《第1章 第2話 風が名前を呼ぶ夜》
深夜の観測塔。
風のノイズが静寂を裂くように鳴り、アスカのモニターが淡く点滅していた。
「……また、呼ばれてる」
音声波形は言葉ではない――けれど、確かに“誰かの名前”を呼ぶように形を変えていく。
その響きは、アスカの心臓の鼓動と同調するように高まっていった。
“ツキシロ”という音が、微かに混ざっている。
ありえない。彼女の記録にも、歴史データにもそんな名前は存在しない。
けれど、どこか懐かしい響き。耳ではなく、魂の奥で聞いているような感覚だった。
彼女はデータの波を解析する。
通常のノイズ解析では拾えない超低周波。
“桜風”の根源的な波形――まるで、風そのものが感情を持つように変化している。
そこに、ひとつだけはっきりした声が混じっていた。
『……ひより……』
アスカは思わず息をのんだ。
誰だろう。女性の名前に聞こえる。
まるで遠い誰かを探しているような、切ない響きだった。
風が彼女の頬を撫でた気がした。
部屋は密閉されているのに――確かに“春の匂い”がした。
次の瞬間、観測塔の非常灯が落ち、窓の外に光の柱が立ち上がった。
街の上空で、無数の粒子が旋回している。
それは桜色の風。夜空の闇に淡く溶けていく、見たことのない光景だった。
アスカの端末が自動的に起動する。
“新しい接続要求:桜風ネットワーク”。
存在しないはずのチャンネルが、彼女の意識を呼んでいる。
「……あなた、誰?」
風の中から、かすかに声が返る。
『――覚えていてくれたら、それでいい。』
瞬間、アスカの脳裏に映像が流れ込んだ。
桜の木の下、誰かが微笑んでいる。
それは彼女の記憶ではない――けれど確かに“懐かしい”笑顔。
「ツキシロ……福田……ひより……」
彼女の口から零れたその名前たちは、
どれもこの時代に存在しない“風の記憶”だった。
やがて風が静まり、観測塔に静寂が戻る。
けれどアスカの心には、もう“風が吹き始めていた”。
――それが、桜風レゾナンスの目覚めの音だった。




