第32話:その塔は、過去(ログ)の墓標である
見えない橋を渡りきった私たちの目の前に、第一の制御塔が聳え立っていた。
「……趣味が悪いわね」
私は塔を見上げて吐き捨てた。 遠くから見れば石造りの塔に見えたそれは、近くで見ると異様な形状をしていた。 無数の黒い直方体――まるで巨大なサーバーラックやHDDが、乱雑に積み上げられたような歪な塔。 表面には、血管のように赤いケーブルが這い回り、ブォォォン……という低い駆動音が響いている。
「塔というより、ただの巨大な演算装置ね」
「~♪ 人の願いが天に届く前に、データ容量が一杯になっちゃった塔さ」
エルモがリュートを鳴らしながら、塔の入り口――巨大な鉄の扉を指差した。
「さあ、お入り。この中は『過去の記録』。世界の真実の欠片が眠る場所だよ」
◇
扉には鍵穴がなかった。 代わりに、空中に半透明のコンソール画面が浮いている。
【Enter Password: _ 】
「パスワード認証か。……チーフ、解析しますか?」
ガラハッドが眼鏡を光らせて前に出るが、私は首を横に振った。
「いいえ。この形式、見覚えがあるわ」
私はコンソールに歩み寄ると、キーボードを叩くように指を動かした。 入力したのは、複雑な術式でも暗号でもない。 かつて、私たちが開発していた『プロジェクト・エデン』の開発チーム共通の合言葉。
【Code: FOR_THE_HAPPY_ENDING】
カシャッ。 緑色のランプが点灯し、重厚な扉が音もなくスライドした。
「……開いた」
アーサーたちが息を呑む。 皮肉なものだ。この世界を作った連中は「ハッピーエンド」を掲げておきながら、実際にはこんなデスゲーム仕様の地獄を作り上げたのだから。
◇
塔の内部は、外見以上に異質だった。 螺旋階段が上へと続いているが、壁一面に無数のスクリーンが埋め込まれている。 そこには、この世界の住人たちの「生活」が映し出されていた。 笑う人々、働く人々、そして――魔物に襲われ、絶望して死ぬ人々。
「これは……監視カメラ?」
「いいえ。これは『ログ』よ」
私は画面の一つに触れた。 映っているのは、数日前にバグで消滅したはずの宿場町だ。
「この塔は、世界中で起きた出来事を記録し、運営へ送信するための送信アンテナなの」
「ひどい……。俺たちの苦しみも、ただのデータとして収集されていたのか……」
騎士たちが拳を握りしめる。 その時、螺旋階段の上から、冷徹な声が降ってきた。
「――その通りだ。ここは神聖なる観測所。不浄なるバグが土足で踏み入る場所ではない」
階段の上に立っていたのは、白装束の異端審問官・ゼクス。 彼は、燃え盛る《アンチウイルス・ファイア》の槍を構え、眼下の私たちを見下ろしていた。
「またお前か! ストーカーかよ!」
イグニスが叫ぶが、ゼクスは無視して、一点だけを――私の後ろにいる少女ルミを睨みつけた。
「警告する。その少女を渡せ。……そいつは人間ではない」
ゼクスの声に、これまでにない切迫感が混じっていた。
「そいつは、この世界を終わらせるために放たれた**《終焉のプログラム(ワールド・イーター)》**だ」
「……は?」
私が呆気にとられていると、ゼクスは階段を駆け下りながら叫んだ。
「気づいているはずだ、管理者代理! その少女が近くにいるだけで、バグ(異分子)が消滅していくのを! そいつは『修正』などという生易しいものではない! 世界を『無』に帰すための初期化装置だ!」
「ち、ちがう……!」
ルミが私の背中にしがみつき、首を振る。
「ルミは、みんなとなかよくしたいだけ……! 消したくない……!」
「その『意思』すらも、プログラムされた欺瞞だとしたら?」
ゼクスが目前まで迫る。 槍が突き出された。狙いは私ではなく、ルミの心臓。
「させんッ!!」
金属音が響いた。 ライオネルさんが割り込み、魔剣で槍を受け止める。 バチバチバチッ! 赤い火花と青い火花が散る。
「退け、バグ騎士! 貴様もそいつの近くにいれば、遠からず消滅するぞ!」
「構わん! ……子供が泣いている。それを守るのに、理由など要るか!」
ライオネルさんが剣を押し返す。 しかし、その瞬間。
ザザッ……!
ライオネルさんの右腕――剣を握っている腕が、肘から先ごと透明化した。
「ぐっ……!?」
力が抜ける。剣がカランと床に落ちた。 ゼクスの槍が、無防備になったライオネルさんの喉元へ迫る。
「ライオネルさん!」
私が叫び、魔法を放とうとした時。
「~♪ ピンチにはヒーロー、あるいは道化師の出番かな」
横合いから、リュートが飛んできた。 エルモが投げた楽器が、ゼクスの槍に当たって軌道を逸らす。
「チッ、邪魔をするな吟遊詩人!」
「いやいや、まだ退場には早いよ。……それにゼクス、君の言っていることは半分正解で、半分間違いだ」
エルモは懐から予備の短剣を取り出し、クルクルと回した。
「彼女は確かに『初期化装置』かもしれない。……でも、彼女を起動させるスイッチ(トリガー)を持っているのは、君が崇拝している『カミサマ』の方じゃないのかい?」
「……何?」
ゼクスの動きが止まる。 エルモは細い目を開き、底冷えする声で告げた。
「君は『バグを消して世界を守っている』つもりだろうけど……実は、君のその炎こそが、世界のリソースを焼き尽くして『終わりの日』を早めているとしたら?」
「貴様……何を言っている?」
「さあね。信じるか信じないかは、君次第さ」
一瞬の膠着状態。 その隙に、私はライオネルさんに駆け寄った。 彼の右腕は、まだ半透明のままだ。触れても感触がない。
「ライオネルさん、腕が……」
「……大丈夫だ。感覚はないが、まだ動く」
彼は無理やり笑顔を作り、透明な手で剣を拾い上げた。 その痛々しい姿に、ルミが涙をこぼす。
「ごめんなさい……ごめんなさい……! ルミのせいで……!」
ルミの涙が床に落ちると、そこから青白い光の波紋が広がった。 塔全体が共鳴し、壁面のスクリーンが一斉にノイズを走りらせる。
『――警告。システム中枢への侵入者を検知』 『防衛システム、起動』
塔の奥底から、機械的な咆哮が聞こえてきた。 ゼクスでも、エルモでもない。 この塔そのものが持つ、真の防衛機能が目を覚ましたのだ。
「……話は後だ! 来るぞ!」
私たちは身構える。 誰が敵で、誰が味方か。 確かなのは、この塔が私たちの「墓標」になりかねないということだけだ。




