第107話 存在の債務超過と、絶望の「自己処理」
超現実の空が、古い壁紙のように剥がれ落ちていく。その裂け目から覗くのは、星空ですらなく、ただの漆黒の虚無――プログラムが定義を放棄した「未割り当て領域」だった。
「警告:全リソースの解放を開始します。未保存のデータ、および未承認の存在は順次破棄されます」
無機質なシステムボイスが、世界の終焉を告げる事務連絡のように響き渡る。
「……はは、笑えるわね」 コーデリアの唇から、力ない乾いた笑いが漏れた。 「私がシャドウ君を『正社員』として雇用したことで、システムは彼を『管理者直属の削除プロセス』として承認してしまった。私が彼に与えた『業務』そのものが、この世界を消し去ることだったなんて」
「コーデリア殿! リュカの、リュカの体が……!」 ライオネルの悲鳴に視線を向けると、そこにはかつてない絶望があった。 リュカの美しい「もふもふ」の毛並みが、触れる端から灰色のノイズに変わり、ボロボロと崩れ落ちている。リュカは鳴き声すら出せず、苦しげに震えるだけだ。 ライオネル自身の鎧も、もはや形を保てず、肉体と金属が泥のように混ざり合い始めていた。
「手は……打てないのか? 貴殿なら、何か『裏技』を知っているはずだろう!?」 「……無理よ、ライオネル。これはエラーじゃない。システムの『正当な仕様』なの。倒産(倒壊)が決まった会社の清算を、一社員が止めることはできない。……私たちは、最初から詰んでいたのよ」
下層:死よりも凄惨な「自分自身の整理」
一方、超現実の最下層、地獄の隔離サーバー。 そこでは、四天王たちが人類の想像を絶する「極限の責め苦」の中にいた。
「う……あ……。これは、なんだ……? 俺が今、仕分けているこのデータ……」 イグニスが、震える手で掴んだデジタルの塊を見て、絶叫した。 それは、イグニスという個人の「幼少期の記憶」と「火の魔力を制御する回路」そのものだった。
彼らに与えられた最終業務——それは、**「自分自身を構成する全データを、カテゴリー別に分類してゴミ箱へ捨てる」**という、究極の自己否定作業だった。
「嫌だ……捨てたくない! これは俺だ! 俺の『存在』なんだ!」 アクアが泣き叫びながら、自分の心臓のデータ(ソースコード)を抱きしめる。 しかし、首に嵌められたコーデリアの首輪が、容赦なく「労働」を強制する。手が勝手に動き、自分の核となるデータを『不要不急』のフォルダへとドラッグしていく。
「動け……動けよ、俺の腕……! 捨てさせないでくれ……!」 テラとゲイルの肉体も、すでに下半身が消滅し、空中に浮いた上半身だけで、自分の「命の残骸」をシュレッダーにかけていた。 彼らが作業を終えるたび、彼らの意識は少しずつ希薄になり、感情が抜け落ちていく。
「コーデリア様……助けて……。俺たちは、自分の手で自分を殺している……。こんなの、地獄よりひどい……!」
彼らの慟哭は、超現実のノイズに飲み込まれていく。 彼らがどれだけ必死に働こうとも、その成果は「自分の消滅を完遂させること」でしかない。 これこそが、アリス顧問が仕掛けた「詰み」の正体。抗えば苦しみが増し、従えば消える。出口のないデッドロックだった。
観測者、タナカの再臨
崩壊する開発室の片隅。 何もかもが消えていく中で、そこだけが凪のように静かな一角があった。 気づけば、タナカが古びたパイプ椅子に腰掛け、虚空を見つめていた。
「やれやれ。プロジェクトの清算とは、いつ見ても寂しいものですね」
「タナカさん……。あなた、これを予見していたのね」 コーデリアが、崩れゆくコンソールを支えながらタナカを睨む。
「予見ではありません。私はただ、仕様書を読んでいただけです。……ですが、コーデリアさん。有能なチーフなら、会社が倒産する時、最後に何をするか……ご存知でしょう?」
タナカの瞳に、不穏な、しかし底知れない叡智の光が宿る。 世界が完全に無へと帰すまで、あと数分。 コーデリアは、震える指で最後の一手を、もはや「入力」すら不可能な真っ白な画面に叩き込もうとしていた。




