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9.黒豆の目


 階段を駆け降りる。広場に近づくほど混沌に満ちた音が大きくなる。悲鳴、怒声、何かが崩れる音。そして腐った土の様な異臭。

 広場に走り出ると逃げ惑う者達が森の奥を目指し必死の形相を浮かべていた。彼等が逃げてきた方を見る。踊り台は崩れ燃えていた。その炎が巨大な黒い影を映し出す。

牛鬼(うしおに)!?」

 全長六メートルはありそうな巨体が縦横無尽に広場の中心で暴れていた。蜘蛛の様な体に牛の頭を持つ牛鬼は西日本に生息する妖怪だ。こんな場所に現れるとは考え難い。祭り会場は無惨な姿へと変わり果てていた。松明は倒れ、立ち並ぶ屋台も破壊され見る影もなかった。

「牛鬼よ、静まるのだ! ここはオマエのいるべき場所ではない!!」

 しかし、牛鬼はこちらの声に気づく様子もなかった。足元に落ちていた金属製の鳴物を拾う。牛鬼の気を引くためにカンカンと打ち鳴らす。尚も暴れる牛鬼は逃げ遅れた妖怪達の群れへと突進する。

「まずいっ!」

 鳴物を投げ捨て走る。地面に転がる木片を掴む。崩れた踊り台を足場に牛鬼の背中に飛び乗った。

「早く逃げるんだっ!」

 牛鬼の頭頂部に木片を叩きつけた。手応えが無い。牛鬼は妖怪達の目の前に迫る。揺れる背中から頭頂部に飛び移る。すかさず木片を左目に突き下ろす。牛鬼が仰け反り体が宙に放り出された。何とか地面に手をつき着地する。逃げ遅れた妖怪達が散り散りに逃げる。牛鬼が残った右目でこちらを捉えた。

「蓮っ!」

 花梨の声だった。振り向くと花梨が崩れた踊り台の横にいた。

「来るなっ! 逃げるんだ!」

 頭上が暗くなる。見上げると牛鬼が迫っていた。着地した時に足を痛めたようで直ぐに立てない。踏み潰される————


「やめてぇーーっっ!!!」


 空気がビリビリと振動した。鼓膜が機能を停止し音が消える。いったい何が?

 上を見ると牛鬼が白目を剥き、先程の体勢のまま静止していた。やがてゆっくりと傾き、硬直したまま横転した。耳が戻り周囲の音が徐々に聞こえ始める。一旦は逃げた妖怪達が再び集まり円を描いた。

「これはいったい……?」

「まずは今のうちに牛鬼を縛り上げよう」

 妖怪達は手分けをして牛鬼を捕らえ始めた。花梨を探す。崩れた踊り台の側に横たわっていた。

「花梨!」

 声を掛けるが反応が無い。慌てて呼吸と脈を確認する。気を失っているだけの様だ。安堵の息が漏れる。

「その人間のお嬢さんが、これをやったのか?」

 のっぺらぼうがこちらを覗き込んでいた。まずい、あまり目立ちたくは無い。花梨を背負い暗渠を目指す。ここは一旦帰った方が良さそうだ。祭り会場は牛鬼をこの後どうするかで揉めていた。倒壊した屋台を片付ける人々の前を通る。

「君、花梨ちゃんの封印を一部解いてしまった様だね」

「えっ?」

 突然話しかけられ振り返る。花梨が田丸と呼ぶ男だった。

「それに君、弱すぎる。それじゃあ花梨ちゃんを守れないよ。もっとしっかりしないと。花梨ちゃんに何かあったら僕が許さないからね」

 その黒豆の様な目が異様な殺気を発していた。

「それはどう言うことだ?」

「厄災の日が近づいている。気をつけたまえ。それに、そろそろ行った方が良い」

 周囲には妖怪達が集まり始めていた。皆こちらを見て何かを囁き合っている。俺は足早にその場を立ち去った。

 暗渠を来た時とは逆の道順で辿る。木々に囲まれた景色を抜けると此の世の住宅が立ち並ぶ場所に出た。真っ直ぐに花梨の家を目指す。気を失った花梨のことを何と説明すれば良いだろうか。花梨の両親とはまだちゃんと話した事が無い。

「あれ……私、どうしたんだっけ?」

 花梨が耳元で眠たげな声を出す。

「気がついた? 突然気を失ったんだよ。気分はどう?」

「うん。大丈夫。とりあえず何処かに座りたいかな」

 しばらく歩くと公園に出た。ベンチに花梨を座らせる。

「あの大きな妖怪はどうなったの?」

「ああ……何とか皆んなで取り押さえて縛り上げたよ。この後どうするかはあの場にいた妖怪達が決めると思う」

 実際は牛鬼を気絶させたのは花梨だ。だが説明がつかない事が多過ぎる。今は本当の事は言わないでおいた方が良いと思った。

「そうなんだ。蓮が無事で良かった」

「うん。なあ花梨、少ししたら帰ろう。今日はもう休んだ方が良いよ」

「そうだね……何だかごめんね」

「花梨が謝る事じゃ無いよ。花梨は何でも謝り過ぎだよ」

「確かにそうだね。ごめん」

「ほらまた!」

「ほんとだ。何でだろ?」

 二人に笑顔が戻った。

「それにさ、明日からまたオーディションに向けて頑張らないといけないしね!」

「そうだよね……そろそろ帰らないと。どれくらい気を失ってたのかな? 今、何時だろう」

 花梨はスマホを取り出し画面を覗き込む。

「あれ? メールが来てる……これ、この前のオーディションの結果だ!」

 花梨の表情が真面目なものになる。画面を見つめたまま動かない。その表情はやがて困惑したものに変わった。

「なあ花梨。この前の審査に落ちたのは俺の自業自得だからさ。別に気にして無いし、また次を頑張るつもりでいるからさ……」

「うん。二次審査には落ちたみたい」

「だよな……」

 分かっていたがやはり気落ちする。それが表情に出ない様、ぎこちない笑みを浮かべた。

「聞いて、蓮。三次審査には進めないけど、その代わり二・五次審査に是非参加して欲しいだって。今回のオーディションでデビューするグループとは別のオーディションを開催します……って書いてある。それでね、えーと……」

 花梨の表情が更に困ったものになった。

「とりあえず、三日後から合宿形式のオーディションを開催しますって————」






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