第17話:トップダウン(国王来訪)は、現場を混乱させる
「――腹が……減った」
私の家の前に立った初老の紳士は、ダンディな声でそう呟いた。 仕立ての良い服、整えられたロマンスグレーの髭、そして背後には護衛(どう見ても近衛騎士)を隠そうともしない集団。
「いらっしゃいませ。……ご予約のお客様ですか?」
私が引きつった笑顔で尋ねる。 横にいたライオネルさんが、小声で悲鳴を上げた。
「へ、陛下……!? なぜここに……!」
「しっ! 静かにせよライオネル。今の余はただの酒好きの隠居、名を……そう、《ゴロー》という」
(……ネーミングセンスが絶望的ですね)
私は心の中でツッコミを入れたが、相手は国のトップだ。 へたな対応をすれば、スローライフどころか物理的に首が飛ぶ。ここは「優秀な店員」に徹するのが正解だろう。
「ようこそ、ゴロー様。当店の《癒やしフルコース》をご所望ですね?」
「うむ。噂の焼酎と、例のサウナとやらを頼みたい。……あと、何か腹にたまるものを。急ぎで」
「かしこまりました。では、まずはサウナへご案内いたします」
◇
数十分後。 サウナ小屋から、王の威厳など微塵もない声が響いてきた。
「おおぉ……! 熱い! だが、悪くない!」
《ロウリュ》の熱波を浴びた陛下は、茹でダコのようになって水風呂へダイブ。 そして、ウッドデッキの休憩椅子で、虚空を見つめて震えていた。
「……整った」
完全にキマっている。 隣では、ライオネルさんが「父上……いえ、ゴロー様、お風邪を召します」と甲斐甲斐しくタオルを掛けている。 この国のツートップが、私の家の庭で無防備に寝転がっている図。 もしテロリストが来たら一網打尽だな、と不敬なことを考えつつ、私は厨房で夕食の仕上げにかかった。
「本日のメニューは、《豚の角煮・半熟煮卵添え》と《無限キャベツ》です」
私が料理を運ぶと、陛下の目がカッと見開かれた。
「ほほう。茶色い料理……。いいじゃないか、こういうので」
陛下は箸を手に取り、トロトロに煮込まれた角煮を口に運んだ。
(……箸で切れる柔らかさ。甘辛いタレの香り。これは、白飯泥棒だ)
パクッ。モグモグ……。
(うん、美味い。豚の脂身が口の中で溶けていく。そこに焼酎を流し込む……)
グビッ。
(くぅ~っ! 効く! 犯罪的だ!)
陛下は無言で頷き、箸を加速させた。 食べる。飲む。整う。 その完璧なルーチンワーク(永久機関)を前に、周囲の護衛騎士たちもゴクリと喉を鳴らしている。
「……美味かった」
完食。 陛下は満足げに腹をさすり、鋭い眼光で私を見据えた。
「コーデリア嬢と言ったな」
「はい」
「そなたを追放したのは、我が愚息クリフォードだったな。……見る目がないとはこのことか」
陛下は溜息をつき、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
「余は決めたぞ。そなたを王宮へ呼び戻し、筆頭魔導師……いや、《宮廷料理長》兼《サウナ大臣》に任命する!」
「お断りします」
私は即答した。 食い気味の拒否に、陛下が「ぬ?」と眉を上げる。
「なぜだ? 名誉も地位も、金も思いのままだぞ?」
「陛下。私はここで、誰にも縛られず、好きな時に起きて好きな物を食べる生活がしたいのです。王宮のようなブラック……激務な環境には戻りたくありません」
「ぶらっく?」
「それに」
私は横でハラハラしているライオネルさんに視線を向けた。
「私が王宮に戻ったら、ライオネルさんが週末に逃げ込んでくる場所がなくなってしまいますから」
「……!」
ライオネルさんが感動で目を潤ませている。 陛下は二人の顔を交互に見比べ……ニヤリと悪戯っぽく笑った。
「なるほど。我が国の騎士団長を骨抜きにしたのは、この飯と酒か。……いや、愛か」
「へ、陛下!」
「よかろう。そなたの自由を認めよう。その代わり!」
陛下はドン! とテーブルを叩いた。
「この《コーデリア・ブリュワリー》の酒と、季節の野菜を、毎月王宮へ送れ。余の個人的な楽しみ(プライベート在庫)としてな」
「承知いたしました。……定価の3割増しになりますが?」
「構わん! 必要経費だ!」
こうして、国王陛下公認の「最強の酒と野菜」が誕生した。 王宮へのコネクション(直通パイプ)を手に入れた私は、もはや無敵。 ……だと思っていた。
帰り際。 陛下がふと、酔いの冷めた真面目な顔で、ライオネルさんに耳打ちをしたのを、私は聞き逃さなかった。
「……ライオネルよ。北の国境付近で、奇妙な『空間の歪み』が観測されたそうだ。……例の伝承にある予兆かもしれん。警戒せよ」
「……はっ!」
陛下たちが去った後の静寂。 私は空を見上げた。 タナカ(仮)が言っていたタイムリミットまで、あと25日。
「サウナで整ってる場合じゃなかったかも」




