4.ポテトと狐
曲が終わる。最後のキメのポーズのまま二人は動かない。次の曲が自動再生されると、二人は同時に姿勢を崩し見つめあった。その表情には高揚感が見てとれた。言葉は交わさない。二人はハイタッチして頷き合う。そして、私を無視しそのまま立ち去るろうとする
————
「ちょっとちょっとちょっとぉーっ!! どこ行くのよ二人とも!?」
「ん? あぁ、花梨。そこにいたんだけっけ。芽稲と小腹が減ったから何か食べに行こうって話してて」
「話しててって、何も喋って無かったじゃん!?」
「うん。言葉が無くてもお互い考えていることは分かるからさ」
「なっ!!…………」
しまった。何故だ。いったい何故、こんなことになってしまったのだ。思えば田崎芽稲にダンスを教えて貰おうと声をかけたのが始まりだった。
「オーディション?」
「そう、今行われている国内最大規模のボーイズグループオーディション。それに知り合いが応募してるんだけど、ダンス未経験なんだ。だから、田崎さんに少し見てもらいたいの」
「見てもらうって、要はレッスンつけろってことでしょ? そもそも人に教えた事ないし、私も大会近いし自分のことだけで手一杯なんだけど」
「うん、それも分かってる。でも、私の知り合いはこのオーディションに人生懸けてるの。だから、教わるのなら一番の人に教わりたいの。それに、田崎さんも人に教えてみたら何か新しい発見があるかもしれないよ?」
「うーん。ま、最近ちょっと煮詰まってたし、少し見るぐらいなら別に良いけど」
「ほんと!? ありがとう! 時間は合わせるから————」
そして今夜、蓮を連れて再び芽稲がいつも踊っている場所に向かった。その雑居ビルの一階はテナント募集中で、以前は美容院だったらしく通りに面した側が全てガラス張りになっていた。鏡のように姿を映すのでダンスの練習に丁度良いらしい。
芽稲は今夜も一人で踊っていた。R&B調のバラードを情熱的に踊り上げる。脳みそが入っているのか疑問に思う程の小顔、短く刈り込んだ黒髪が体の動きに呼応して躍動する。小柄で細身ながら、その姿には人を寄せ付けないオーラがあった。存在感。そう、芽稲には圧倒的な存在感があった。とても同い年とは思えない妖艶さもある。さすが世界を舞台に活動していることはある。やはり芽稲に頼んで正解だった。
曲が終わり、芽稲がこちらを振り返った。ガラスに反射して見えていたのだろう。踊っていた時とは異なりあどけない笑顔が浮かぶ。その色白の顔にはほんのりと朱が差していた。体を動かして心拍数が上がっているのだろう。
「こんばんわ、花梨」
「芽稲、時間作ってくれてありがとう!」
「うん、別にいいよ。それよりも彼が?」
「どうも、水瓜蓮です」
「蓮ね、よろしく。早速だけど、曲に合わせて私と同じように踊って貰っていい?」
「あぁ、分かった」
芽稲が先程とは別の曲を流す。ゴリゴリのヒップホップで重低音がずしんずしんと体に響く。
芽稲はリズムを取りながら躍動し始めた。腕の動きが速過ぎて目で追えない。蓮はしばらくその姿をただ眺めていたが、芽衣に目で合図されると肩でリズムをとりながら踊り始めた。初めは芽稲の動きをワンテンポ遅れて追っている感じだったが、次第に二人のタイミングはピタリと重なる様になった。そして蓮はただ真似るだけでは無く、芽稲の動きに呼応するようにアドリブを入れ始めた。徐々に二人の動きがヒートアップしていく。芽稲が蓮を挑発する様に迫る。それをサラリと受け流した蓮が今度は芽稲を煽る。
「——凄い……」
私は二人の動きに呆気に取られていた。芽稲が凄いのもあるが、それに全く引けをとらない蓮も凄い。ダンス初心者ではなかったのか。
二人はそのまま次の曲も踊り初めた。言葉を発っしている訳ではないのに二人は自分達の世界へと没入していく。
「こ、これは……」
何かとてつもなく凄いものを目にしている感覚と、完全に置いてけぼりにされているもやっとした感情がないまぜになっていた。
三十分ほど踊り続けると、二人は満足したのかハイタッチをしてダンスを終えた。
「それで、どこの店に行く?」
蓮が屈託のない笑顔を向けた。
「——凄いね、キミ。未経験は嘘でしょ? 私と一緒に大会出てもかなりいい線行くと思うよ」
芽稲がポテトを摘んだまま目を輝かせる。三人で駅前のマックに入り、丁度空いた窓際のテーブルに座ることにした。
「いや、ダンスは初めてなんだ。この前、花梨に見せてもらった番組で皆んなが踊ってるのを見て見よう見まねでやってみた」
「ほんとに!? だとしたら才能ありまくりだよ。身体能力が異常に高いのと、吸収スピードが半端ない。細かいところを詰めればすぐにプロと変わらないレベルになると思うよ」
「そうかなぁ?」
「私が言うんだから自信持っていいよ。とりあえず次回からは実際にオーディションでパフォーマンスする曲をやろう。私が完璧な仕上がりにしてあげるから」
これは何とも心強い。やはり芽稲に頼んで正解だった。だが同時に、二人を見ていると何故だか不安な気持ちにもなるのであった。
まだ少し踊ってから帰ると言う芽稲とは店を出て別れた。書類審査に応募して二週間。一次審査合格の通知メールは一週間程で来た。二次審査は面談形式のパフォーマンス披露となる。本番は一週間後、それまでに課題曲を決めダンスと歌を仕上げる。だが、歌決めにも難航していた。最近の曲を蓮が知らないので、色々と動画を見て貰う日々が続いた。審査の場では偽物は見破られる。蓮が歌いたいと思う歌を探す作業が続いた。そしてダンスの方も直ぐに芽稲にレッスンをお願いしたかったが、海外に行っているということでようやく連絡が取れたのが昨日だ。だが、待った甲斐はあった。芽稲のダンスは本物だった。蓮も驚くべき実力を披露した。蓮と芽稲の二人だけの親密な空気にもやっとした気持ちが残ったままだが。
「ほんとに盆踊りしかしたことないの? あの動きはどう見てもダンス経験者にしか見えなかったよ」
豆鬼に襲われた夜以来、蓮は私を家まで送る様になった。今日は芽衣と別れた後、自転車を押して二人で歩いて帰ることにした。そして、今宵も月が綺麗だ。
「俺は人の動きを真似するのが得意なんだよ。昔は里の人間達の動きを真似ては夜道で悪戯したもんだよ。知り合いかと思って近づいてみてら河童でしたってね。うん、懐かしいな」
「そ、そうなんだ。でも凄いよ蓮は! 後は歌の方だね」
「歌か……民謡なら里の祭りでよく歌ったな」
「うーん、民謡じゃちょっとね。でも、そろそろ曲を決めないとね。でも、期待してるからね! 歌のうまい奴、心当たりあるんで声かけとくから」
「うん、分かった。なあ花梨……」
その時、ふいに発した蓮の声がいつもと違う響きで思わずドキリとした。表情も思い詰めた様に見える。
「な、なに?」
声が上ずる。なんだ? どうしたのだ!?
「あのさ……」
「うん?」
「なんか……色々と、ありがとう」
「あぁ……うん。いいんだよ、私がやりたくてしていることだから。こちらこそ、付き合ってくれてありがとうございます」
自転車を押しながらペコリと頭を下げる。勢いでオーディションを受けることを決めてしまったが、考えてみたら蓮の気持ちを考えたことはなかった。蓮は今の状況を楽しめているんだろうか?
「俺さ、本当は別にどっちでも良かったんだ。もう人間と関わり合うのはやめにしようって思ってた。それで、最後に悪戯しようとしたのが花梨達だった。案の定、二人とも全然驚かなくてさ。ああ、俺は妖怪としてもう終わったんだなって、そう思った。でも、花梨は俺にびっくりする様な提案をしてきた。こんなの、長く生きてきたけど初めてだったよ。だから、今はさ……花梨の為に精一杯やってみようと思ってるんだ。だってさ、俺は、えーと、何だけっけ……そう! 花梨の推しだからさ」
満月は薄ピンク色に輝く。その光を浴びた蓮の微笑みが私の視界を満たした。芽稲の事でもやもやとしていた気持ちが一気に吹き飛んだ。そう、この笑顔には人を元気にする力がある。何としても蓮をデビューさせ、世界中にこの輝きを届けなくては。
「うん! 一緒に頑張ろう! まだまだ始まったばかりだからね!」
「花梨は面白い子だなぁ」
「えっ? 私、何か変なこと言った?」
「いや、俺はそう言うところ……」
「ん?」
「いや、なんでもな——」
突然激しく抱きしめられた。そのまま地面に押し倒される。自転車が派手な音を立てて倒れた。あまりに唐突な事態に思考が停止した。
「ちよっ! 蓮!?」
「頭下げてて!」
「え!? なに!?」
「火車だ! そのまま動かないで!」
蓮の腕の中で時が過ぎるのを待つ。胸の鼓動だけがドアを激しくノックする様にけたたましく鳴り響く。その時、目が眩む様な赤い光と共に何か熱いものが頭上を横切った。そしてそれは直ぐに消え去った。
「もう大丈夫だよ」
立ち上がった蓮が手を差し出す。
「今のは?」
「火車だ。死体をさらう妖怪で、葬式の夜に生前悪事を働いた人間の亡骸を地獄に連れて行くと言われている。だけど、ここ何十年も目撃されていなかった筈なんだ。この前の豆鬼といい、此の世と異界に何か異変が起きているのか?」
「ほんとに妖怪なんているんだね……」
妖怪なんて作り話だと当たり前に思っていた。だが、その当たり前が突然崩れ去り言いようのない不安が心に芽生えた。
「あのさ、花梨。一応、俺も妖怪なんだけど」
蓮が寂しげな目をしてボソリと言った。
「いや、蓮は特別なんだよ! 初対面は河童だったけど、全然怖くなかったし!」
「それ、褒められている気がしないな」
溜息混じりに蓮が呟く。どうやら妖怪としてのアイデンティティを傷つけてしまったようだ。センシティブな問題らしい。今後はこの手の話題には気をつけなくては。
「——お前、変わった匂いがするな?」
突然周囲が赤く染まった。ムワッとした熱が顔に照りつける。
「しまった……気配を殺して近づかれた——」
気がつくと目の前に炎に包まれた車輪を背にした鬼が立っていた。蓮の顔からは大量の汗が噴き出ている。かなり具合が悪そうだ。
「お前、人間なのか? 妖怪とも人間とも違う匂いする。あれか? まさかお前があの方が言っていた奴なのか? まあいい、取り敢えず連れて行けば分かる」
炎の鬼は強引に私を連れ去ろうと手を伸ばす。鬼が迫るとその焼ける様な熱気も激しさを増した。蓮はその場にうずくまり朦朧とした表情を浮かべている。
「ちょっと蓮! しっかりして!」
鬼が私の腕を掴む。熱した棒を押し付けられた様な痛みが走った。
「あつぃっ!!」
鬼の力は強くなす術もなく脇に抱えられる。
「れ、蓮……」
熱さで意識が朦朧とする。このまま連れ去られてしまうのだろうか。まだだ。蓮のオーディションは始まったばかりなんだ。鬼なんかに攫われている場合じゃないのに……意識が、途切れる————
「あぎゃーっ!!」
突然悲鳴が鳴り響き、私の体は地面に落とされた。辛うじて保たれた意識で周囲を確認する。直ぐ横には片腕を押さえ叫び声をあげる鬼がいた。緑の血が噴き出る肩から先にはある筈の腕が無かった。鬼の足元を見るとピクピクと痙攣する腕が転がっていた。
「——己が彼女のことも守れんとは情けない」
鬼から少し離れたところから声がした。炎がその顔を浮かび上がらせる。照らし出された顔は先程別れたばかりのものだった。
「芽稲!?」
「油断するな。火車はタフだからな」
そう言うと芽衣はひらりと宙に舞い上がった。
「あぅんあ?」
鬼も思わず宙に浮かんだ芽稲を見上げる。しかし、次の瞬間空中にいた筈の芽稲が消えた。
「ほれ、もう一本じゃ」
芽稲は鬼の腕を放り投げた。鬼は凄まじい悲鳴をあげる。
「これ以上は何もせん。奪おうとした亡骸も置いて地獄へ帰れ」
鬼は恐怖と怒りの眼差しを芽稲に向けながら炎の車輪を引き摺り闇に消えた。
「芽稲、なの?」
顔は先程まで一緒にいた人物と同じ筈なのに明らかに雰囲気が違う。芽稲は地面に転がる鬼の腕が燃えてなくなるのを見届けると、ゆっくりとこちらを向いた。
「お前、水の類か? 運が悪かったな。我が来なければその娘は連れて行かれていたぞ」
冷淡な瞳をした芽稲は淡々とした口調で蓮に言い放った。そう、これは芽稲ではない。ならば、一体……?
「助かった……礼を言う。お前、狐の妖か? さっきはその気配が全くしなかったが」
「ああ。少し訳あってこの娘の体に取り憑いておる。自由がきかぬもので、表に出るのは数年ぶりじゃ」
「ちょっとちょっと! なんの話してんの?
芽稲も妖怪なの!?」
「いや、花梨。恐らくだが、こいつは半妖と言ったところだと思う。普段は妖の顔は完全に隠れていて、芽稲本人も恐らくそれに気がついていないんだろう」
「半妖……?」
確かによく見ると芽稲の頭には三角に尖った耳が生えていて、腰には二股の尻尾がゆらゆらと揺れていた。
「うむ。だいたいその男の言った通りじゃ。何故か理由は分からぬが、今日は久々に体の主導権を握ったんじゃがの。どうやら時間切れのようじゃ。この体、あとは頼んだぞ」
そう言うと芽稲は意識を失い体から力が抜けた。倒れそうになるのを咄嗟に蓮が抱きかかえる。
「えーと、色々と分からないことだらけだけど、取り敢えずうちに帰ろっか」
眠ったままの芽稲を部屋に寝かせると、鬼に襲われた恐怖が蘇って来た。芽稲が来なければ危ないところだった。
「さっきはすまなかった。俺は水属性の妖怪だから火が苦手なんだ。うまくやり過ごせたと思ったんだけど、火車は花梨の匂いに反応して戻って来たみたいだな」
「この前の豆鬼も私のこと連れて行こうとしてたけど、何でなんだろ?」
「分からないけど、鬼達が花梨を狙っているのは確かだな。今後、夜に一人で出歩くのはやめた方がいい。必要があるなら俺が一緒に行くから」
そう言った蓮の顔は心から心配している様だった。まずい。結果的に蓮に迷惑をかけてしまっている。自分の推しの負担になるとは何たることか。今は蓮の大切な時なのだ。鬼の一匹や二匹にびびっている場合では無い。
「ありがとう、蓮! 夜出かける時は声かけるからよろしくね! それより芽稲、目を覚さないね。家が分かれば送って行けるんだけど」
そのあどけない寝顔は、ついさっき鬼を一瞬にして退治したとはとても思えなかった。芽稲も半妖だと蓮は言った。二人共、普通の人間ではない。なんだかもやもやする。これは嫉妬なのだろうか?
「うーん、むにゃむにゃ……」
芽稲が寝言を言ってもぞもぞとする。絵に描いたような寝言だ。蓮もその顔を覗き込む。
「そろそろ目覚めそうだね」
「……あれ? ここどこ? ……花梨? 私、何してたんだっけ?」
寝起きの芽稲は小さなあくびをして、私達を交互に見比べた。その仕草はとても可愛かった。そうだ、これか。私のもやもやの正体。そう、芽稲はものすごく可愛い子だったのだ。蓮の次に推したいくらいに。




