第31話:その橋は、リンク切れ(404 Not Found)につき
「……道がない」
馬車を止めたアーサーが、絶望的な声を上げた。 私たちの目の前に広がっていたのは、物理的に「途切れた」世界だった。
北の荒野の果て。 第一の制御塔へと続く唯一の峡谷にかかっていたはずの巨大な石橋が、真ん中からごっそりと消失している。 崩落したのではない。 橋の中央部分だけが、**《青い格子状の空間》**に置き換わり、向こう岸が見えないのだ。
「空間欠損ね。……マップデータが読み込めていない」
私が舌打ちをする横で、吟遊詩人エルモが軽やかに馬車から飛び降りた。
「おやまあ。これじゃあ向こう岸には渡れないねぇ。この谷底は『奈落』。落ちたら最後、座標を見失って永遠に落下し続けるよ」
エルモは楽しそうにリュートを爪弾く。
「~♪ 進むも地獄、戻るも地獄。 ~♪ 勇者の足は止まり、物語はここで打ち切り(エンド)かな?」
「不吉な歌をうたうな」
ライオネルさんが睨みつけるが、エルモは柳のように受け流す。 どうする? 迂回ルートはない。この欠損領域を強行突破するしかないが、足場がない。
「……おねえちゃん」
私の服の裾を、ルミがクイクイと引っ張った。
「あそこ、通れるよ?」
ルミが指差したのは、何もない虚空――青い格子状の空間そのものだった。
「通れる? 足場なんてないわよ?」
「ううん。あるの。『見えないだけ』だから」
ルミは私の手を離し、トテトテと崖の縁へ歩いていく。
「おい、危ないぞ!」
アーサーが止めようとするが、ルミは迷わず虚空へ足をら踏み出した。 ヒュンッ。 彼女の小さな足が、何もない空中で「ピタリ」と止まった。
キンッ……。
波紋のような光が広がり、そこに透明な床があることが示された。
「……なるほど。《透明な床》か」
ガラハッドが眼鏡を光らせた。
「データとしては存在しているが、テクスチャ(画像)が表示されていないだけ……。つまり、判定はある!」
「そういうことね。……ルミ、よくわかったわね?」
私が尋ねると、ルミは無邪気に笑った。
「うん。だって、そこに『1』って書いてあるもん」
「……1?」
「あっちの落ちるところは『0』で、こっちは『1』なの」
背筋が寒くなった。 この子には、世界が「映像」ではなく「バイナリデータ(0と1の羅列)」として見えているのか? それは《管理者》のみが持つ視界ではないのか?
「……ふふ。面白いねぇ」
エルモが、細い目を開いてルミを見つめている。その瞳の奥が、冷たく光った気がした。
「さあ、案内役は決まった。行こうか」
私たちはルミの先導で、見えない橋を渡り始めた。 足元は遥か下の奈落。一歩踏み外せば即死。 しかし、ルミはスキップするように進んでいく。
「~♪ こっちは『1』、そっちは『0』」
無邪気な歌声に合わせて進む一行。 だが、橋の中央付近に来た時だった。
ズズズズズ……ッ!
奈落の底から、不気味な震動が伝わってきた。 青い格子状の空間が歪み、下から巨大な影がせり上がってくる。
「敵襲ッ!!」
ライオネルさんが剣を構える。 現れたのは、峡谷の岩肌と鉄骨がごちゃ混ぜになったような、不定形の怪物。 頭上には、赤文字で**【Deleted_Object】**と表示されている。
「削除されたデータの残骸か! 怨念が集合してやがる!」
ランスロットが双剣を振るう。 しかし、剣は怪物の体をすり抜けた。
「物理無効だ! クソッ、ここも判定なしかよ!」
「グルルルァァァ!!」
怪物が触手を振り下ろす。 物理攻撃は通じないくせに、向こうの攻撃には「当たり判定」があるという、理不尽なクソ仕様だ。
「くっ……! 全員、私の後ろへ!」
私が防御魔法を展開しようとした瞬間。
「――どいて」
ルミが、私の前に出た。 彼女の青い瞳が、再び無機質な銀色に染まる。
「『邪魔』だよ」
ルミが小さな手をかざす。 ただ、それだけ。 魔法陣も、詠唱もない。
パチンッ。
軽い音がした瞬間。 巨大な怪物が、唐突に「消えた」。 爆発したわけでも、逃げたわけでもない。 まるで、最初からそこに存在しなかったかのように、空間ごと切り取られて消失したのだ。
「……え?」
アーサーたちが呆然とする。 倒したのではない。 《Ctrl + Z(取り消し)》。 直前の動作をなかったことにする、絶対的な権限行使。
「……いなくなっちゃった」
ルミは瞳の色を青に戻し、ケロッとして振り返った。
「行こう? おねえちゃん」
私は動けなかった。 今のは、私の持つ《管理者権限》すら超えている。 私は「コードを書き換えて」魔法を使っているが、この子は「結果だけを確定」させた。 それは、運営(開発者)でなければ不可能な芸当だ。
「……すごいねぇ、お嬢ちゃん」
エルモがパチパチと拍手をした。
「君は、本当に『迷子』なのかな? それとも……この世界を掃除しに来た『新しい掃除機』かな?」
「エルモ。あの子を刺激しないで」
私が鋭く言うと、エルモは肩をすくめた。
「おっと、失礼。でも、チーフも気づいているだろう? 彼女の傍にいると……」
エルモは声を潜め、私の耳元で囁いた。
「君の愛しい騎士様の『バグ』が、加速していることに」
「……ッ!?」
ハッとしてライオネルさんを見る。 彼は剣を収めようとしているが、その手が震えていた。 指先が、またノイズのように明滅している。 さっきよりも、範囲が広がっている。
(ルミの力が、周囲のバグを……ライオネルさんまで『修正(削除)』しようとしている?)
「ライオネルさん!」
私は彼に駆け寄り、その手を握った。 冷たい。 彼は、力なく笑った。
「……大丈夫だ。少し、疲れが出ただけだ」
嘘だ。 彼は気づいている。ルミが力を使うたびに、自分の存在が削り取られていることに。 それでも彼は、ルミを責めようとはしない。
「……先を急ごう。この橋を渡れば、制御塔だ」
私たちは再び歩き出した。 無邪気な少女ルミ。 全てを見透かす詩人エルモ。 そして、静かに壊れていくライオネル。
渡りきった先にあるのは、希望か、それとも絶望の答え合わせか。




