第28話:在庫処分(ラスト・サッパー)は、最高級食材で
「食べるわよ。……在庫、全部使い切るつもりで」
私の号令とともに、テーブルに並べられた大皿の蓋が開けられた。 立ち上る湯気。広がる脂の甘い香り。 そこにあるのは、私のマジックバッグの奥底に眠っていた秘蔵の食材たちだ。
《霜降りエンシェント・ビーフのすき焼き》 《幻の巨大伊勢海老(クラーケンの足で代用)の姿造り》 《世界樹の果実を使ったコンポート》
どれも、市場に出せば城が建つレベルのSSSランク食材。 明日、世界がどうなるかもわからない。私たちが消されるかもしれない。 ならば、アイテムを温存して死ぬなんて、ゲーマーとしても貧乏性としても許されないことだ。
「……いただきます」
アーサーが掠れた声で手を合わせる。 彼の横には、誰もいない席が一つきり。そこには、トリスタンの遺影代わりに、彼のネクタイと、好物だった《激辛麻婆豆腐(特別製)》が供えられている。
「食え。泣きながらでもいいから、胃袋に詰め込め」
私が肉を取り分けると、騎士たちは涙と鼻水を垂らしながら、無言で肉を頬張った。 噛み締めるたびに、生きている実感が湧くのか、彼らの嗚咽は大きくなっていく。
「うめぇ……。ちくしょう、うめぇよ……」 「トリスタン……お前も食えよ……。いつも『経費削減』って言って、昼飯抜いてただろ……」
その様子を、部屋の隅で見ていた四天王たちが、居心地悪そうにモジモジしていた。
「……おい。お前らも座りなさい」
私が声をかけると、イグニスがビクリと肩を震わせた。
「い、いいのか? 俺たちは敵だぞ?」
「敵だろうが何だろうが、明日は一緒に死線(修羅場)をくぐるのよ。エネルギー充填も仕事のうちです」
「……フン。魔女に情けをかけられるとはな」
イグニスは悪態をつきながらも、席に着いた。他の四天王たちも、恐る恐る箸を伸ばす。 一口食べた瞬間、彼らの目が大きく見開かれた。
「……なんだこれは。魔王城の社食とは次元が違うぞ」 「美味い……。魔力が回復していく……」
最初は別々に固まっていた人間と魔族。 しかし、同じ鍋をつつくうちに、奇妙な境界線が溶けていった。
「おい火属性。肉ばっかり取るな。野菜も食え」 「うるさい聖騎士! 俺は育ち盛りなんだよ!」 「……ねえ、アンタたち、残業代ちゃんと出てる?」 「出るわけねーだろ。魔王様は『やりがい搾取』の天才だぞ」 「マジか。ウチ(ブラック企業)と一緒だな……」
敵対していたはずの者たちが、同じ《理不尽なシステム》の下で喘ぐ労働者として、愚痴をこぼし合い、酒を酌み交わしている。 それは、世界の終わりの前夜に見る、あまりに儚く、温かい光景だった。
◇
宴もたけなわとなった頃。 私は一人、ウッドデッキに出て夜風に当たっていた。 背後の部屋からは、酔っ払ったイグニスとアーサーの笑い声が聞こえる。
「……寒くないか?」
背後から、毛布がそっと肩にかけられた。 ライオネルさんだ。 彼は私の隣に並び、同じ月を見上げた。 その手には、ホットワインの入ったマグカップが二つ握られている。
「ありがとう」
受け取ろうとして、私の手が彼の手に触れた瞬間。
ザザッ……。
指先から、冷たい感触が伝わってきた。 人間の肌の温もりではない。まるで、冷え切った金属か、あるいは《何もない空間》に触れたような違和感。
「――っ」
ライオネルさんが、弾かれたように手を引っ込めた。 マグカップが一つ、カランと音を立てて床に落ち、転がった。中身がこぼれ、床板を赤く染める。
「……すまない。手が、滑った」
彼はそう言ったが、隠しきれていなかった。 彼の手の甲。そこが一瞬、半透明になり、向こう側の床板が透けて見えたのを。
「ライオネルさん」
私は落ちたカップを拾わず、彼の目を見つめた。
「……味が、しないでしょ?」
「……」
「さっきのすき焼きも、ワインも。……熱さも、味も、感じなくなってきているんでしょう?」
彼は痛ましげに顔を歪め、そして諦めたように小さく息を吐いた。
「……ああ。君の料理が、世界で一番好きなのに。……今は、砂を噛んでいるようだ」
彼は自分の掌を見つめた。
「身体が、軽いんだ。恐ろしいほどに。剣を振るっても、疲れを感じない。……まるで、自分が人間ではなく、ただの『機能』になっていくようだ」
トリスタンと同じ現象。 彼がこの世界にとっての《異物》――あるいは《削除対象》になりつつある証拠。
「怖いか?」
私が尋ねると、彼は首を横に振った。
「いいや。……怖いのは、私が消えることじゃない」
彼は私を強く抱きしめた。その腕の力だけは、まだ痛いほどに残っている。
「私がバケモノになって……君を忘れてしまうことだ。君を傷つけてしまうことだ」
彼の震える声が、胸に刺さる。 第3章で待ち受ける悲劇の予兆が、もうそこまで来ている。
「させないわ」
私は彼の背中に腕を回し、コードを記述するように指を這わせた。
「私が直す。あなたのバグも、この世界の狂った仕様も。……私が絶対に、あなたを『人間』に戻してみせる」
「コーデリア……」
「だから、最後まで私のそばにいて。……これは命令よ」
「……イエス・マイ・ロード(御意)」
彼は泣いているようだった。涙は出ていないかもしれないけれど、その魂が泣いているのが分かった。
東の空が白み始める。 タイムリミットまで、あと22日。 私たちは家を後にする。もう二度と、この平和な食卓には戻れないかもしれないという予感を抱きながら。
「総員、起床!! 出発(出勤)の時間よ!!」
私の怒声が、静寂を切り裂いた。 さあ、行こう。 神様への《退職願》を叩きつけに。




