15.図書室とオカルト
「ねえ花梨、良くないってこういうのはさあ」
「美桜は別に付き合わなくても良いんだから先に帰りなよ」
「でも、何か放って置けないんだよぉ」
夕方の図書室には私達以外に誰も居ない。開け放たれた窓から午後のぬるい風が吹き込みカーテンが揺れていた。机に広げた本のページを丁寧にめくる。
「境界から異界に入り、そこから魔界へと降りる……」
「ねえ花梨、確かに蓮は妖怪だけどオカルトにのめり込むのは良くないよ。それにその本は何なの?」
「これ? 水口先生に借りたの。密書中の密書なんだって。江戸時代の神主が魔界とかに出入りした時の記録らしいんだけど」
「なにそれ? 滅茶苦茶胡散臭いじゃん!? 水口って古典の水口でしょ? あんなのただのオカルトオタクだよ」
「うん。でも色々と気になる事が書いてあるし」
「もぉ〜、花梨お願いだからさぁ〜」
ここ最近立て続けに起きた不可解な出来事。それが何を意味するのか知る手がかりとして、神話や伝承に詳しい事で有名な水口先生に声をかけた。すると渡されたのがこの本だった。
「えーと、魔界には十二の魔王が存在し、その筆頭にいるのは造物大女王。それに次ぐ存在が……」
「——やっと見つけた!」
誰も居ないと思っていた室内に突然明るい声が響いた。驚き入口の方を見ると二つの人影があった。逆光で顔が見えないが他校の制服を着ている様だ。すらりと伸びた手足を揺らし優雅に近づいて来る。
「田中……莉羽澄……?」
「あの、麗亜君ならここにはいませんけど……」
「いいの。私はあなたに用があって来たの。安曇花梨さん」
「わ、私ですか!?」
「そう。麗亜から話を聞いたの。あなた、麗亜の誘いを断ったんでしょ? 生まれて初めて断られたってあの子言っていたわ。それを聞いて是非会ってみたいと思ったの。想像した通り、あなたとても素敵ね」
莉羽澄の言っている事は意味不明だった。だがその大きな瞳でじっと見つめられると何故か頷くことしか出来なかった。
「あぁ、あなたはもう良いわよ。案内ありがとう」
莉羽澄は思い出した様に後ろに立つ若い男を振り返った。確か夏休み前に赴任したばかりの国語教師だ。男は呆けた様に突っ立っている。莉羽澄は男の顎に手を添えるとその口に自らの舌を挿し入れた。余りに突然の事に私と美桜はその場で固まってしまった。
「行きなさい」
長い口づけが終わると男はふらふらと歩き廊下に消えた。
「それでね、花梨さん。私、今度新たにブランドを立ち上げるんだけど、あなたをそのイメージモデルに起用したいの。私があなたをプロデュースするわ」
莉羽澄の瞳に吸い込まれる。身体が言う事を聞かない。気がつくとただ頷いていた。
「それじゃあ連絡先を教えて? またこちらから連絡するから」
言われるがままにスマホを取り出す。莉羽澄は登録が完了すると満足そうに微笑んだ。
「じゃあまたね花梨。あなた、きっと化けるわよ」
莉羽澄は颯爽と去って行った。
「いい匂い……」
美桜が呆けた声を出す。
「……何だったんだろう?」
「あっ! 花梨! 凄いじゃん!? 田中莉羽澄がプロデュースしてくれるって!?」
「う、うん」
余りに唐突で一瞬の出来事だった。まるで現実感が無い。だが握られたスマホには田中莉羽澄の連絡先が表示されていた。
「まあ、有名人の考える事は分からないからさ。また気が変わるかもしれないし」
「花梨は可愛いから絶対人気出るよ! 私、今から推す!」
「気が早いよ美桜」
落ち着かない気持ちのまま机に戻り読みかけの本に手を伸ばす。文字を追うが全く頭に入らなかった。仕方が無いので窓際まで行き外の空気を吸う。新校舎の四階にある図書室からは校庭が一望出来る。ボーッと眺めていると先程の若い国語教師がふらふらと校門へ向かって歩いていた。遠目に見ても何か様子がおかしい。教師は校門を出るとおぼつかない足取りでそのまま車道に飛び出した。その時、一台の大型トラックが猛スピードで突っ込んで来た。教師の体はサッカーボールの様に跳ね上がり電柱に叩きつけられた。トラックのブレーキ音が甲高く鳴り響く。
「嘘……」
校庭では異変に気がついた部活中の生徒達が校門の方へと恐る恐る集まり出した。
「ちょっと何今の音?」
美桜も横から顔を出す。その時、視界に莉羽澄が現れた。通路の真ん中まで来ると振り返りこちらを見上げた。その瞳に真っ直ぐに捕らえられる。だがそれも一瞬だった。直ぐに前に向き直った莉羽澄は優雅な足取りのまま去って行った。
「ねえ、何があったの!? なんかヤバくない!?」
校門には既に人だかりが出来ていた。教師も数人駆けつけ状況の整理にあたろうとしている。大型トラックの運転手は頭を抱え立ち尽くしていた。その混乱の中を突っ切る一団がいた。明らかに学校関係者ではないと分かるガラの悪い男が数人混じっている。
「あれ? あいつらこの前、坂口日菜子と揉めてた連中じゃない?」
美桜の言う通り、あの時に見た男女もその中にいた。校門付近は混乱に包まれていて誰もその一団に気をとめる者はいない。
「あいつら何処行くんだろ?」
「ねえ、あっちって美術室があるだけだよね?」
旧校舎の一階の奥には美術室しかない。そして坂口日菜子は確か美術部だった筈だ。
「まずいかも!」
気がつくと走り出していた。また一つ、私の世界が壊れる音が鳴り始めていた。




