22.魂の価値
防災放送が途切れる事なく鳴り響いていた。女性の声が何かを呼び掛けている。ひび割れた音が幾重にも重なり内容が聞き取れない。これでは騒音放送だ。ベッドから抜け出し窓を閉める。市営住宅の五階。もう何度引越をしたのか覚えていない。この景色もきっと直ぐに忘れるのだろう。ベッドに戻り再び横になる。電気を消した部屋に静寂が降りた。母は今日も夜勤だと言っていた。夕飯代がテーブルに置かれていたが食事をする気は無かった。あの男の言葉が頭の中をグルグルと回る。
————力を持つものは、その使い方を覚えなくてはいけない————
須磨毅。不思議な男だった。口数は少なく何を考えているのか分からない男。絶えず口にアルコールを運んでいた。ゴローPという金髪の男が私の保護官として任命したらしい。花梨達と別れ一人で帰ろうとしていると送って行くと言われた。それも彼の仕事らしい。
「他者の理解を超える力を持ってしまった時、その力をどう使うかでその人間の魂の価値が決まる」
「魂の価値?」
「そうだ。憎しみや絶望に身を任せ、現実と向き合う事をやめた者の魂は穢れ黒く染まる。閉ざされた心はやがて孤独に腐り邪気へと変わる。そうなると、その人間は個人という存在を失いもう元に戻る事は出来ない」
「私にどうしろと? 空っぽのこの私に」
「勘違いするな。お前を含め人は等しく空虚な存在だ。ただ幾つもの価値観を纏っているだけに過ぎん。何処かで見聞きした誰かのな。それは玉葱の皮の様にその人間を包み込み、他者はそれを見てその人間を判断する。だがな、そんなものには何の意味もない。その玉葱の皮を全て剥くとその中心には何があると思う?」
「……全てを剥いた、中心に? それは……魂?」
「何も無いんだ。"魂"などというものは物理的に存在しない。"魂"とは、その人間がどうあるかだ。その人間の行動が、その魂となる」
「……力を、どう使うかって事?」
「お前はその雷の力で幾人もの命を奪った。その過去は変えられない。だが、これからその力をどう使う? お前の魂はどうありたい? 自分自身と対話をしろ。自身と向き合い、よく考えるんだ。確固たる自らの意志で行動する時、その魂は輝きを持つ。孤独を友とし、気高くあれ————」
あの男も人を殺した事があるのだろうか? 恐らくあるのだろう。他の者達と同じくあの男も妖怪だと言っていた。妖怪は人間に害を成す存在だ。
私はこの力をどうしたいのだろうか? 今までは自分に危害を加える者を排除する為だけに使っていた。世のため人の為? 正直、この世界の事に興味は無い。世界が滅び人々が絶滅しようと構わないと思う。ただ……安曇花梨。彼女には死んで欲しくはない。何故だろう? たった一度だけ優しくされたから? いや、違う。あの子も呪われていると言っていた。家族を殺したと。あの男は孤独を友としろと言った。昔から私は孤独と共に生きてきた。言われなくても孤独は付き合いの長い隣人だ。ならば、彼女も孤独と共にあるのではないか? それが、彼女に対して特別な感情を抱かせているのか。いや、考え過ぎた。あの男の言葉に振り回されているだけだ。今日はこのまま寝てしまおう。目を閉じ頭を空にする。意識が輪郭を失い始める。やがていつもの様に青い空が広がる。巨大な積乱雲。それを見上げる私の隣に立つ人。その顔は今日も逆光で見えない————
けたたましい携帯の着信音が記憶の静寂を打ち砕いた。寝返りを打ち枕元にある画面を見る。美桜からのメールだった。
「……何?」
短い文面を目で追う。もう一度読み返すとベッドから飛び出しパーカーを掴んだ。花梨が貯水湖近くのショッピングモールに連れ去られたらしい。玄関扉を開けると、大きな荷物を持った人々がエレベーターの前に列をなし廊下まで溢れていた。
「まったく、急に避難しろって言われてもねぇ」
側にいた中年の女性が唖然としていた私に声をかけてきた。
「あの、何があったんです?」
「あなた知らないの? 彗星がこの街に墜落するんですって。お陰でこの騒ぎよ。あなたも早くご家族と荷物をまとめて逃げた方が良いわよ」
女性に会釈をし駐輪場まで階段を駆け下りる。防災放送の音が耳に痛いほど鳴り響く。自転車に跨るとそのまま車道に飛び出した。道路にも人が列を成している。その流れを逆走する様に車と人をすり抜ける。ショッピングモールはここからそう遠くない。やがて人の流れがまばらになり、そして消えた。車道を全力で漕ぐ。もう直ぐで貯水湖というところで道路が封鎖されていた。自衛隊らしき人々が物々しく立ち尽くしている。こちらに気がついたのか制服を着た一人が小走りに近づいて来た。
「この先は立ち入り禁止です。この地区一帯には避難勧告が出ていて……ん、子供? 君、一人なのかい? 親御さんは? 今、大変な事が起きていて……」
「すみません! 道を間違えたんです!」
慌ててその場を立ち去る。この分だとショッピングモールに近づく事も難しいだろう。来た道を引き返し他のルートを探す。だがどの道にも自衛隊員が配置されていた。このままここにいても時期に保護されてしまうだろう。警備の手薄な箇所を強行突破するしかなさそうだ。自転車を押して人手の少ない道を探す。
「君! こんなところで何をしているんだい? 付近の住民は全員避難が終わったよ? 移動する車両があるから避難所まで送らせよう」
しまった。背後をまったく気にしていなかった。このまま連れて行かれる訳にはいかない。道路の反対側の生垣の上に雑木林が広がっていた。自転車を放り捨て駆け出す。生垣に飛び乗り雑木林に飛び込む。尖った枝が体中に刺さったが躊躇している暇は無い。背後からはガサガサと音を立て先程の隊員が追って来る。思うように前に進めない。止まれと叫ぶ声が近づく。だがその時、突然足首を引っ張られ体勢を崩した。暗闇の中に引き摺り込まれる。
「静かにして————」
「芽稲!?」
芽稲の目が暗闇に浮かぶ。木の根の窪みに落ちた様だ。入口は狭いが奥は深く空洞が広がっていた。頭上では先程の隊員が声を張り上げ歩き回っていたが、やがてそれも遠ざかって行った。
「怪我は無い?」
「うん、かすり傷だけ。芽稲も美桜に呼ばれたの?」
「そう、メールが来た。この森を抜けると、貯水湖の近くの駐車場に出る筈。行こう」
芽稲はリスの様に軽々と木の根を這い上がった。後に続いて木々を掻き分ける。不思議と芽稲の通る道は枝が邪魔をしなかった。
「もう直ぐで着くと思う」
芽稲の押し殺した声が聞こえた時だった。突然目の前が白い光に包まれた。続いて爆風が吹き荒ぶ。しばらくして目を開けると木々が直線に倒れ地面が裂けていた。
「……なに、これ……?」
唖然としていると今度は天に向けて光の柱が立ち昇った。轟轟と音を立て、やがてそれも空高く消え去った。
「何が起きているの……?」
「分からない。でも、行こう。こっちから花梨の気配を感じる」
「居場所が分かるの!?」
芽稲は応えずに獣の様に森を駆け抜ける。花梨は近くにいる。あの子を助けるんだ。必要ならこの呪われた力を使ってでも————




