第100話 白銀の聖域、或いは「開発室」という名の神殿
光の歪みを抜けた先に広がっていたのは、摩天楼の喧騒でも、魔法が渦巻く戦場でもなかった。
そこは、不自然なほどに静まり返った、果てしなく続く「真っ白な部屋」だった。 壁も床も天井も、継ぎ目のない乳白色のパネルで構成されている。そしてその空間には、無数のホログラムディスプレイが浮かび、自分たちがいた世界の「ログ」が、滝のような速度で流れ落ちていた。
「……ここが、真の現実。創造主たちの牙城ね」
コーデリアが呟き、自分の手を見つめる。 アバターとしての記号的な美しさではない、指紋の一つ一つまでが「質感」として存在する、生身の感触。彼女はこの感覚を知っている。かつて、この世界の「外側」で生きていた頃の感触だ。
「う、うわあああっ! 俺の、俺の手が……! 鎧が……何だか重苦しいぞ!」
後ろから飛び込んできたライオネルが、自分の腕を凝視して叫ぶ。彼らの装備は、この高解像度の世界においても形を保っていたが、その表面には細かな傷や金属の酸化までが冷酷なまでに描写されていた。
「ライオネル、騒がないで。情報密度(解像度)が上がっただけよ。……リュカ、大丈夫?」
コーデリアが足元を見ると、リュカもまた、一房ごとの毛並みが風に揺れるほどリアルな存在感を放っていた。リュカは少し心細そうに「きゅう……」と鳴き、コーデリアの足に体を寄せた。
観測者たちの不在
部屋の中央には、巨大な円形コンソールが鎮座していた。本来なら、ここにこの世界を管理する「創造主」たちが座っているはずだった。 だが、そこには誰の姿もない。
椅子は倒れ、コーヒーカップが床に転がり、中身が乾いている。まるで、つい数分前まで誰かがいたかのような、不自然な生活の残滓。
「……遅かったか」
コーデリアがコンソールのモニターを覗き込む。 そこには、全権限を掌握したことを示す赤い警告文が、無機質に点滅していた。
『警告:全ワールドの管理権限を Guest-Account "SHADOW" に譲渡しました』 『全ユーザーの意識を「集団催眠ワークシェア」に移行。演算リソースを現実世界の再定義に使用します』
「あいつだ……ガラハッド様だ! あそこにいるぞ!」
ライオネルが指差した先。 空間の最奥、天を突くような「メインサーバー」の直下に、二人の影が立っていた。
豪奢なマントを翻し、狂気に満ちた笑みを浮かべるガラハッド。 そしてその隣には、相変わらず冴えない表情で、魂が抜けたように立ち尽くす闇バイトの男、シャドウ。
「ははは……! ついに辿り着いたぞ! この世界の『中枢』にな!」
ガラハッドが振り返る。その瞳には、現実世界のデータすらも支配下に置いた万能感が宿っていた。 「見ていろ、コーデリア。今、この惨めな現実を、俺が望む『最強の帝国』へと書き換えてやる。神も、運営も、不具合も……すべて俺に従うのだ!」
「……不承認よ、ガラハッド君」
コーデリアは一歩も引かず、バインダーを固く握り締めた。 「無断での大規模システム変更、および全ユーザーへの強制労働の強要。これは就業規則違反どころか、重大な背任行為よ。……今すぐその手を離しなさい」
「ふん、規約だと? ここでは俺が規約だ! 行け、シャドウ! お前の『虚無』で、この女の権限をすべて消し去れ!」
ガラハッドの命令に従い、シャドウがゆっくりと、機械的な足取りでこちらへ歩み寄ってくる。 彼が通るたびに、現実世界の物理法則が「エラー」を起こし、床がデジタルノイズとなって消えていった。




