圧倒的な「野生の権限」の前には無力だった。
「なっ……聖獣だと!? あの小犬が!?」
ゼクスが驚愕に目を見開く。 リュカは空中で体をひねり、落下していた私とライオネルさん、そして社畜騎士たちを、その巨大な背中で受け止めた。
「掴まれ、主!!」
リュカの声が、直接脳内に響く。 私は必死に彼の毛にしがみつき、半透明になりかけたライオネルさんの襟首を掴んで引き寄せた。
「リュカ! 突破して!」
「承知!!」
リュカは虚空を蹴った。 まるで空に見えない階段があるかのように、光の足場を作り出し、崩壊する塔の壁をぶち破って外へと飛び出した。
ズガァァァァン!! 背後で、制御塔の上層部が、ノイズと共に消滅していく。 私たちはその爆風に押されながら、一直線に荒野を駆け抜けた。
◇
数十分後。 塔が見えなくなるほど離れた荒野の岩陰で、リュカは着地した。 と同時に、プシューッという音と共に、元の「手のひらサイズの子犬」に戻ってしまった。
「きゅぅ……(ガス欠だ……)」 「リュカ! ありがとう、助かったわ……!」
私はリュカを抱き上げた。 周りでは、アーサーたちが地面に大の字になってぜぇぜぇと息をしている。
「し、死ぬかと思った……。なんだよ今の……」 「ジェットコースターなんてレベルじゃねえぞ……」
全員、生きてる。 私は安堵の息を吐き、そして――隣に座り込んでいるライオネルさんを見た。
「……ライオネルさん?」
彼は膝を抱え、震えていた。 その右腕は、まだ半透明なままだ。 いや、それどころか。 左足の先も、そして頬の一部も、ガラスのように透けてしまっている。
「……コーデリア」
彼が顔を上げる。 その瞳は、恐怖で見開かれていた。
「思い出せないんだ」
「え?」
「さっき、君の名前を呼ぼうとした。……なのに、一瞬だけ、君の名前がわからなくなった」
彼は自分の頭を掻きむしる。半透明な指が、髪をすり抜ける。
「君との思い出が……昨日の夕飯が、初めて出会った夜会の記憶が……穴が空いたように抜け落ちていく」
「やめて……言わないで……」
「私は、壊れている。……このままでは、君を忘れて、ただのバグの塊になってしまう」
「私が直すって言ったでしょ!!」
私は叫び、彼を抱きしめた。 感触が薄い。まるで幽霊を抱いているようだ。 それでも、温もりだけは微かに残っている。
「諦めないで。バグなら修正を当てればいい。データが欠けたなら、バックアップから復元すればいい。私はプロよ。絶対になんとかしてみせる」
私の涙が、彼の透けた頬を濡らす。 ライオネルさんは悲しげに微笑み、私の涙を拭おうとしたが――その指は、私の肌に触れることなく空を切った。
「……ああ。もどかしいな」
その時。 アーサーが通信機(アタッシュケース型)を持って駆け寄ってきた。
「チーフ! 拠点に残っていたドワーフ班から連絡です!」
「……何?」
「『とんでもないものを見つけた』と。……例の温泉を掘り進めていたら、地下深くから**《旧時代の遺跡》**らしき金属プレートが出土したそうです」
「遺跡?」
「そこに刻まれている文字が……チーフが塔の入り口で入力したパスワードと同じだと」
【FOR THE HAPPY ENDING】
「……!」
私たちの拠点。あの《死の森》の地下に、開発者たちの痕跡がある? もしかして、あそここそが――タナカの言っていた《メインコンソール》への入り口なのか?
「戻るわよ」
私は立ち上がった。 ライオネルさんを抱き起こす。
「拠点へ戻る。そこに、あなたを治す手がかりがあるかもしれない」
あの3人の「カミ候補」たちは、塔の崩壊に巻き込まれて散り散りになったはずだ。 彼らが体勢を立て直す前に、私たちは真実に辿り着かなければならない。
「全速前進! 家に帰るまでが遠足よ!」
私たちは再び走り出した。 消えゆくライオネルさんの命を繋ぎ止めるために。




