1.カッパ巻きとシーサラダ
専用レーンの上を百円皿が滑走し、目の前でピタリと止まった。
「まーたカッパ巻きー!? 花梨さあ、ほんっっとうに好きだよね?」
「だって美味しいじゃん? ヘルシーだし」
「いやいやいや、偏食は良くないって」
そう言った美桜はシーサラダばかり食べている。積まれた十五皿のうち十皿がシーサラダだ。どれだけマヨネーズを摂取しているのやら。
「しっかしさあ、タコの考える練習ってほんっと意味不明だよね?」
「昭和リスペクトなんでしょ」
タコとは私達の所属する陸上部の顧問、寺田入道のことだ。学生時代は槍投げでインターハイに出場したこともあるらしい。当時は相当モテたらしいが、現在はスキンヘッドに赤ら顔の髭面メガネ、まさにタコそのものだ。
「私なんてさ、一日中ゴムチューブ引っ張らされてたんだよ? まだ手のひらヒリヒリするよ」
突き出された手のひらは、真っ赤に皮が剥けていた。
「うわー! 痛そう……でもさ、自分で砲丸投げ選んだんじゃん?」
美桜は華奢な体に似合わず、何故か砲丸投げを選択した。護身の為だと言っていたが、色々と間違っている。見た目は大きな瞳が印象的でどう見ても美少女なのだが、どうも感性が独特過ぎる。髪も年中ちょんまげ結びだし、今も皿に残ったマヨネーズを何やら箸で必死につついている。
「……ねえ、さっきから、それなにしてんの?」
「マヨアート……」
「……うん………まあでもさ、私なんて今日はずっとタイヤを引きずってトラックを走らされてたんだよ? ハードル跳ぶのに絶対関係ないよね??」
「うん。他の部の奴らもみんな見てたしね。私は笑ってたけど、グラウンド中が絶句してたよ……よし! 描けた!」
「え?! そんな見られてたの?」
まずい。心を無にしていた為、まわりの目を気にしていなかった。麗亜くんにも見られてしまっただろうか? 麗亜くんとはサッカー部のエースで、校内一のイケメンで、モデル活動もしていて、付き合っている彼女もモデルでインフルエンサーで、要は私の現在の推しである。噂によると今年の夏に開催される国内最大規模のボーイズグループオーディションに応募したとか。
「まあ、いいんじゃない? それよりさあ、もうお腹いっぱいだよ〜、これ以上なんも入らん」
「んじゃあ、デザートいきますか〜?」
結局一人三皿ずつのデザートを食べ、のそのそとレジへ向かった。
「んだからさー、その女がすっげー声デカくてさー」
「麗亜さ、お前ホント節操ないよなー?」
「お前にだけは言われたくねーよ!」
ガヤガヤと現れたのはサッカー部の連中だった。
「うわ……カースト上位集団……」
「————麗亜くん!!」
しまった。思わず目が合ってしまい名前を呼んでしまった。明らかに声もうわずっている。それに、こんなに近くで見るのも初めてだ。真っ直ぐに目の上で揃った前髪がものすごく綺麗だ。
「ん? お前、だれだっけ?」
サッカー部の一人が麗亜くんに耳打ちをした。
「おおおっ!! オートバックスか!!」
「……いや、イエローハットだって麗亜」
「いやー! マジで今日はお前、一番輝いてたよ!! うちの車がパンクしたら是非交換頼むな!!」
「えっ……?」
一瞬何のことを言っているのか分からず脳がフリーズした。
「……花梨、タイヤ」
美桜がボソリと呟く。一瞬遅れてその内容を理解し、見る見る顔が熱くなった。
「じゃあなブリヂストン!!」
サッカー部の連中はゲラゲラと下品な笑い声をあげ店内に消えていった。
「やだ、どうしよう……」
「花梨、と、とりあえず出ようか!?」
ガラスに映った私の顔は、耳まで真っ赤っかでみっともなかった。
「ああーっ!! 人生終わったー」
「推し変しなよー花梨? あんな性格悪い奴はやめときなって」
「でもさ、近くで見たらカッコよかったしー……」
濱家寿司を出て夜の暗渠を歩いた。実はこれが家までの最短距離なのだ。
私達の住む街はかつて田んぼだらけだったらしく、碁盤の目状に広がる区画は暗渠で仕切られている。夜の暗渠と聞くと物騒なイメージを持たれそうだが、ウォーキングや犬の散歩をする人も多く案外安心して歩ける。
「なんか寒いね……」
美桜がぶるりと震えた。
「うん……それに、いつもより暗くない?」
「確かに! こんな日はさっさと帰って風呂に入って寝るに限る!」
「おっさんだな美桜……」
見上げた夜空には月もなかった。
「ちょっと花梨、なんか聞こえない?」
美桜がぴたりと立ち止まる。確かに耳を澄ますと前方からピタンピタンと聞き慣れない音が近づいて来る。
「……何の音?」
薄暗い暗渠の少し先は真っ暗で何も見えない。その音は次第にはっきりと聞こえてきた。思わず美桜の手を強く握る。
「ヤバくない……? 逃げた方が……」
——ピタン——
薄暗い闇から何かが姿を現した。
「あ、カッパだ」
「ホントだ、カッパだ」
それは河童だった。手にはちゃんとキュウリを握っている。
「キュロロロー。お前達、寿司を食ってきたな?」
「えっ? うん……食べたけど」
「寿司タロウか?」
「違うよ」
「蔵之寿司か?」
「ちがうちがう」
「濱家寿司か?」
「そうそう!! それそれ!!」
「キュロローっっ!!」
河童は突然飛び上がり、水掻きのついた手で美桜の顔面を掴んだ。
「フムガガガ!」
美桜は息が出来ないらしく苦しげな声をあげ河童の腕を振り払おうとする。が、ヌルヌル滑って上手くいかない。
「なぜカッパ寿司に行かないんだっ!?」
「ちょっと! 美桜を離してよ!!」
河童の腕を掴もうとするがゼリー状の表皮がそれを許さない。
「もうっ! カッパ寿司は近くにないんだよ!? だから行かないだけだよ!?」
「……本当か?」
河童は美桜から手を離した。
「うげー、クサイー」
美桜はその場にしゃがみ込んでえずく。こう見えて美桜は潔癖症でもある。
「大丈夫?」
「……うん、なんとか……それより何すんのよいきなり?!」
「……本当に……本当に、近くにあればカッパ寿司に行くのか?」
「えっ?! あっ? まあ、絶対じゃないけど、あんまり行ったことないし、たまにならいいかなーっとは思うよ?」
「お前、好きなネタは何だ?」
「えっ? 私はカッパ巻きかな?」
「私はシーサラダ——」
——ビタンっ!——
再び美桜の顔面は河童のぬめった手で鷲掴みにされた。
「ちょっとやめてよ! 話は聞くからさ!!」
「——キュロロローォォォーー…………」
突然河童は悲しげな声をあげ、その場に両手をついた。項垂れた顔をゆっくりとこちらにあげたが、その顔は完膚なきまでに打ちひしがられていた。
「やはり駄目だ……もう、無理なんだ……!!」
「ちょっと! 急にどうしたのよ!?」
「俺にはもう人を怖がらせる事が出来ない……」
「なんだかよく分かんないけど、話してみなよ? かなり切羽詰まってそうだし」
「…………俺は河童……かつては水の神として人々に崇められてもいた。しかし、人間はある時から文明の発達と共に水への恐怖を克服してしまったんだ。水路には蓋をかぶせ、流れの急な水辺には近づかなくなった。そして、水を恐れる気持ちは忘れ去られた。俺は落ちぶれ、神から妖怪となった。だがそれでも、数百年もの間、人を怖がらせる事で妖怪としてのアイデンティティを保ってきた。だが……だが近年、この異常な温暖化のせいで妖怪の居場所も奪われてしまったんだ!! 妖怪は人間が怖がる気持ちから生まれる! だが近年の蒸し暑さを見てみろ!? あんなに暑くては、人は何かを怖がる余裕など持てるわけないではないか!?……昔、夏の夜は薄ら寒く風情があった。それが人々に恐怖心を抱かせた。しかし……しかしだ、今のお前らは俺を見てもちっとも怖がらない! 俺だって、寿司がどうこう言いたい訳ではないんだ……俺は……俺は、いったいどうすればいいんだ……!?」
河童はそう言うと頭を抱えてしまった。なんだか可哀想だ。
「おまけに暗渠の中も暑いんだ! お湯だ! 河童の姿では生きていけないんだ!」
再びキュロロロと泣き出した。
「あのさ、怖がらなかったのはゴメンだけど、結構いい線いってたと思うよ? あの寿司屋がなんちゃらってのを何とかすれば充分いけると思うけど」
えずきが治った美桜が優しく言う。いい奴だ。だから長年友達でいる。
「うん、そうだよ! 美桜の言う通りだよ。ちがうパターンを一緒に考えてみようよ? 人間、諦めたらそれで終わりだって!」
「……お前ら、いい奴らだな。だけど、俺はもう人を驚かすのは辞めるよ。人の姿に化けて、目立たないよう一人で静かに生きていくよ」
雲が流れ月が顔を出した。寂しい背中が小さくなる。
「そんなっ! ちょっと考え直しても——」
その時、突然河童の体が激しく光った。思わず目を瞑る。光ったのは一瞬だけのようだった。眩んだ目が徐々に視界を取り戻し始める。そこには一人の少年が立っていた。
「————誰?」
眩んだ目が元に戻ると、少年の姿がハッキリと目に映った。
瑞々しく透き通る白い肌
薄水色に輝くサラサラとした髪
憂いを帯びた切れ長の目
一糸纏わぬ美しい少年の裸体を月明かりが照らす。
「嘘でしょ……?」
「無茶苦茶イケメンじゃん……」
私と美桜は少年が裸であることを忘れしばしその裸体に見惚れていた。
「————じゃあな」
少年はペタペタと暗闇を歩き去る。
「ちょいちょいちょいちょいちょっと待ってーーーーっっ!」
「ん? なんだ?」
「私、あんたに推し変する!!」
「オシヘン?」
「生きていく場所が無いんでしょ!? それなら自分で作ればいいじゃない!? 今度、国内で最大規模のボーイズグループオーディションがあるの。それに応募しよ!!」
「——キュウリ??」
それが私と河童との出会いだった。
河童の推しになると決めた私は、彼をナンバーワンにする為に奮闘する夏を送ることになる。




