16.美術室と水溜まり
旧校舎に続く渡り廊下を走り抜け階段を駆け降りる。真っ直ぐな廊下の突き当たりに美術室はある。校内に侵入した輩の一団は見当たらない。間に合ってくれと祈りながら走る。だが美術室まであと数メートルのところで突如目の前が白い光に包まれた。同時に乾いた破裂音。廊下の窓ガラスが弾け飛ぶ。背後から美桜の悲鳴が上がる。ガラス片を踏みつけ美術室に飛び込む。
「うっ……」
室内には黒焦げになった人間が数体転がっていた。思わず口を押さえる。
「ちょ、ちょっとあんた一体何なのよぉっ!? こ、この化物めっ!!」
窓際には坂口日菜子ともう一人女がいた。先日、日菜子に平手打ちをした女だった。
「やめて坂口さん!!」
「あら、安曇さん。危ないから下がっていた方が良いわよ」
「その人を殺さないでっ!!」
「それは無理なお願いね」
坂口日菜子の指先から稲妻がほど走る。女の体が弾け飛んだ。焦げた臭いが鼻をつく。
「何でこんな事をするの!」
「私は自分の身を守っただけよ?」
「やり過ぎだよ……坂口さん、あなたも人間じゃ無いの?」
「私はいたって普通の人間よ。ただ少し、雷を出せるだけ」
「ちょっと花梨! 色々ヤバ過ぎるって! もう関わらない方が良いよ!」」
焦げた体からは微かに息遣いが聞こえる。まだ辛うじて生きてはいる様だ。
「美桜、とりあえず救急車を呼ばないと。職員室に行って先生を呼んで来て貰える?」
「花梨……分かった。直ぐに戻るから、無茶しないでね」
美桜が去ると室内には重い沈黙が降りた。
「安曇さん。覚えてる? あなた、私の教科書がトイレの便器に捨てられていたのをたまたま見かけて、一緒に拾ってくれたわよね? あれ、嬉しかったな。私、友達が今まで一人もいなかったけど、あなたとなら友達になれるかもって思った。でもね、私は誰とも友達にはなれない。私は呪われているから」
「それはどう言う事?」
「私の父親は犯罪者なの。もう顔も覚えていないけどね。母が写真も全て捨てたから。でもね、一緒に雲を見上げた事だけは覚えている。今でもよく空を眺めるの。積乱雲、知ってる? 雷を落とす巨大な雲よ。父が逮捕された後、誰も私に寄りつかなくなったの。私は空ばかり眺めていた。ある日、いつもの様に河原で寝そべっていると、クラスメイトに囲まれた。起き上がる間も無くひたすら蹴り続けられたわ。クラスメイトが去ってもそのまま動く事が出来ず、気がついたら夕方になっていた。そんな事が度々続いたわ。でも、あの日の暴行はいつも以上に激しかった。一向に終わる気配が無く永遠と蹴り続けられ、そのまま殺されると思った。でも、それでも構わないとも思ったの。私は人殺しの娘だから、誰かに殺されても文句は言えないってね。そして意識を失いかけた時に雲が見えたの。無意識に手を伸ばしていた。震える手で雲に触れようとしたのかもしれない。そしてその瞬間、私の指先に落雷が落ちたの。暴行はそこで終わった。辺りには息耐えたクラスメイト達が倒れていたわ。その出来事は落雷による事故として処理された。それを機に私は転校をした。その後も私に危害を加える者には雷が落ち、転校を繰り返した。ねえ、安曇さん。これは父の呪いなのよ。私は一生、この呪われた力と共に生きていくしか無いのよ」
坂口日菜子は寂しそうに笑った。室内に充満する肉の焦げた臭い。それは呪われた少女の運命が発する死の香りだった。
「坂口さん……」
「安曇さん。私はあなたが好きよ。でも、私の身柄をどうこうしようと言うのならば容赦はしない」
私は一歩前に進む。この子となら分かり合えるかもしれない。今まで誰にも言えなかった気持ちを。そんな淡い期待を抱いて更に一歩近づく。
「坂口さん……私、家族を殺してしまったの」
坂口日菜子の顔から笑みが消えた。伺う様な目で真っ直ぐにこちらを見る。初めて本来の顔を見た気がした。
「私はね————」
更に一歩、日菜子に近づこうとする。しかし散乱している焼け焦げた体達が突如動き出した。部屋の中央へガタガタと震えながら移動し黒い山となる。それは骨の砕ける音と共に凝縮し巨大な黒い塊となり、そして一気に弾けた。室内には赤黒い水溜まりが広がった。
「うっ……な、何!?」
水溜まりの中央が伸び上がり、飴を伸ばした様に黒い塊が浮き上がる。黒い膜がずるりと剥がれ落ち中から鼈甲色の着物を着た若い男が現れた。顔にはまだあどけなさが残り、丁髷の様に黒い髪を頭上で一つに纏めている。
「みぃ〜つけた!! 随分探したんだよ? 取り敢えず一緒に来て貰うね」
男は何故か満遍の笑みを浮かべ嬉しそうに近づいて来る。
「安曇さん、知り合い?」
「いや、知らない人だけど……」
「何にせよ、普通の状況じゃ無さそうね。どう見てもただの人間では無さそうだし」
坂口日菜子が着物の男の前に立ち塞がる。
「僕が用があるのはそっちの子だけなんだ。悪いけど君は帰ってくれる?」
坂口日菜子が男の方へ腕を上げる。次の瞬間、指先からバチリと稲妻が放たれた。
「おー、おっかない」
男はいつの間にか窓際へと瞬時に移動していた。
「君、ちょっと厄介だね? こっちも一人呼ばせて貰う事にするよ」
男が黒い水溜まりに手をかざす。再びその表面が持ち上がり、中から何かが歩み出て来た。ずるりと膜が剥け現れたのは、手足が以上に長いひょろりとした人間だった。服を一切纏わず、その皮膚は全身ゼリー状でプルプルと震えていた。そしてその顔には目が無かった。あるべき窪みには平らな皮膚が広がっているだけだった。
「なにこいつ!?」
坂口日菜子は躊躇する事なく電撃を放つ。しかしゼリー人間は何事も無かったかの様に立ち尽くしていた。
「無駄だよ。手の目には電気は効かないから」
異形の化物は勢いよく両手を突き出した。その手の平の中心にはそれぞれ目がついていた。腕を四方に伸ばし辺りを観察している。
「坂口さん、逃げよ————」
坂口日菜子の手を取ろうと動いたの同時に化物も日菜子に飛びかかった。押し倒された日菜子の首筋に齧り付こうと化物が牙を剥く。だがその瞬間、化物の顔が吹き飛んだ。
「間一髪間に合ったわね————」
「えっ!?」
廊下には息を切らした美桜が立っていた。
「やっぱり護身の為に努力してきた甲斐があったわ、花梨」
「美桜!? 護身て何したの!?」
美桜は答える代わりに化物を指差した。その頭が弾けた先には鉄球が転がっていた。
「砲丸投げ……?」
「素晴らしい攻撃だよ。君みたいな華奢な子が手の目にダメージを与えるなんてね。でも、それじゃあ手の目は殺せないよ?」
床に倒れた化物の首からゼリー状の液体が広がり、失われた頭部が一瞬で再生された。そして、黒の水溜まりからは新たに四体の手の目が這い出て来た。
「さ、どうする?」
着物の男は遊びに興じている子供の様に笑う。
「花梨‥‥本格的にまずいかもね」
「美桜、坂口さんを連れて逃げて。あの人が求めているのは私だけみたいだから」
「駄目だよ花梨! 花梨一人を行かせるなんて絶対しないから!」
「安曇さん、私もあなただけ行かせたりはしないからね」
二人共譲る気は無いようだった。だがじわりじわりと化物達は距離を詰める。
————蓮、今どこにいるの? お願いだから助けに来て……
化物達が一斉に走り出す。成す術もなく身を寄せ合う。その時、窓から一つの黒い影が飛び込んで来た。影は化物達の間を突き抜ける。動きを停めた人影がゆっくりとこちらに振り返った。
「芽稲!?」
驚くのと同時に化物達は輪切りにされ細切れになり崩れ落ちた。




