第29話:役者(サスペクツ)は、舞台袖で笑う
《死の森》を抜け、私たちは北の荒野を進んでいた。 目指すは、このエリアのデータを管理しているとされる第一の制御塔、《バベルの塔》。
「……妙ですね」
装甲馬車(ドワーフ製・対衝撃仕様)の手綱を握りながら、アーサーが呟いた。
「地図では、この先に『名もなき宿場町』があるはずなんですが……」
彼の視線の先には、何もなかった。 ただ、不自然に平らにならされた更地と、地面に深く刻まれた**《十字架の焼印》**があるだけ。 町一つが、丸ごと消滅していたのだ。
「バグによる崩壊じゃないわ」
私は馬車を降り、地面の焼印に触れた。 熱い。物理的な熱ではなく、データが焦げ付いたような残留思念。
「これは、人為的な『削除』の跡よ」
「クリーニング、だと……?」
ライオネルさんが剣に手をかける。 その時、瓦礫の陰から、小さな影が飛び出してきた。
「たすけて……!」
泥だらけの白いワンピースを着た、10歳くらいの少女だった。 銀色の髪、透き通るような青い瞳。 彼女は私の足にしがみつき、震えている。
「あいつらが……『白い服の人たち』が、みんなを燃やしちゃったの……!」
「白い服?」
私が問い返す間もなく、荒野の向こうから、砂煙を上げて一団が近づいてきた。 白装束に身を包み、顔全体をフードで隠した集団。 その先頭に立つのは、長い銀髪を束ね、目元をバイザーのような魔導具で覆った長身の男。
彼の手には、燃え盛る槍が握られていた。
「――発見した。不浄なるバグの生き残り(エラー・オブジェクト)および、それと接触した感染者たち」
男の声は、氷のように冷徹だった。
「私は聖教会・異端審問局の局長、ゼクス。主の御心に従い、世界の汚れを消毒する者だ」
◇
【視点変更:王都・裏路地】
同時刻、王都。 喧騒から離れた酒場の隅で、一人の男がリュートを爪弾いていた。 糸目の優男、吟遊詩人のエルモだ。
「~♪ 世界は繰り返す、悲劇の螺旋。 ~♪ カミはサイコロを振らない、ただリセットボタンを押すだけ」
彼の周りには、数人の客が集まっているが、誰も彼が「何を歌っているのか」深く理解していない。 エルモは歌いながら、懐から一枚のカードを取り出し、テーブルに置いた。 そこには、今日の私の行動――《コーデリア、少女を保護する》という未来が、まるで予言のように描かれていた。
「おや、役者が揃ったねぇ。 処刑人に、迷子に、そしてイレギュラーな主役。 ……さて、今回の『カミサマ』は、どの子の皮を被っているのかな?」
エルモはニヤリと笑い、リュートの弦を弾いた。 その音色は、不協和音となって空気を揺らした。
◇
【視点復帰:北の荒野】
「引き渡しなさい。その少女は『バグの種』だ」
ゼクスが槍を向ける。 その穂先に宿る炎は、普通のものではない。 私の《鑑定眼》が警告を発している。あれは**《アンチウイルス・ファイア》**。触れれば即座にデータを焼却される、対バグ専用兵器だ。
「断る!」
私が答えるより早く、ライオネルさんが前に出た。 私の後ろでは、保護した少女――ルミが、怯えて震えている。
「罪なき子供を『汚れ』と呼ぶか。貴様らの神は、そんなに狭量なのか!」
「神の定義を問うか。……愚かなNPCよ」
ゼクスがつぶやいた言葉に、私は息を呑んだ。 NPC。 この世界の住人が決して口にしない、プレイヤー視点の単語。
「あなた……何を知っているの?」
私が問うと、ゼクスはバイザーの奥で目を細めた(気配がした)。
「私は全てを知っているわけではない。ただ、この世界が『作り直されるべき箱庭』であると理解しているだけだ。……邪魔をするなら、貴様らもまとめてフォーマットする」
ゼクスが槍を振るう。 放たれた白い炎が、津波となって押し寄せた。
「《食卓の騎士》、展開ッ!!」
アーサーの号令で、ガラハッドが大盾を構える。 しかし、その炎は大盾の防御スキルを「無効化」し、盾ごと彼を吹き飛ばした。
「ぐあぁっ!? 俺のコンプライアンス(絶対防御)が通じない!?」 「バカな! 設定無視かよ!」
「言ったはずだ。これは『消毒』だと」
圧倒的な力。 このゼクスという男、ただの人間ではない。もしかして、彼こそが運営のアバターなのか?
「くっ……! ライオネルさん、あの子を連れて下がって!」
私が前に出ようとした時、私の服を掴んでいた少女ルミが、ふと顔を上げた。 その青い瞳が一瞬、無機質な銀色に輝いた気がした。
キィィィィン……。
甲高い音が鳴り、ゼクスの放った炎が、私の目の前で霧散した。
「……な?」
ゼクスが動きを止める。 私も、ライオネルさんも、何が起きたのかわからなかった。 ただ、少女ルミだけが、怯えた表情のまま、しかし私の手を強く握りしめていた。
「こわい……おねえちゃん、たすけて……」
(今のは……この子がやったの? それとも私の無意識の防御?)
戦場に、奇妙な沈黙が落ちる。 ゼクスは舌打ちをし、槍を収めた。
「……チッ。干渉が入ったか。今は退こう。だが覚えておけ、イレギュラーども。世界の修正は、誰にも止められない」
白装束の集団は、蜃気楼のように揺らぎ、その場から消滅した。 後に残されたのは、更地になった町と、謎だらけの私たち。
「……ありがとう、お姉ちゃん」
ルミが私を見上げて微笑む。 その笑顔は、天使のように無垢で、そしてどこか――背筋が凍るほどに美しかった。




