第10話:致命的な例外エラー(Fatal Error)が発生しました
「――完(?)」
私の脳内でエンドロールが流れかけた、その時だった。 賑やかに逃げ帰る王子たちの背中を見送っていた私の視界が、ぐにゃりと歪んだ。
「……ん?」
めまいだろうか? いや、違う。 風景の彩度が落ちている。鮮やかな緑色だった森の木々が、色あせたセピア色……いや、ノイズ混じりの灰色へと変色していく。
「コーデリア? どうした、顔色が悪いぞ」
私の異変に気づいたライオネルさんが、心配そうに覗き込んでくる。 だが、私の耳には彼の声が遠く、水の中で聞いているように曇って聞こえた。
ザザッ……ザザザ……。
耳鳴り? 違う、これは……《処理落ち》の音だ。
「グルルルルゥッ!!!」
さっきまで甘えていたリュカが、全身の毛を逆立てて、誰もいない虚空に向かって吠えた。 その牙は、王子たちに向けた時とは比べ物にならないほど、本能的な恐怖に震えている。
「リュカ、下がって。……ライオネルさんも」
私は震える声で告げた。 私の《社畜眼(鑑定スキル)》が、とんでもないものを捉えていたからだ。
王子たちが去っていった森の入り口。 そこに、黒い「シミ」のようなものが浮いていた。 それは徐々に人の形を成していくが、輪郭が定まらない。まるでテレビの砂嵐で作られた影のようだ。
「……なんだ、あれは。気配がない……いや、存在そのものが希薄だ」
ライオネルさんが剣を構える。だが、私は直感した。 物理攻撃(物理レイヤー)も、魔法攻撃も、あの相手には通用しない。
影が、ゆらりと動いた。 口とおぼしき裂け目が開き、無機質な、合成音声のような言葉が響く。
『――シナリオ逸脱を確認』 『特異点の存在により、メインストーリーの進行に致命的な不整合が発生。……修正を適用します』
「修正……?」
私が呟くと同時に、影が右手を上げた。
ヒュンッ。
何の予備動作もなく、私の真横にあった巨木――樹齢数百年はある大木が、音もなく「消滅」した。 折れたのではない。砕けたのでもない。 まるで最初からデータが存在しなかったかのように、空間ごと削除されたのだ。
「なっ……!?」
さすがのライオネルさんも息を呑む。 あれは魔法ではない。 この世界の理そのものを書き換える、管理者権限の力だ。
『対象の完全削除を実行します』
影のうつろな瞳(のような穴)が、私をロックオンした。
「逃げて、ライオネルさん! あれはあなたじゃ倒せない!」
「断る! 君を置いていくくらいなら、この身が消滅したほうがマシだ!」
「バカ! そういう問題じゃ――」
私が叫ぼうとした瞬間、影の足元から黒いノイズが波のように押し寄せた。 触れれば終わる。直感が警鐘を鳴らす。
「くそっ……! 《強制終了》……ダメ、権限が足りない!?」
私のチートスキルをもってしても、相手の階層が高すぎて干渉できない。 このままでは、スローライフどころか存在ごと消されてしまう。
絶体絶命の瞬間。 私のポケットの中で、いつか拾った「得体の知れないアイテム」――ただの綺麗な石ころだと思っていたもの――が、カッと熱く輝き出した。
『――ほう。面白い《バグ》が混じっているな』
影の声とは違う。 もっと傲慢で、もっと愉悦に満ちた、第三の男の声が脳内に響いた。
次の瞬間。 黒いノイズの波が、私の目の前で見えない壁に阻まれ、霧散した。
「……え?」
森の奥、さらに深い闇の中から、一人の青年がゆっくりと歩いてきた。 ボロボロのローブを纏い、片目には眼帯。 そして残る片方の瞳は、私の《鑑定眼》すら焼き切るほどに禍々しい、深紅の色をしていた。
彼は、管理者気取りの「影」を見上げ、ニヤリと笑った。
「おいおい、無粋な運営(GM)だな。せっかくの面白い余興を、つまらない強制力で終わらせるなよ」
謎の青年が指を鳴らすと、空間に亀裂が走り、「影」が驚愕したように揺らいだ。
『干渉者……!? なぜ、この座標に……』
「さあな。――俺の庭で勝手な真似はさせないぜ?」
不穏な影(運営システム) VS 謎の眼帯青年(ハッカー?)。 私のスローライフ計画は、ここに来てジャンルごとの変更を余儀なくされようとしていた。
「……あの、ここ、私の家の庭なんですけど?」
私の小さな抗議は、超次元バトル開幕の爆音にかき消された。




