17.新校舎と旧校舎
その真っ黒な瞳に思わず吸い込まれそうになる。床に広がる赤黒い水溜まり、その中に散らばる化物の肉片。この異常な室内において、芽稲は完全な平静を保っていた。他を寄せ付けない威圧感、突如現れた少女が瞬時にその場の主導権を握っていた。
「……まったく、今度はなんなんだい? 手の目をこんなに簡単に倒すなんて。それにその妖力、神仙クラスのものだよね? 君は誰だい?」
鼈甲色の着物を着た男はうんざりした声で言った。
「またも体の主導権を握るや汝の身に危険が迫っているとは。どうやら我の自由は汝と深い関わりがあるようじゃのう」
「君、随分と年寄り臭い話し方するね。僕はさ、そこの子と二人きりになりたいだけなんだ。お願いだからこれ以上の邪魔はしないで欲しいんだけど?」
「花梨、あいつは絶対に変態だから気をつけて」
「あぁー、もう面倒になっちゃったよ。気が進まないけど、本気出すからね」
男の顔色が青く変色する。纏めていた髪が解け、うねうねと翡翠色に染まり伸びていく。着物がどさりと落ちる。鱗に覆われた青い体が現れた。
「この姿を見ても、何も思い出さないんだよね?……分かってたけど、やっぱり寂しいな。まあ、後でゆっくりと二人で昔話をしようね」
鱗の妖怪の姿が突然消えた。次に感じたのは風圧だった。遅れて建物が崩壊する轟音。
「——外に逃げてっ!!」
日菜子の叫び声で状況を咄嗟に理解する。壁が吹き飛んだ室内から校庭へと飛び出す。
「何なのもうーっ!」
「美桜! 止まらないで走って!」
校庭の真ん中まで全力で走り切り背後を振り返った。旧校舎があった場所は瓦礫の山となり砂埃を立てていた。
「嘘でしょ……」
信じ難い光景に言葉を失う。
「芽稲は!?」
「安曇さん……多分あれだと思う」
日菜子が砂埃を指差す。そこには驚くべき速さで飛び交う二つの影があった。
「あの化物と一人でやり合ってるの!? 花梨、あの子何者なの?」
「蓮にダンスを教えてくれてた子なんだけど、半妖って言って凄く強いみたいなんだ」
「何それ!? よく分からないけど今の内に逃げようよ!」
化物と芽稲は新校舎の上へと戦いの場を移す。共に人間離れした身体能力だ。芽稲がこの場であの化物を倒さなければ、例えこの場から逃げたとしても直ぐに追いつかれてしまうだろう。
「おい! お前ら何してるんだ!? 早く避難しろ!!」
校門からジャージ姿の男性教員が走って来る。崩壊した旧校舎。異変を察して新校舎から逃げ出る生徒達。先程のトラック事故の為に駆けつけた救急隊員達や警官が校門付近で避難誘導をしていた。
「花梨、私達も早く行こうよ!」
「でも芽稲が……」
激しくぶつかり合う二つの影。戦いは拮抗していた。衝突はどんどんとその速度を上げていく。目で追う事が不可能になり戦況の判断がつかなくなる。そして一瞬の隙をつき、一方が校庭へと弾き飛ばされた。弾丸の様に目の前に落下した影が激しい砂埃を立てる。
「……倒したの、かな?」
「美桜、危ないから下がってな」
砂埃の中から現れたのは芽稲だった。
「芽稲!!」
「————難儀じゃ。刃が通らん」
全身切傷だらけの芽稲が苦々しい声を出す。
「もう終わりかい? 斬撃対決、中々面白かったのに」
鱗の妖怪がゆっくりと歩いて来る。その両腕からは巨大な刃物の様な鰭が伸びていた。
「己は擦り傷一つ負っていない癖に何が対決じゃ」
「いやあ、君の攻撃は実に恐ろしいよ。強い妖力を纏わせた手刀。並の妖怪ならひとたまりもないよ。ただ、僕の体は特殊な鱗に覆われているんで如何なる斬撃も受け付けないんだけどね」
「皆んな伏せてっ!!」
坂口日菜子が叫ぶ。突き出した両手から稲妻を放出する。激しい光が化物を包んだ。
「やった! 日菜子!」
「……いや、何か変よ」
光が収まり化物が姿を現した。しかし、先程と同じ様に平然と立ち薄ら笑いを浮かべていた。
「ごめんね。この体は手の目と同じで表面のぬめりが電気を通さない様に出来ているんだ。僕には斬撃も電撃も効かないんだよね」
「嘘でしょ……こんなの絶対無理じゃん……」
「美桜、皆んなと逃げて。こいつの狙いは私だけだから」
「そうそう、それで良いんだよ。初めからそうしていれば無駄に傷つかずに済んだのにさあ。さて、それじゃあ一緒に行こうか」
鱗の妖怪が手を差し出す。その瞬間、芽稲が光の如き速さで跳躍した。
「……たく、しつこいよ。僕には効かないって言ってるじゃん?」
芽稲が飛び上がり様に繰り出した手刀は、化物の首を覆う鱗の上で止まっていた。
「芽稲ぁっ!!」
化物が斧の様に鋭利な鰭を振り下ろす。同時にどさりと芽稲の首が地面に転げ落ちた。
「……嘘でしょ……?」
「はい、終わり。それじゃあ、今度こそ本当に行こうか」
「————嫌……、嫌、嫌、嫌嫌嫌嫌ぁーーっっ!!!!」
まただ。また私の周りで人が死んでしまった。人は簡単に死ぬ。私に関わると人は死ぬ。だって、私は呪われているのだから————
体の奥から焼ける様な感覚が這い上がって来る。
それは快感を伴い意識を飲み込んでいく。
周囲の空気が振動し密度を増す。
全て飲み込んで、
飲み込んで、
飲み込んで、
飲み込んで…………
「————や、やめて、花梨……潰される……」
何故だろう? 美桜が苦悶の表情を浮かべ地べたにへばりついている。こんなに気持ちが良いのに何故あんな表情を浮かべているのだろう?
鱗だらけの化物は目を見開き嬉しそうに大きな口を開けて笑っている。昔と変わらず笑った顔は子供の様だ。
その頭上では芽稲が妖しく光る腕を振り上げ舞っていた。こちらは真剣な表情だ。その顔も可愛い。芽稲はいつでも可愛い……ん、芽稲? 芽稲は首を切られた筈だ。それでは、この芽稲は誰だ?————
「何故生きている!? お前はさっきっ首を切った筈じゃ!?」
我に帰ると化物と芽稲が対峙していた。
「単純な幻術に引っかかりおって。お主、場数は大して踏んで無い様じゃのう」
「おぼぉっっ!!」
芽稲の手刀が化物の口に突き刺さった。化物は必死に芽稲を振り落とそうと暴れ回る。
「そこの娘、我に雷を落とせ!」
「えっ?」
「長くはもたん! 雷を落とすのじゃっ!」
状況を飲み込んだ日菜子が天に向かって両腕を突き上げる。瞬時に二柱の稲妻が天空から放たれ、日菜子の腕から放出された稲妻と一体となり芽稲の体に吸い込まれていった。
「ぁああがぁぁっっーー!!!」
化物が絶叫するのと同時に芽稲の体が弾け飛ぶ。鱗の化物は体中から煙を噴き上げその場に崩れ落ちた。
「芽稲っ!!」
駆け寄り芽稲の体を抱き起こす。その体に雷のダメージは見受けられなかった。
「平気なの!?」
「……ふう……妖力に電流を通したので体は無事な筈じゃ。だが少し妖力を使い過ぎた様じゃのう。この体、後は頼んだぞ」
そう言い残すと芽稲は直ぐに寝息を立て始めた。
「……まったく、無茶苦茶な事してくれるねぇ」
化物はなおも立ち上がろうとしていた。だがその鱗は剥がれ落ち、表皮はどろどろと溶け足元に水溜まりを作っていた。
「嘘でしょ……あいつまだ立てるわけ!?」
「……さすがに消耗が激しいね。今回は諦めるけど、次は必ず連れて帰るからね……僕は諦めないから。じゃあ、またね————」
化物は水溜まりの中へと沈む様に消えた。後にはどす黒い染みだけが残された。
「なんだったんだろう、あの化物……」
ふと辺りを見回すと、起きた事の異常さを改めて突きつけられた。学校は散々な状況だった。旧校舎は消滅し、新校舎にも亀裂が走り屋上部分は崩壊していた。これでは夏休みが明けても通常通りの授業は行えないだろう。
「————あれぇーっ?? 化物は何処かなぁ?? もしかして一歩遅かった?」
場違いな明るいな声だった。だがそのよく通る声の主はすたすたとこちらに近づいて来る。金に染めた髪に少年の様な瞳。しかし佇まいは落ち着いていて年齢が読めなかった。
「桁外れの妖力を計測したんで駆けつけたんだけど、君達で撃退しちゃったのかな?」
「え、えっと、あなたは?」
「僕は山本五郎。職業は音楽プロデューサー。ゴローPって呼んでね。それと、政府の依頼でこの国に害を及ぼす怪異の対処も行っているんだ。君達、幾つか話を聞かせて貰う必要がありそうだね」
「花梨、相手にしない方が良いよ。無茶苦茶胡散臭いよこいつ」
「しかし、酷い有様だね。ま、あとの処理はこっちでやるから、君達には取り敢えず車に乗って貰おうか」
「日菜子、私達を攫おうとしてるよこいつ。ピカっとやっちゃってよ」
「ちょっと美桜、やめなよ」
「————花梨!」
その声にまず体が先に反応した。心臓が飛び出す程にドクンと強く高鳴った。振り返ると薄水色の髪がサラサラと揺れていた。その下では銀色の瞳が微かに揺れていた。そう、心配している時、いつもこの目をするのだった。この数日間、何度その姿を心に思い描いた事だろうか。ずっとずっと逢いたかった人が、今そこにいた。
「蓮、お帰り————」




