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3.蜻蛉とカプセルトイ

 

 夕焼け空を眺めながら暗渠を歩く。こうして河童……いや、蓮と二人きりと言うのは初めてだ。美桜が居ないだけでこんなにも緊張するとは思わなかった。変な歩き方になっていないだろうか。隣にいる蓮の顔をまともに見る事が出来ない。


「——あのさ」


「ひっ! な、なに?」


「いや、何って言うか、どこに向かってんだろうと思って」


「ああ、言ってなかったね。濱家寿司に行こうと思って」


「はっ!? 何で!?」


「えっ? いや、何でって言うか、安いし美味しいし……」


「何でカッパ寿司じゃないんだよ!?」


「あぁ、それね。カッパ寿司は隣街に行かないと無いんだよ。近所にある回転寿司は濱家寿司だけなの。カッパ寿司には今度一緒に行こう?」


「ふん。約束だからな」


「はいはい、約束ね」


 思わぬ蓮の反応に驚き緊張が解けた。しかし、何故カッパ寿司にここまでこだわるのか。プライドの問題か。流れで次の約束までしてしまった。ちらりと蓮を見ると涼しげな顔で歩いている。濱家寿司に行くことは了承した様だ。夕陽に照らさられ水色の髪がサラサラと輝いている。しまった、またドキドキしてきた。口の中が乾いて唾を飲み込む。何か話しかけなくてはと思うが言葉が浮かばない。


「おっ! いたいた」


 蓮は突然ブロック塀の上に素早く手を伸ばした。握られていたのは蜻蛉(とんぼ)だった。


「あ! 蜻蛉! 今年初めて見た!」


「うん。この時期のは柔らかくて最高なんだよね!」


 そう言うと蓮は蜻蛉を口に放り入れむしゃむしゃと食べた。


「花梨も食べる?」


 蓮は再び飛んでいる蜻蛉を一瞬で捕まえた。


「えっ? そ、それ?? う、うん……私はいいや。あ、ありがとうね」


「あー、そうだよな。これから寿司食べるんだったよな。うん」


 蓮はパッと蜻蛉を宙に放った。


「そ、そうだよ! お、お寿司食べよう!!」


 私の胸は先程とは別の意味でドキドキと脈打っていた。




 夕飯時とあって濱家寿司は混んでいた。少し待って席に案内されると、蓮は落ち着きなく辺りを見回した。そして、テーブル席なのにも関わらず私の隣に体を滑り込ませてきた。


「ちょっ! ちょっちょっちょっちょっと何!?」


「おい花梨、寿司が回ってないぞ」


 蓮は誰にも聞かれないよう私の耳に顔を近づけた。その微かにハスキーな声と共に吐息が左耳にかかる。


「へふぅー……」


「おい花梨! 聞いてるのか!?」


「——はっ! 何だっけ!?」


 しまった。完全に一瞬気を失った。


「だから寿司が回っていないんだよ」


 蓮が切迫した表情で押し殺した声を出す。


「あぁ、それね。ここ最近いろいろあってさ、寿司をレーンの上に乗せて回すのはやめましょうってなったの」


「それじゃあ回転寿司とは言えないじゃないか!?」


「うーん、でもまあ安くて美味しいから良いんじゃない? 頼んだら握りたての持ってきてくれるよ」


「握りたて?」


「そうそう」


 私はタッチパネルでカッパ巻きを二皿注文した。


「さっき、花梨の部屋でもその写真の写る鏡みたいなやつをいじっていたけど、それは何なんだ?」


「これ? タブレットだよ。今はどこのお店もこれだよ。パソコンとスマホの良いとこ取りみたいなやつね」


「そうなのか……」


 そうこうしているうちにタッチパネルが注文皿のお届けを告げた。専用レーンの上をカッパ巻きをのせた皿が高速で滑走する。そして私達のテーブルの前でピタリと止まった。


「ぬぅおうっ!! これが花梨が頼んだ皿なのか!?」


「そうだよ。食べよ、美味しいよ」


 私は蓮のお皿に醤油を数滴垂らした。蓮は皿を持ち上げしげしげとカッパ巻きを眺める。そしてゆっくりと口に運んだ。


「うまい!」


「でしょ?」


「米がほんのりと温かく柔らかくて、キュウリは瑞々しくシャキッと歯応えもある。海苔の香りと醤油の風味のバランスも程良い……うん、これは美味い!」


「ふふっ、蓮、食レポもイケんじゃない!? それならたくさん頼んじゃおうー!」




 気がつくと二人の前にカッパ巻きの皿が三十枚以上積み重ねられていた。さすがに満腹だ。


「蓮て、最後に回転寿司に来たのいつなの?」


「うーん、確か三十年以上前かな」


「そんな昔なの!?」


「あぁ。あの時の寿司は米が冷たくカチカチだし、キュウリもパサパサで干からびていて辛かったな」


「回転寿司も進化しているんだよ! また来ようね!」


「今度はカッパ寿司に行きたいな」


「行こう行こうー!」




 会計をしていると背後から肩を叩かれた。蓮も気配に気が付き一緒に振り返る。


「ようミシュラン、こんばんわ!」


 そこには麗亜くんの小馬鹿にしたような笑顔があった。以前ならそんな笑顔にでさえメロメロになってしまったかもしれないが、今は何も感じなかった。どうやら彼等も別のテーブルにいたようだ。


「お前さ、聞いたけど俺のこと推してくれてるんだって? ありがとうな! ファンは大切にする方だからさ、良かったらこのあと付き合えよ」


 取り巻き達の下卑た笑い声が響く。


「花梨、知り合い?」


「うん、同じ中学の」


 お願いだからさっさと消えてくれ、心からそう思った。


「なんだよ? 男と一緒だったのかよ。感心しないなー、俺は浮気症な娘は嫌いだよ?」


「あの……申し訳ないんだけど、私、推し変したから。だから、もう構わないで……」


 語尾が震えてしまった。なぜ私が申し訳ない気持ちにならなくてはいけないのだ。


「ぁあっ?? 今、なんつった? 推し変? お前さ、自分の顔を鏡で見たことあんのかよ? 俺が相手してやるって言ってやってんのになに言ってんの!?」


「あの、それがね……私も急なことで……」


「いいから一緒に来りゃ良いんだよ!」


 肩に置かれた手が強引に私を引っ張る。


「やめてっ! 痛いっ!!」


「ほらぁっ! 早くしろ————」


 その時、突然騒いでいた声が消えた。全員が何事かと麗亜の顔を見る。立派なキュウリが三本、口いっぱいに突っ込まれていた。


「行こう花梨」


「ふぁっぼぉばぁへぇー!!」


「麗亜、取り敢えずキュウリ抜けって!」


「おいお前! 何のつもりだよ!?」


 顔を真っ赤にした麗亜がキュウリをバリバリと噛み砕きながら鬼の形相を浮かべる。


「む!? 赤鬼の類いか?」


「いいよ蓮、行こう」


「行かせるかよーっ!!」


 麗亜が蓮に向かってタックルする。しかしひらりと蓮にかわされたその体は入口近くに並ぶカプセルトイに激しく突っ込んだ。床にカプセルが散らばり店員が駆け付ける。


「ふざけんなぁお前ぇーっ!」


「よせ麗亜っ! 今日は一旦帰ろう!」


 取り巻き達に押さえられ麗亜一行は店を出て行った。






「花梨、あんな男が好きだったの?」


 蓮と再び二人で暗渠を歩くが、来た時とは違い変な緊張は無かった。


「うん。でも、性格があんなだなんて知らなかったから。ま、それも昔のことだよ。今は、蓮が私の推しだからね!」


「それ。その推しって、必ずいないとダメなのか? 別に無理して作らなくて良いと思うけど」


「ううん、無理とかじゃ無いの。なんて言うか、頑張る力になるんだよね。勉強とか部活とか色々と大変だけど、推しがいれば全部頑張れるの」


「ふーん……この国も色々と変わったなぁー」


「推し文化は江戸時代からもあったって聞くよ? ほら! 歌舞伎とかさ!」


「あー……確かに言われてみればそうだったな。皆んな嬉しそうに役者におひねり渡してたな」


「ね! 日本人は昔から推すのが好きな国民なんだよ」


「なるほどね。それで、俺は次はどうすれば良いんだ?」


「うん。次からはダンスレッスンを始めようと思う」


「ダンス?」


「蓮、踊るのは得意?」


「昔、夏祭りの時によく踊ったな。最近は祭りにも行かなくなったけど、踊るのは好きだぞ」


「ふふ、そっか。でも、オーディションでやる踊りは蓮の知っているのと少し違うと思うから練習しよう。私、ダンスが得意な子に何人か声かけてみるから」


「うん、分かった」


 見上げると夜空には満月が煌々と輝いていた。思い返すと蓮を初めて見た時も、雲が突然流れて月が暗渠を照らしていた。あの日から全てが動き出した。私は今、とても充実している。不思議なものだ。まさか河童を押すことになるなるんて。一年前の私に言っても絶対に信じないだろう。思わず笑みが溢れた。


「花梨、どうしたの?」


「ううん、何でもない。それより、もうここでいいよ。送ってくれてありがとう」


「うん、分かった。それじゃあ、また」


「うん。またね」




 蓮が一体どこで寝泊まりしているのかは知らない。なんとなく暗渠の中か貯水地じゃないかと思っている。いつか聞いてみよう。


 夜風が気持ち良い。家まではもう少しだ。歩きながら、ダンスの練習に付き合ってくれそうな友達を頭の中でリストアップする。ダンス経験者は多いが、やはりスキルの高い人間が良い。やはり、あの子しかいないか。あまり話したことがないけれど、引き受けてくれるだろうか? 確か今でも駅の近くで毎晩踊っている筈だ。帰ったら自転車で行ってみようかな……うん、そうしよう。善は急げだ。それなら早く帰って————


「オイオマエ」


 急に声がして思わず足を止めた。考えごとに集中し過ぎていた。私に声をかけたのだろうか? 声の主を探すが見当たらない。暗渠は丁度公園の中を突っ切る場所で、民家の明かりも無く暗い。気のせいかと思い歩き出す。


「——マテ。シタダシタ」


 再び声がした。シタ? 下か? おもむろに足元に目をやると、腰丈ほどの鬼がこちらを見上げていた。


「オマエミツケタ。ツイテコイ」


「ヒェっ!? な、なにあんた!?」


 緑色の肌をした鬼はずんぐりとした体型で、腰にボロ布を巻いていた。頭にはゴロリとしたツノが二本生えている。


「ひゃーぁっー!」


「マテ」


 走って逃げようしたが腰を両手で掴まれた。凄い力だ。その場から動けなくなった。


「アバレルナラ、キゼツサセル」


 どうやら私をどこかへ連れて行くつもりらしい。抵抗するなら気絶させると言っている。


「やだっ! 離してよっ!!」


 まったくなんて日なんだ。一晩に二回も連れ去られそうになるとは。だが、今回は本当にまずいかもしれない。相手は鬼だ。おまけに私は一人だ。まわりは公園で人もいない。


「大声出すよっ!」


 鬼は私を地面に捻り倒した。胸を打ち付ける。衝撃で声が出ない。鬼はそのまま私の背中に乗り首を絞め始めた。もがいてみるがびくともしない。意識が遠のいていく————


 その時、突然背中に衝撃が走った。背中が軽くなり蒸せるように息を吐く。


「花梨、大丈夫!?」


 蓮の声だった。ゆっくり体を起こすと蓮の心配そうな顔が目に映った。


「蓮?……助けに来てくれたの?」


「なんだかこっちから変な気配がしたから気になって。立てる?」


「うん、ありがとう。あの鬼は?」


「多分もう逃げたと思う」


「そっか……鬼なんて、本当にいるんだね。でも何で襲われたんだろ」


「分からない。豆鬼(まめおに)は本来、此の世(このよ)には姿を見せない筈なんだけど。ましてや人を襲うなんて」


「蓮……」


「ん? 何だ?」


「ありがとう」


 普通に考えたらとんでもない事が起きた訳だが、それよりも私は喜びに満たされていた。蓮が私を助けてくれた。それも一晩に二回も。嬉しくて再び蓮の顔をちらりと見る。だがその目は、何かを考えるように闇に包まれた公園をじっと見つめていた。






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