《第1章 第3話 桜風ノイズ》
翌朝、アスカは観測塔から直接、学術都市スカイリンクの本部へ向かった。
眠れぬまま過ごした夜のせいで、目の下には薄く影ができている。
けれど彼女の瞳は、夜風の残響を閉じ込めたように、どこか光っていた。
「アスカ博士、昨日の観測データ、異常反応がありましたね」
研究助手のカイトがタブレットを差し出す。
そこには、桜色の波形が不規則に震えるログが記録されていた。
「これは……生体信号?」
「いえ、電磁波変動です。けど――」
カイトが言葉を濁す。
アスカはその続きを見逃さなかった。
「けど?」
「……人の声に似てました。“夢”の中で聞くような音に」
夢。
その単語が、アスカの胸を強く揺らした。
昨夜、確かに“呼ばれた”。
名を、記憶を、風に運ばれて。
「この信号、解析を続けて。私も別ラインで調べるわ」
そう言ってアスカは、古い端末を起動した。
桜咲学園――かつて存在したとされる京都の学園のデータを検索するために。
だがその記録は、ネット上のどこにも存在しなかった。
ただひとつ、暗号のように残された断片が見つかる。
『桜魂システム』――。
20世紀末に行われた、精神共鳴実験の名称だった。
アスカは研究記録を読み進める。
“桜の花粉に含まれる微弱電磁素子が、記憶情報を媒介する可能性”――
つまり、夢と記憶を繋ぐ仕組みが、既にこの時代以前から研究されていたのだ。
「……桜霊現象、魂の共鳴……全部、神話じゃなかった」
アスカは震える手でスクリーンを閉じた。
外では風が吹いている。
春の終わりを告げるように、都市の上空を花びらが舞う。
スカイリンクの街で桜を見ることはほとんどない。
けれど今日だけは、確かに風が“桜色”を帯びていた。
ふと、端末の画面が明滅する。
“通信接続:不明な識別子”
アスカが応答ボタンを押すと、スクリーンの中に一瞬だけ映像が浮かんだ。
――少年が微笑んでいる。
「月城……朋広?」
声にならない呼吸の中で、映像は消えた。
その後に残ったのは、耳の奥で鳴る微かな“桜風ノイズ”だけだった。




