6.無言の電車
「ねえ。キミって花梨のこと、どう思ってるの?」
ポテトを摘んだまま芽稲は唐突に聞いてきた。その日もいつも通りレッスン後のフィードバックも兼ねてマックに寄った。芽稲のレッスンが始まって五日目。ダンスの仕上がりは上々だった。花梨も言っていたが元々ダンスの資質があった様だ。毎日花梨も練習を見に来ていたが、その日は親戚が遊びに来ているらしく姿を見せなかった。
「どうって言われても、大切な友達っていうか、仲間っていうか。凄く親切だし、いつも感謝してる」
「あの子、キミのこと好きだよ」
「えっ? あ、うん。最初に会っ時に言われたよ。俺に推し変するって」
「キミ、分かってないね。推すと好きは全く別物なんだよ。推すって言うのは、自分の為の行動なの。自分が満たされて、幸福な気分になる為のね。一方、好きって言うのはもっと曖昧なものなの。一つ言えるのは、自分でも抑えられない感情だって言う事。あの子、殆ど喋った事のない私に必死な顔でダンスレッスンのお願いをしに来た。最初は受けるつもりなかったけど、あの子の真剣な顔を見てたら気持ちが変わってね。他人の為にあんな顔出来るなんて、並大抵の事じゃないよ。あの子は本気でキミの幸せを願っているんだと思う」
「そんな、大袈裟だな」
「キミがその気持ちに応えるには、オーディションを最後まで通過する以外に方法は無いからね。それだけは忘れないでおきな」
吸い込まれそうな黒目が真っ直ぐに見上げてくる。その時の芽稲は半妖の時とはまた別の威圧感があった。最も本人は自身が半妖だとは知らない訳だが。
その時の会話は直ぐに忘れてしまった。だが今、何故か花梨の青ざめた顔を見てそれを思い出していた。
「……あのね、蓮。今はどこもコンプライアンスには過剰なほど神経質な時代なの。たとえ成功者であっても過去の行いが掘り返されて、たった一度のミスで命取りになったりするの。今まさにエンタメ業界もその真っ只中にある訳。だから、暴力沙汰は即アウトなのよ。ましてやこれからデビューしようとしているグループには、少しでもリスクのある人間は絶対に入れない筈なの。つまり……」
花梨は涙を堪えた瞳で顔を上げた。
「つまり……?」
「蓮は二次審査を通過出来ないと思う」
言い終えた花梨は俯き押し殺した声で泣き出した。俺は何も言えずにその震える肩を眺めることしか出来なかった。
帰り道、会話は殆ど無かった。電車に乗っている間も、俺は座っている花梨の前に立っていることしか出来なかった。駅を出ると花梨を家に送り届けた。二次審査の結果が来たらまた連絡すると言って花梨は扉を閉めた。
空には糸を引いた様な雲が散らばっていた。俺は高架下を目指した。康平にギターを返さなくてはいけない。途中、自販機で缶コーヒーを二つ買った。康平はいつもの柱に寄りかかり胡座をかいていた。
「よお、色男。オーディション、随分とエキサイトしたみたいだな」
俺の顔を見るなり、康平はいつもの眠たそうな声で言った。
「はい、ギター。一応、壊れてないか確認しといて。それとコーヒー。今日まで色々とありがとう」
康平は黙ってコーヒーを受け取りフタを開けた。俺も隣に腰を下ろした。
「俺が小六の頃にさ、濱家寿司の隣にチェーンの珈琲店が出来たんだ。俺の苗字、米田って言ってな、フルネームはコメダコーヘーになる訳」
康平は独り言の様に話し出した。
「その珈琲店と一文字しか違わなくてさ、ある日それに気づいた奴がいたわけ。人に変な下らないあだ名をつけて喜ぶ馬鹿な奴でさ。いつの間にか皆んながちょっとふざけた感じで俺のことを"ブレンド"だの"モーニング"だのって呼び始めてさ、結構俺は不快だったのよ。平凡だけども、親がつけてくれた名前を馬鹿にされた気がしてさ。そんでさ、ガキっぽくてくだらなくて、"ああ、コイツらとはもう関わる意味が無いな"って思ったのよ。それでそこから学校行かなくなってさ」
康平は缶コーヒーを啜りながらポツポツと喋った。
「それでこれは後で聞いたんだけどさ、花梨の奴、俺が学校行かなくなってから学年の奴ら全員に、康平のこと変なあだ名で呼ぶなって言って回ったらしいんだよね。学年全員一人一人にだぜ? 凄い労力だよな。別に俺はそこまで気にしてなかったし、学校やめるのはもっと前から決めてた事だからさ。最初その話を美桜から聞いた時は驚いたけど、あぁ、花梨ぽいなって思ったんだ。昔から他人の事なのに、まるで自分のことみたいにムキになるところあって」
康平は缶コーヒーの残りを一気に呷って立ち上がった。ギターケースを担ぎ歩き出す。話は終わったのだろうか。不思議目な男だ。のっそのっそと歩く後ろ姿を見送る。だが、康平は背中を向けたまま立ち止まった。
「——それと。何があったか知らないけど、アンタまで落ち込んでたらアイツ、浮かばれないって」
言葉の続きを待つがその背中は黙ったままだった。
「じゃ」
康平は後ろを向いたまま片手をのそっと上げ去って行った。
オーディション会場でのことを康平には何も話していない筈なのに、不思議と俺達の状況を察していた様だ。やはり変わった男だ。
「俺まで落ち込んでいたら、か……」
恐らく花梨は今、俺よりも無念さに苛まされていることだろう。だがこの事態を招いたのは俺だ。俺に出来ることは何だろうか。空は茜色に染まり始めていた。高架下のフェンスの上を重なり合った赤蜻蛉が飛んでいた。
オーディションから三日後、俺は花梨の家の前にいた。あれから一度も会っていない。そろそろ昼時だ。部活から帰ってくる頃だろう。遠くから騒がしい声が聞こえてきた。美桜の声は良く響く。家の前に立つ俺に気がつくと小さく手を振った。
「蓮じゃん!! 何やってんの? 待ち伏せ? ストーカー!?」
隣にいる花梨はやんわりと微笑んでいた。数日ぶりに見たその顔は、何故だか俺を安心させてくれた。
二人はゆっくりと近づいて来た。ゆっくり過ぎるくらいだ。どちらかと言うと花梨が美桜の歩くペースに合わせている様だった。そして、ギチョンギチョンと不可解な音がしている事に気がついた。ようやく家の前に二人が辿り着いた。美桜はマラソンを終えた後の様にぜーぜーと息を切らしていた。
「美桜、大丈夫? うちで少し休憩していく?」
「ううん、大丈夫。今日はこのまま家に帰って、風呂に入って少し寝る。筋肉痛がヤバい」
「そっか。頑張ってね。また、明日ね!」
「う、ぅうん。二人とも、ま、またねぇ」
美桜はぎこちなく手を振るとギチョンギチョンと再び歩き出した。歩き方がぎこちない。そしてやはり遅い。美桜の家はこの先の暗渠を曲がってすぐのところだ。俺は何と言って良いか分からずただその後ろ姿を見送った。
「美桜、大丈夫か? 何か動き変だったけど怪我でもしたの?」
「ううん。そうじゃないんだけど……うちの部活の顧問がさ、美桜のトレーニングの為に変な機械作ったんだ。インターハイ矯正ギブスって言うんだけど、体中の関節を動かすのにいちいちバネを引っ張らなくちゃいけない仕組みになってて。何でも、それをつけて生活すると全身の筋力がアップするらしいんだけど」
「ジャージの下、バネだらけってことか。部活って大変なんだな……」
「いや、うちは特別って言うか他と少し違うって言うか……それより蓮、今日はどうしたの? オーディションの結果はまだ連絡来てないよ」
「なあ花梨。今夜、空いてるか? 一緒に行きたいところがあるんだ」
「えっ? 今日? うーん、別に予定は無いけど……」
「良かった! じゃあ七時にまた迎えに来るからさ、浴衣着て待ってて」
「えっ!? 浴衣? 今日どっかでお祭りあったっけ」
「まあ楽しみにしておいて! それじゃ七時にまた!」
狐につままれた様な顔をした花梨を残してその場を立ち去った。




