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7.浴衣と暗渠

 

「よし、これで完成!」

「ありがとう美桜。でも、本当に一緒に行かないの? どこに行くか分からないけど、多分お祭りに連れて行ってくれるみたいだよ?」

 蓮が帰った後、箪笥から浴衣を引っ張り出した。去年、美桜と阿波踊りに行った時に着たのが最後だ。ベッドに浴衣を広げしばらく眺めた。結局着付けは今回も美桜にお願いする事にした。なんと母親が茶道の先生をしていて、美桜は幼い頃から着物の着付けなど様々な作法を身につけてきたのだ。

「いや、私は遠慮しとくよ。筋肉痛が酷くて浴衣なんかで歩きたくないし。家で推しの動画見ながらゴロゴロしてるよ」

「そっか。疲れてるのに着付けだけお願いしてごめんね」

「いやいや、辛い一日を過ごすと推しへの愛情がより高まるからね。今夜は盛り上がれそうだよ」

 美桜は今年の初め頃からベトナムの男性アイドルグループにハマっている。何でも圧倒的ピュアさが堪らないそうだ。

「さて、そろそろお迎え来るんじゃない?」

 美桜が言い終わるやチャイムが鳴った。

「おお、時間ぴったりじゃん! 蓮て案外、几帳面だよね」

「……う、うん」

「やだ! 花梨、緊張してんの? ほら、こっち向いて。うん、ばっちりだよ。最高に可愛い。さすが私の友だ」

「そうかな……?」

「自信持ちなって! ほんと花梨は自分のことに無頓着なんだから。康平だって、初恋は花梨だったんだし」

「えっ!? そうなの? 初めて聞いたんだけど」

「あっ、まずかったかな……」

 その時、再びチャイムが鳴った。

「さっ、行った行った! 推しを待たせちゃダメでしょ!」

 美桜とバタバタと階段を降りて玄関に向かった。一呼吸をおいてドアを開ける。

「お待たせ……」

 思わず息を呑んだ。蓮は白地に朝顔が描かれた浴衣を着ていた。鮮やかな藍色と紫の花弁が見る者の目を奪い清涼感を与える。軽やかでいて瑞々しい。水色の髪がサラサラと揺れ、こちらを見つめる銀の瞳は深い湖を思わせた。不思議と少し気温が低くなった様な気がした。後ろから顔を出した美桜も言葉を失っていた。

「こんばんわ。準備、出来た?」


 蓮は暗渠を歩いた。碁盤の目状に張り巡らされた水路の上を何度も曲がり、時には同じ場所を何度か進んだ。下駄の音がカランカランと乾いた音を立てる。気持ちの良い夜だった。蓮は何も喋らないが、あまり気にならなかった。このまま暗渠を散歩するだけでも良いなとも思った。

「——浴衣、とっても似合ってるね。素敵だよ」

 思い出した様に蓮が口を開いた。

「うん、ありがとう。蓮も凄く似合ってるよ」

「着るのはかなり久しぶりなんだ。昔、里で人間と暮らしていた時に織って貰ったんだ」

「人間と暮らしてたの?」

「うん。もう何百年も前だけどね。あの里の人達は皆んな優しかったな」

「そうなんだ。どこかのお家に招待されたとか?」

「いや、人間の女性と夫婦(めおと)になったんだよ」

「ん? 今なんて言った?」

「え? だから夫婦になって二人で暮らしてたんだ」

 あまりに唐突で想定外な展開だったので頭がフリーズした。夫婦。それは男と女が結ばれて一つ屋根の下で暮らす事。私の推しは既婚者だったのか。てっきり暗渠の中で寝起きしていると思っていたが、可愛い奥さんの待つ家にいつも帰っていたのか。

「どうしたの、花梨?」

「いや、いやいやいや何でもないけど……蓮、大丈夫なの? オーディションなんか受けたり、毎日レッスンしたりして。家で待っている人がいるなら申し訳ないなって思って」

「大丈夫もなにも、夫婦だったのは三百年以上前だよ? もう皆んな死んじゃったし。今じゃその里もダムの底だよ」

「そ、そうなんだ……それじゃあ寂しいね」

「まあ、人間の寿命は短いからね。でも、この浴衣は残った。中々着る機会がなかったから、久々に着られて嬉しい」

 蓮は優しい笑みを浮かべる。そう、これはかつて蓮を愛した人が織った浴衣なのだ。いったいどんな女性だったのだろうか。私の様に一目惚れしたのだろうか。そもそも、河童の生涯とはどんなものなのだろうか。蓮は何百年生きているのだろう。きっと、私の方が先に死ぬ。私は、蓮に何を残せるのだろうか。

「……あのさ、蓮」

「うん? なに?」

「何か欲しいものあったら言ってね。私も、蓮に何かを残したいから」

「何言ってんの花梨。花梨からは、もう十分貰ってるよ」

「え? だって私まだ何も……」

「絶望していた俺に、新しい未来を見せてくれたじゃん?」

「でも……オーディション、多分もうこれ以上は難しいと思うし。結局、何も変えられなかったよ私」

「だから、今回がダメでも俺、何度でもオーディション受け続ける事にした。花梨、俺がデビューするまでこれからも一緒にお願いします」

 蓮は立ち止まり、頭を下げた。その小さな後頭部を見つめながら思った。そう、まだ諦める段階ではない。たかが初めて受けたオーディションに落ちただけではないか。何度でも受ければいいんだ。私が後ろ向きになってどうする。蓮を推してナンバーワンアイドルにするのではなかったか。ここ数日、鉛を飲んだ様な気持ちだった胸の奥がすっきりと晴れた気がした。

「うん、こちらこそお願いします。それじゃあ、取り敢えず年内に行われるオーディションを全部リスト化しよう! それから二人でどれを受けるか一緒に決めて……」

「あはは、さすがだね花梨は。実は、幾つか目をつけたオーディションがあるんだ。この三日間、色々と情報を集めてみたんだ。後で説明するよ」

「ほんと!? 凄いじゃん! 何なら今すぐ帰ってやろうよ!」

「それも良いけど、今夜は一緒に行きたい場所があるんだ」

 気がつくと暗渠は森の中を進んでいた。おかしい、近所にこんな場所はなかった筈だ。

「————随分とイイ男だね。あたしにはよーく分かるよ」

 突如、頭上から女の声がした。蓮が私の体を引き寄せ闇に包まれた木の枝を睨む。

「怖い顔も可愛いねぇ」

 絡み合う頭上の枝の影から何かがドサリと落ちてきた。

「蛇女か!? 何の用だ?」

「あら、つれないのねぇ? そんな人間の女なんかより、あたしと祭りに行こうじゃないの。楽しませてあげるわよ?」

「生憎、爬虫類は嫌いでね」

「あら、益々燃えるわねぇ。それなら力ずくで私のものにしてあげるわよぉ!」

 巨大な蛇の形をした下半身が伸び上がり、人間の女の姿をした上半身が持ち上がる。薄気味悪い程に青白い顔には滑りをおびた黒髪がへばりついていた。そしてその目は鱗状の蛇の皮で覆われていた。

「ひゃっ!」

「大丈夫だ花梨。どうやらこいつの狙いは俺の様だから」

「見れば見るほどにイイ男だねぇ」

 蛇女は不気味な顔をこちらに向ける。

「蓮、あの目……」

「ああ。蛇女は目が退化しているんだ。その代わり顔の中心に熱を感知する特殊な器官があって、相手の発する熱で姿を立体的に認識出来るんだ」

「ほーう、若いのに良く知っているねぇ。ゆっくりと時間をかけてその胴体を締めあげてあげるよぉ!」

 蛇女が襲い掛かる。咄嗟に蓮は私を突き飛ばした。その一瞬で蛇女は蓮に絡みつき一気に締め上げた。

「蓮っ!!」

「逃げろ、花梨……」

「でも、蓮が!……」

「この男の言う通り、さっさと人間の娘は失せな。どうせつまらない顔をした女なんだろう?」

 蛇女がちらりとこちらに顔を向けた。

「ふん。やっぱり平凡な顔をしているねぇ。これならあたしと遊ぶ方がよっぽど楽しい思いを……ん? 何だこの熱量は? 表面は人間の体温と同じなのに、何か尋常じゃなく高温な熱量が内側に隠れて……何だこの姿は!? お前は一体!? ヒィィっ! あ、熱いっ!! こんな事ありえん! この化物がぁっ!」

 蛇女は蓮を放り出すと森の闇へと一瞬で消え去った。呆気に取られ蓮と見つめ合う。

「……なんだったんだ?」

「とりあえず、行っちゃったみたいだね」

「俺達も行こうか」

 蓮は乱れた浴衣を整え微笑んだ。


 人工的な灯りが消え、月明かりだけを頼りに森の中を進む。足元にある暗渠の蓋だけが人間社会の名残を残していた。

「そう言えば何処に向かってるの? 今日は近所でお祭りは無い筈だけど」

「うん。もうそろそろ着く筈だよ。ほら、音も聞こえてきた」

 確かに賑やかな太鼓や笛の音が暗渠の先から聞こえてきた。しばらくこの付近を歩いていたが先程まではこんな音はしていなかった。

「蓮、何処なのここ……?」

「ほら、見えてきた。ようこそ、異界の夜祭に——」

 蓮は振り返り人懐っこい笑みを浮かべた。その背後に見える広場では、松明に照らされた魑魅魍魎が蠢いていた。






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