33.花梨のメモ
音楽が唐突に終わり、ストロボライトが弾ける。そして、割れんばかりの歓声が上がった。
「まるで炎の塊ね、雅楽のパフォーマンス」
「客もあの熱に浮かされて、気がついたら興奮しちまってるんだよな」
ステージ脇には、ソロパフォーマンスを終えたオムカルと須磨毅がいた。ステージといっても、屋外に作られた簡易的なものだ。パイプ椅子に最低限の照明と音響。未だ、街には瓦礫が残っている。
「さ、次は蓮の番よ。お客さんは更なる興奮を求めているわよ」
息を切らした雅楽と、すれ違いざまにハイタッチを交わす。ステージ中央に立つと熱気の余韻に包まれた。静かに息を吐き、客席をチラリと見る。興奮に上気した顔が並ぶ中、口をきつく結んだ少年の表情が目に入った。
「快斗……」
軽快なリズムが流れ出した。今回の公演は、アップテンポの曲ばかりで構成されている。エンタメの持つエネルギーを届ける。ゴローPが掲げたテーマだ。だが、客席を意識して見回すと、快斗と同じ目をした人たちが目についた。胸に湧く違和感。
「おい蓮!? 何やってんだ!!」
雅楽の声が飛ぶ。次第に客席は静まり返り、音楽が止まった。
「あの、ちょっと別の曲、やらせてください」
ステージ袖のゴローPを見ると、肩をすくめただけだった。怪訝な顔をした雅楽たちの前を横切り、荷物が雑然と置かれたステージ裏へ向かう。
「————本当にいいのか? これはお前の魂みたいなもんじゃないのか?」
「なんだよ魂って。それはただの楽器だよ。大切なのは、誰が弾くかだろう?」
「誰が……弾くか?」
「俺は同じの三本持っているから、それはあげるよ。そいつも、あんたのこと気に入ったみたいだし————」
ケースを開けGibson J-45を肩にかけると、再びステージへと戻った。
「……すみません、少し、俺に時間ください。あの、一曲歌わせて欲しいんです」
ざわついていた場内が再び静まり返る。
「あの日、世界は突如壊れました。そして、大切な人を失いました。今日、こうしてステージに立っているけど、でも、やっぱりまだ心が追いついていない自分がいるんです。それで……俺は今から、あの日、失った大切な人に向けて歌います。だから、皆さんも今から少しだけ、大切な人のことを想い描いてみてください」
快斗を見つめ、弦を弾く。乾いた音が、青空に響き渡った。
「————お疲れ様、蓮。場が暗くなるんじゃないかと心配したけど、どうやら蓮の方が正解だったみたいだね」
「すみません、勝手なことして」
「無理に、急いで前を向く必要はないのかもね」
ゴローPは少年のような目で笑い、片付けの始まった会場へと消えた。
「まったく、いつも無茶苦茶なことしやがって」
「デモ、オキャクサン、イイカオシテマシタ」
雅楽とミンジェは、すでに荷物をまとめていた。
「————みんな、お疲れ様!!」
美桜がミンジェに駆け寄る。後ろには康平が眠たそうに立っていた。
「康平、使わせてもらった」
「ああ。もう、あんたのだから」
その瞬間、二人の間に微かな沈黙が降りた。互いの目に映る、不在の空白。二人は自然に視線を外した。
「大切に使わせてもらうよ」
康平は頭をポリポリと掻き、返事にならない返事をした。
「そういえば美桜、快斗を見なかったか?」
「快斗? あー、さっき、おばさんと歩いてたから、もう帰ったんじゃない?」
「そうか……」
「会いたいなら行ってみれば? この近くの仮設住宅に住んでるはずだから」
坂を登ると、規則的に並んだプレハブ住宅が見え始めた。斜面には陽を遮るものはなく、ツクツクボウシの大袈裟な鳴き声に包まれる。入口にある案内板で住所を確認し、狭い通路を進んだ。
「暑いな……」
額の汗が目に落ちる。通路に並んだ室外機が熱風を吐き出していた。忘れ去られたように置かれた玩具のバケツには、熱された水が澱んでいた。
「この辺りのはずだが」
番地を確認しながら通路を曲がると、快斗が表に出ていた。汗だくになりながら、ゴシゴシとタワシで壁を擦っている。
「快斗……?」
「おう、にいちゃん。よく、ここ分かったね?」
「美桜に聞いたんだよ」
「そっか。ライブ、すんげー良かったよ」
快斗は手を休めることなく、インクのついた壁と向き合っている。
「それは?」
「うん……これね。やっぱり、姉ちゃんのこと良く思わない人もいるんだよね。でもさ、その気持ちも、よく分かるんだ。会えなくなるって、辛いもんね」
「快斗……俺も手伝うよ」
作業を終えると、Tシャツが絞れるほどになっていた。
「俺さ、気にしてないから。にいちゃん、前に言ってくれたじゃん。花梨姉ちゃんが、世界を救ってくれたって。だから、俺は姉ちゃんを誇らしく思ってる」
決して悲しいだけではないのだろう。しかし、その今にも泣き出しそうな笑顔を見て、思わず目を瞑った。
「そういえば、にいちゃん胡瓜食べる? こっち来なよ」
プレハブの裏に回ると、プランターが二つ並んでいた。その支柱にはツルが巻きつき、青々とした葉が茂っていた。
「はい、どうぞ」
快斗はそう言って、捥いだばかりの胡瓜を齧った。パリッとした音が弾け、満足そうに頷いた。俺もそれにならった。
「うまいな!」
「でしょ? これね、姉ちゃんの荷物整理してたら、変なメモが出てきてさ。胡瓜の育て方が書いてあったんだ。それで、母さんと相談して植えてみることにしたんだ。だからこれは、姉ちゃんの胡瓜なんだよ」
思わず手にした胡瓜を見つめた。
「そのメモ、見せてもらって良いか?」
快斗はビニール袋を手に下げ、すぐに戻って来た。
「はい、メモ」
それは、A4サイズの紙だった。花梨らしい几帳面な字がびっしりと詰まっていた。
「ね、変でしょ? 推しって、なんだろね」
メモの一番上に並ぶ文字をしばらく見つめた。
————推しの為に胡瓜の苗を植える————
その下には、土作りから植え付け、支柱の立て方や葉の間引き方が丁寧にメモされていた。
「姉ちゃんらしいよね。やると決めたら、徹底的なんだよな。でも、もうそろそろ終わりだって母さんが言ってた」
「それ、少しもらって良いか?」
「そう言うと思って、冷えてるの持ってきたよ」
快斗はビニール袋を差し出した。
「にいちゃん、姉ちゃんと同じで胡瓜好きなんだな!」
丘を下ると、茜色に染まった海岸線が広がった。波の音にヒグラシの声が重なる。それは、もの悲しい歌のようだった。煌めく水面の先では、太陽がその半身を沈めていた。帰りが遅くなると、雅楽に小言を言われてしまう。少しだけ歩いて帰ることにした。
海岸線に沿って道を進むと、ぽっかりとトンネルが口を開けていた。引き返そうと振り返ると、波打ち際に人影を見つけた。小柄な女性の後ろ姿。トクンと胸が脈を打った。
砂浜へ降りると、遠くに若い男女の手を繋いだ後ろ姿が見えた。波打ち際に残された足跡は、すぐに姿を消した。
薄闇に包まれた海面を風がそっと撫でる。手にしたビニール袋がカサカサと音を鳴らした。ふと思いつき、胡瓜を一本取り出す。静かに、一口齧る。そしてそのまま、ゆっくりと時間をかけて、一本を食べ切った。
もう一本、胡瓜を取り出す。瞳を閉じ、波の囁きに身を任せる。やがて、風が途切れると、手にした胡瓜を水面にそっと浮かべた。それは吸い込まれるように、音も無く消えた。ゆらゆらと揺れる波は、闇との境を忘れ始めていた。
砂を払い、立ち上がる。振り返ると、街の灯りがあった。波音を背に、足を踏み出した。




