第109話 再定義された「本社」、および無限の残業の始まり
ホワイトアウトした視界が、ゆっくりと「超現実」を超えた解像度で再構成されていく。 そこに広がっていたのは、見慣れたオフィスビルでも、ファンタジーの草原でもなかった。
空は存在せず、無限に続くグリッド状の天井には、数兆個のサーバーランプが星のようにまたたいている。床は鏡面仕上げの漆黒の樹脂。そして、地平線の彼方まで、整然と並ぶ「デスク」と「モニター」――。 ここは、宇宙の全演算を集約し、管理するために新設された**『統合現実・本社ビル』**だった。
「……ログイン、完了ね。いえ、この場合は『入社』と言うべきかしら」
コーデリアが、自分の赤いバインダーを強く握り直す。彼女の姿は、以前の「鬼のチーフ」のスーツ姿に戻っていたが、その生地の質感は分子レベルで鮮明であり、存在の重みが数倍に増していた。
「コーデリア殿……。ここは、どこなのだ? 私の剣が……私の手と一体化しているような、奇妙な感覚だ」
ライオネルが、自分の腕を見て愕然とする。彼の肉体はもはやタンパク質とポリゴンの境界を失い、この世界の「物理」そのものに直結していた。 足元では、リュカが「もふもふ」の毛並みを取り戻していたが、その一本一本が黄金の光ファイバーのように輝き、周囲のデータを吸い込んでいる。
「ライオネル、落ち着いて。私たちは『事業譲渡』によって、破綻した旧世界からこの新会社へと移籍したのよ。ここでの私たちの役目は、もう『冒険者』でも『騎士』でもない。……この世界の存続という名の、永遠の**『維持管理業務』**に従事することよ」
無限の底:負債の身代わりたちの「現在」
一方その頃。 新会社へと転送された「資産」たちの影で、切り捨てられた「負債」——魔王軍四天王たちの地獄は、さらなる深淵へと到達していた。
「……ア……ア……。あ……」
イグニスの口から漏れるのは、もはや言葉ですらない。 彼らが今いる場所は、新世界の「ゴミ箱」の底すら超えた、『未定義の深淵』。 そこでは、物理法則も時間も存在しない。あるのは、新世界を清潔に保つために排出され続ける、無限のエラーログの濁流だけだ。
「……あ、あは……。まだ、やるのか……? もう、自分を捨てるための『自分』すら、残って、いないのに……」
アクアの頭部は、半分がノイズの塊と化し、その中から剥き出しの回路が絶望的な火花を散らしている。 彼らの仕事は、もはや「シュレッダー」ではない。 彼ら自身が**「負債を食べるフィルター」**へと改造されていた。
新世界で発生するあらゆる「負理不尽」「絶望」「バグ」が、パイプを通じて四天王の魂に直接注ぎ込まれる。彼らはその猛毒を自らの存在で中和し、浄化された「無」を排出し続ける。
「コーデリア……様……。助けて……。もう、何も……考えたく、ない……」 テラとゲイルの意識は既に一つに溶け合い、巨大な演算装置の一部となって、絶え間ない激痛のシグナルを処理し続けている。 だが、彼らが意識を失おうとするたびに、コーデリアがかけた「首輪」が精神を強制的に蘇生させ、リフレッシュされた状態での「新たな絶望」を味わわせる。
「……警告、効率が低下しています。……ペナルティとして、過去の『最も輝かしかった思い出』のデータを、一点ずつ焼却します」
無機質なシステムボイスが、彼らに最後の一撃を加える。 彼らは「自分たちがかつて四天王であり、誇り高き存在であった」という記憶さえも、労働の燃料として燃やし尽くされ、文字通りの「空っぽのパーツ」へと堕ちていく。
終わらない出勤
コーデリアは、コンソールに浮かぶ四天王の「処理効率グラフ」を無感情に眺めていた。
「順調ね。彼らが負債をすべて肩代わりしてくれているおかげで、この新世界(会社)の株価は安定しているわ」
「……コーデリア殿。彼らは……あの中にいる者たちは、いつか救われるのか?」 ライオネルの問いに、コーデリアは振り返りもせず答えた。
「救われる? 勘違いしないで、ライオネル。これは刑罰ではなく『契約』なのよ。彼らは死ぬまで働くと誓った。そしてこの新世界では、『死』という概念は存在しない。……つまり、契約は**『永劫』**よ」
コーデリアが指を鳴らすと、ライオネルと食卓の騎士たちの前に、新たな業務マニュアルが具現化した。
「さあ、お喋りは終わり。次の四半期の『現実構築』の予算会議が始まるわ。……遅刻は厳禁よ、社員諸君」




