第11話:そのバグ報告書(チケット)は、●●からのラブレター
目の前で繰り広げられているのは、もはや魔法というチャチなものではなかった。
「削除!」 「上書き保存だ、よっと!」
影が放つ《存在抹消の黒い波》を、眼帯の青年が指パッチン一つで《極彩色のノイズ》に変え、霧散させていく。 世界がバグったゲーム画面のように明滅する。
『不可解……。なぜ、外部からの書き込み権限が……』
「セキュリティガバガバなんだよ、お宅の箱庭は」
青年は嘲笑うと、懐から古びた鍵のようなものを取り出し、空間の裂け目に突き立てた。
「――強制ログアウト」
カチリ、と音がした瞬間。 あれほど圧倒的だった「影」が、テレビの電源を切ったようにプツンと消失した。 後に残ったのは、静寂を取り戻した森と、呆然とする私、そして警戒を解かないライオネルさんだけ。
「……ふぅ。危ない危ない。あと数秒遅れてたら、セーブデータごと飛んでたな」
青年は眼帯の位置を直し、軽い足取りでこちらへ近づいてきた。 ライオネルさんが即座に私を背に隠し、剣を向ける。
「止まれ。貴様は何者だ? あの『影』の仲間か?」
「仲間? ハッ、冗談キツイぜ。俺はただの……そう、通りすがりのデバッガーさ」
青年は剣先を指で軽く弾くと、興味なさげにライオネルさんを一瞥し――そして、その視線を「憐れみ」を含んだものに変えた。
「……へぇ。今の周回では、そいつが『騎士団長』のロールを演じてるのか」
「……何?」
ライオネルさんが眉を潜める。 しかし青年はそれ以上何も言わず、私のほうへと視線を移した。 その深紅の瞳と目が合った瞬間、私は心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受けた。
初めて会うはずの顔。 なのに、その立ち振る舞い、人を食ったような笑い方、そして何より……。
「よお。久しぶりだな、《チーフ》」
「……え?」
私の口から、乾いた声が漏れた。 《チーフ》。 それは、この世界の呼び名ではない。 前世のブラック企業で、私が開発チームのリーダーを押し付けられていた時の、忌まわしい役職名だ。
「まさか……あなた……」
「気づくのが遅いぜ。あんたが過労死したあの夜、俺も一緒にサーバールームで倒れてたはずなんだがな」
青年はニヤリと笑い、私だけに聞こえる声量で、決定的な言葉を囁いた。
「『プロジェクト・エデン』の最終更新者、タナカだよ。……あんたの可愛い後輩のな」
思考が真っ白になった。 タナカ。優秀だけど生意気で、いつも私のコードに勝手に裏口を仕掛けては怒られていた、あの後輩? 彼も転生していた? しかも、この世界のシステムに干渉できるほどの力を手に入れて?
「混乱してるみたいだが、手短に話すぞ。この世界はただの異世界転生先じゃない」
彼は表情を引き締め、空を指差した。
「ここは、俺たちが開発中止にしたはずの《失敗作》の成れの果てだ」
衝撃の事実に言葉を失う私をよそに、彼はさらに爆弾を投下する。 チラリと、私の背後で剣を構えるライオネルさんを見ながら。
「気をつけておけよ、チーフ。あんたが今、一番信頼しているその男……」
「ライオネルさんが、どうしたの?」
「そいつは人間(NPC)じゃない。……この世界をバグらせて、開発中止に追い込んだ**《ウイルス・オリジン》**だ」
「――ッ!?」
私が振り返ると、ライオネルさんは怪訝そうな顔でこちらを見ていた。 彼自身は何も気づいていないようだ。ただ純粋に、私を守ろうとしている、温かい瞳。 それが《ウイルス》? 嘘だ。あんなにじゃがバターを美味しそうに食べるウイルスがいてたまるか。
「信じるか信じないかは、あんた次第だ」
タナカ(仮)は踵を返した。
「影(運営)は一時的に弾いたが、次はもっとデカイ修正パッチを当ててくるぞ。タイムリミットは30日。それまでに《メインコンソール》を見つけないと……この世界は、初期化される」
「待って! どこに行くの!」
「俺は俺でやることがある。……あんたを二度も過労死させたくないんでね」
彼は背中越しに手を振り、空間の裂け目へと消えていった。
「……あ、あと! 勘違いするなよ!」
消え際に、彼は顔だけ出して叫んだ。
「俺があんたのコードをいじくり回してたのは、嫌がらせじゃなくて……構ってほしかっただけだからな! バーカ!」
シュンッ。
今度こそ、彼は完全に消えた。
「……」
残されたのは、気まずすぎる沈黙と、処理しきれない情報の山。
「コーデリア……?」
ライオネルさんが恐る恐る声をかけてくる。 私は彼の顔を直視できなかった。 彼が《ウイルス》? 世界を壊す原因? そんなの……。
「……帰りましょう、ライオネルさん」
私は震える手を隠し、彼の袖を掴んだ。
「お腹、空いちゃいました」
「……ああ。今日はシチューにしようか」
彼は何も聞かずに微笑んでくれた。 その優しさが、今はたまらなく怖くて、そして愛おしかった。
私たちは並んで歩き出す。 背後の空には、うっすらと赤い文字で**【Count Down: 29 Days】**という警告が表示されていることに、私はまだ気づかないフリをしていた。




