第18話:そのダンジョン、テクスチャ貼られてませんよ
「コーデリア。君はここに残っていてくれ。これは国の任務だ」
翌朝。 完全武装したライオネル公爵は、玄関先で私を制した。 彼が向かおうとしているのは、北の国境付近で観測されたという《空間の歪み》。 陛下の勅命を受けた彼は、騎士団長モードの真剣な表情だ。
「ダメです。そこ、うちの敷地(庭)の延長線上ですよね?」
私はリュカの背中に弁当が入ったバスケットを括り付けながら答えた。
「私のスローライフ圏内で起きたバグは、私が処理します。それに……」
私は小声で付け足した。
「その歪み、普通の騎士じゃ対処できない案件な気がするんです」
「……わかった。だが、私の背中から離れないと約束してくれ」
「はいはい。ピクニック気分でついて行きます」
◇
森を北へ進むこと数キロ。 空気が重くなり、鳥のさえずりが消えた。 そして、私たちは「それ」を目撃した。
「な、なんだこれは……!?」
ライオネルさんが絶句するのも無理はない。 目の前の空間が、不自然に切り取られていた。 森の景色が途切れ、そこには**《毒々しい紫と黒の市松模様》**が広がっている。 地面もなければ、空もない。ただ、無機質な格子模様が浮いているだけの異様な光景。
「……うわぁ」
私は思わず顔を覆った。
(テクスチャ欠けだ……)
3Dゲームでよくある、画像データが読み込めなかった時に表示されるデフォルトの柄。 この世界、メモリ不足で背景描写を放棄し始めているらしい。
「下がってくれ! 何か来るぞ!」
市松模様の奥から、ガサガサというノイズ音と共に、魔物らしき影が現れた。 それはドラゴンの形をしていた。 だが、色が真っ白で、影がなく、表面に《NO DATA》という文字がびっしりと書かれている。
「白竜か!? だが、様子がおかしい!」
ライオネルさんが魔剣を抜き、疾風のごとく斬りかかる。 キンッ! 鋭い金属音。しかし、剣はドラゴンの身体をすり抜け、ダメージを与えられない。
「バカな! 手応えはあるのに、刃が通らない!?」
「あー……やっぱり」
私は遠い目をした。 あれは《当たり判定》の設定ミスだ。 見た目はそこにあるのに、攻撃判定の座標がズレている。
「ライオネルさん! そのドラゴンの本体は、そこじゃありません! 右に1メートルずれた空間を斬ってください!」
「右!? 何もない空間をか!?」
「いいから! 信じて!」
「くっ、承知!」
ライオネルさんは迷いを捨て、ドラゴンの横の何もない空気を全力で薙ぎ払った。
ズバァァァン!!
「ギャオオオオオン!?」
何もいないはずの空間から断末魔が上がり、同時に目の前の白いドラゴンがポリゴン状に砕け散った。
「……斬れた。見えない敵を斬ったぞ……」
ライオネルさんが自分の剣を不思議そうに見つめている。 私はため息をつきながら近づいた。
「座標ズレのバグですね。……このエリア、相当汚染が進んでます」
私は市松模様の空間に手をかざした。 ピー、ガガーッ……。 不快な音が鳴り響く。ここは《ダンジョン》ではない。世界の崩壊が始まっている《欠損領域》だ。
「ライオネルさん。この中には入らないほうがいいです。落ちたら無限落下して、二度と戻ってこれないかも」
「……これが、陛下が仰っていた予兆か」
「ええ。応急処置をしておきます」
私はリュカの背中から《結界石》を取り出し、歪みの周囲に配置した。 そして、前世で覚えたプログラミング言語を魔術語に変換して詠唱する。
「――対象領域を隔離。アクセス権限を凍結。……封印!」
バチバチバチッ! 光の鎖が市松模様を覆い隠し、周囲の空間を強制的に「立ち入り禁止区域」として固定した。 根本的な解決にはなっていないが、とりあえず被害が広がるのは防げるはずだ。
「ふぅ。疲れました」
「……見事だ、コーデリア。君は魔術の天才だな」
「いえ、ただの対処療法ですよ」
私は額の汗を拭った。 このペースでバグが増えていったら、あと20日も持たないかもしれない。 タナカ(仮)の言っていた「メインコンソール」を見つけて、システムごと再起動しなければ、私のスローライフは文字通り《虚無》に飲み込まれてしまう。
「……ん? 何か落ちてる」
封印した歪みの手前に、キラリと光る物が落ちていた。 先ほどのバグ・ドラゴンがドロップしたアイテムだろうか。 拾い上げてみると、それは古びた「鍵」のような形をした金属片だった。
【アイテム名:デバッグルームの鍵(欠片A)】 【説明:開発者専用エリアへのアクセスキー。3つ集めると扉が開く……かもしれない】
(……これだ!)
私の背筋に電撃が走った。 メインコンソールへの道筋。これがあれば、システム中枢へ殴り込みに行けるかもしれない。
「コーデリア? どうした、そんなガラクタを拾って」
「ライオネルさん。これ、ガラクタじゃありません」
私は鍵の欠片を握りしめ、ニヤリと笑った。
「世界を救う……いえ、私の平穏な老後を守るための《希望の光》です」
「老後……? 君はまだ10代だろう?」
「気分の問題です! さあ、帰りましょう! サンドイッチが待ってますよ!」
私は足取り軽く歩き出した。 やるべきことが見えた。 この世界中に散らばった《バグ》を探し出し、鍵のパーツを集めること。 それはつまり――**「世界各地の名産品を食べ歩きながらの冒険旅行」**の口実ができたということだ!
「次は東の海に行きましょう! 海鮮丼が私を呼んでます!」
「……君の危機感の無さには、時々救われるよ」




