第21話:元部下たちの来訪は、トラウマスイッチを連打する
その日の夕方。 我が家には、スパイシーで刺激的な香りが充満していた。
「よし、スパイスの配合は完璧。タマネギも飴色になるまで炒めたし……」
大鍋の中でグツグツと煮えるのは、特製《薬膳ポークカレー》。 数種類の漢方と、死の森で採れた激辛唐辛子をブレンドした、疲労回復と発汗作用に特化した一品だ。
「ライオネルさん、もうすぐ出来ますからね」 「ああ、待ちきれないな。この香りを嗅ぐだけで、体の奥が熱くなるようだ」
ライオネルさんがテーブルでスプーンを握りしめて待機している。 その時だった。
――平穏を断ち切る、無機質な通知音。
玄関に設置した《来客感知ベル》が鳴った。 モニター(魔法の鏡)を確認すると、そこには銀色の鎧を着込み、首元にネクタイを締めた奇妙な集団が映っていた。
「……誰? N〇Kの集金にしては武装してるけど」
「私が対応しよう」
ライオネルさんが立ち上がり、玄関へ向かう。私もエプロン姿のまま、お玉を持って後に続いた。
◇
ドアを開けると、そこには4人の男たちが整列していた。 先頭に立つ男――アーサーが、アタッシュケースを小脇に抱え、ビシッと名刺を差し出した。
「夜分遅くに失礼いたします。私ども、勇者パーティ《食卓の騎士》代表のアーサーと申します」
「……はぁ。勇者様が、何のご用で?」
ライオネルさんが警戒心を露わにする。 しかしアーサーは、営業スマイルを崩さずに続けた。
「単刀直入に申し上げます。この施設の《買収》、あるいは《福利厚生契約》のご相談に参りました。ここには極上の温泉と食事があると伺っております。我々のような激務の騎士には、どうしても必要なのです」
後ろに控える3人の騎士たちも、無言で頷いている。その目は血走っており、「癒やし」に飢えた亡者のようだ。
「お断りします。ここは一般家庭ですので」
私が背後から声をかけると、アーサーはチラリとこちらを見た。 エプロン姿の私を見て、彼は少し侮ったように鼻を鳴らした。
「奥様ですか? ……ふっ、我々は金貨ならいくらでも用意できます。それに、我々のバックには『転生者ギルド(仮)』という強大なコネクションがありましてね。断れば、この森での営業(暮らし)が難しくなるかもしれませんよ?」
典型的な、虎の威を借るパワハラ交渉術。 その瞬間。 私の中で何かが「プチン」と切れた。
――温度が、消える。
「……ほう? 言わせておけば」
私は一歩前に出た。 纏っていた空気が変わる。 スローライフを楽しむ令嬢の雰囲気から、納期3日前の修羅場を仕切る《現場監督》のオーラへ。
「アポなし訪問で、いきなり買収提案? まずは挨拶と手土産からでしょうが。ビジネスマナー研修、やり直してきたらどうですか?」
私の低い、ドスの効いた声。 アーサーの笑顔が引きつった。
「な、なんだこの女……。ただの主婦じゃない……?」
「それに、そのネクタイ。結び目が歪んでますよ。ランスロットさん、あなた営業エースなんでしょ? 第一印象がそれで契約取れると思ってるんですか?」
「ひっ!? な、なぜ俺の名と役職を……!?」
後ろにいた双剣使いが震え上がる。 私はさらに、一番後ろで怯えている魔導師を見据えた。
「トリスタンさん。進捗管理が甘いから、チーム全体が残業してるんじゃないんですか? ガラハッドさん、コンプライアンス遵守って言いながら、労働時間(活動限界)オーバーしてません?」
「「……ッ!?」」
――記憶の蓋が、開く音。
騎士たちの顔色が、サーッと青ざめていく。 この口調。この理詰め。そして、見透かすような冷たい目。 彼らの脳裏に、前世のトラウマ――深夜のオフィスで仁王立ちしていた《伝説の鬼チーフ》の姿がフラッシュバックする。
アーサーが、ガタガタと震える指で私を指差した。
「ま、まさか……。その声……その圧力……」
私はニッコリと、しかし目は笑わずに告げた。
「お久しぶりですね、皆さん。……《私のチーム》から逃げ出して、異世界で勇者ごっこですか? いいご身分ですねぇ?」
――絶望が、背筋を駆け抜ける。
「「「「チ、チーフぅぅぅぅぅぅっ!?」」」」
4人の社畜騎士たちは、その場に崩れ落ちた。
――鎧とプライドが、地に堕ちる音。
「も、申し訳ありませんでしたぁぁぁ! まさかここにいらっしゃるとは露知らず!」 「ぶ、無礼な口を利いてしまい……! どうか減給だけは! 減給だけはご勘弁を!」
「……コーデリア。彼らは、君の知り合いなのか?」
事態についていけないライオネルさんが、ポカンとしている。 私はお玉を肩に担ぎ、ため息をついた。
「ええ。前世で、私が手塩にかけて育てた(しごいた)部下たちです。……まったく、転生しても社畜根性が抜けてないなんて、教育の敗北ですね」
「ひぃぃ! お許しを! 何でもします! 皿洗いでも草むしりでも!」
泣きつくアーサー。 その時、彼が落としたアタッシュケースから、小さな何かが転がり出た。 それは、彼らが四天王から奪った《鍵の欠片C》だった。
――運命が、転がり落ちる。
「……ん?」
私のポケットに入っていた《欠片A》と、ライオネルさんが持っていた《欠片B》が、共鳴するように光り出した。
――世界が、共鳴を始める。
3つの欠片が宙に浮き、一つに融合しようとしている。 それを見たアーサーが、涙目で叫んだ。
「そ、それはデバッグルームの鍵!? まさかチーフも、運営(クソ上司)への殴り込みを画策しておられたのですか!?」
「……偶然ですけどね」
私は空中で結合した《完全な鍵》を手に取った。 ずっしりと重い、黄金の鍵。 これがあれば、世界の管理システムへアクセスできる。
「とりあえず、詳しい話は後です」
私は鍵をポケットにねじ込み、土下座する元部下たちを見下ろした。
「あなたたち、お腹空いてるんでしょう?」
「は、はい……。ここ数日、ポーションと携帯食料だけで……」
「なら、入りなさい。……今日はカレーです」
その言葉を聞いた瞬間、騎士たちの目から大粒の涙が溢れ出した。 かつて、徹夜続きの深夜に、私が差し入れたカレーの味を思い出したのだろう。
「い、いただきますぅぅぅ!」
◇
数十分後。 リビングには、涙と鼻水を流しながらカレーを貪り食う騎士たちの姿があった。
「うめぇ……! 辛ぇ……! でも美味ぇ……!」 「このスパイス……五臓六腑に染み渡る……!」
ライオネルさんも、彼らに混じって汗だくでカレーを食べている。 奇妙な連帯感が生まれていた。
「ふぅ。……で、チーフ」
食後のチャイを飲みながら、少し落ち着いたアーサーが真剣な顔で私を見た。
「鍵は完成しました。……いつ、行きますか? 『運営』の元へ」
私は窓の外、満月が照らす夜空を見上げた。 タナカ(仮)の警告、タイムリミットまであと少し。 戦力(部下)は揃った。鍵もある。 ならば、やることは一つだ。
「……明日の朝イチで出発します。このふざけた世界の仕様、私が責任を持って修正させますから」
「イエス・マム!」
元部下たちが敬礼する。 最強の悪役令嬢と、最強の騎士、そして最強の社畜騎士団。 これ以上ないドリームチーム(ブラックな意味で)が結成された瞬間だった。




