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第7話 獰猛な熊

 正午――


・・・・・・


 長谷部と上田は来た道を戻って、警察本部へ帰ってきた。

 黙ってついてきた上田だったが、長谷部のこれまでの行動の意味は考えても分からなかった。直接聞くのもなんだか解答書をせがんでいるように思えて聞けずにいたが、その気持ちもここで折れ、抱いていた疑問を口にした。


「……長谷部さん、どうしてわざわざ築丘へ行ってきたんです? 現場の資料ならこっちにたくさんありますけど」

「いやあ、まあ。ちょっと現地の空気を吸いに行っただけですよ」


 なんだかうまくはぐらかされたように思って、上田は少し横を見ながら渋い顔をした。

 二人並んで2階の廊下を歩いていく。ちょうど向こうから歩いてきた若い男が、二人の姿を見るや慌てたように駆け寄ってきた。

 男は長谷部にちょっと会釈をして、それから上田に向けずいっと踏み出す。


「おい、上田――」

「片桐? どうした?」


 片桐(かたぎり)良介(りょうすけ)――上田の同僚で、同い年の男である。精悍な顔つきで若く見えるが、歳は上田と同じで今年で30歳になる。上田とはここでもう長い付き合いだった。


「どうした、じゃないよ! 本部長が待ってる。お前どこ行ってたんだよ」

「へ? 本部長? なんで?」


 本部長――この警察本部のトップである。上田はなにか重大なヘマをやらかしただろうかと、ここ最近の自分の「心当たり」を慌てて探した。

 思い当たるものは、しいて言えばひとつだった。つい今しがた築丘まで行ってきたことである。

 上田は今朝、長谷部に事件のあらましを説明した後、おもむろに立ち上がった長谷部についていく形で築丘へ出かけた。長谷部は行き先を言わなかったし、さも当然そうに出かけたのでそのままついていったのだが、その結果上田は誰にも行き先を告げずに外に出ていた。


「あー……ごめん、行き先言うの忘れてた」

「お前なあ……」


 短髪の頭をがりがりと掻く片桐。


「とにかく、早く行け。上田と、あと……長谷部さんも」


 片桐はちらりと長谷部を見て、すぐ上田に視線を戻した。


「本部長、もう1時間くらい待ってる」

「マジで――?」

「だから早く行けっつてんだ。お前本当にどこ行ってたんだよ」


 そう言いながら片桐は、二課が使う小さな会議スペースのパーティーションを指さす。


「ほら、あそこ。とっとと行け!」


・・・・・・


 3時間ほど前、上田が長谷部に事件のあらましについて説明していた小さな会議スペース。いま、そこにはこの場のヌシのように座している男がいた。

 丸刈りの頭、座高だけ見ても他を圧する大きな体格。ぎらぎらした眼光が、やって来た長谷部と上田に向けられる。机の上には湯気の立つコーヒーカップが置かれているが、手を付けた形跡はなかった。


 その男のことは、ここの全員がよく知っている。

 須藤(すどう)彰規(あきのり)、本部長。立ち上がれば180センチに届こうかという身長と大きく武骨な身体。例えるならば獰猛な熊――ここの者たちにはそう言われている。


「おい、茶は出さんのか」


 須藤の低い声に上田はびくりとした。


「すみません、すぐいれてきます」

「あ、上田さん、いいですよ。ここは私が」


 慌てる上田を、長谷部が止める。

 上田はしかし、この「獰猛な熊」の前で年長者である長谷部に使い走りをさせるなどできなかった。


「いえ、私が行きますから。長谷部さんはここで待っていてください」


 また上田としては、この場に残って本部長と二人で重苦しい時間を過ごすことも避けたかった。


「私でないとだめなんですよ。ね、須藤さん」


 しかし馴れ馴れしく本部長の名を呼びつつ、長谷部は上田の希望を打ち砕く。


「いいから、早く持ってこい」


 そして須藤も、上田にではなく長谷部に言いつけた。


「はいはい、待っててくださいね」


 長谷部はそう言ってふらりと出て行った。

 須藤と上田、二人だけその場に残して。


・・・・・・


「どうも、お待たせ。これでいいですね」


 その声と共に戻ってきた長谷部は2リットルの緑茶のペットボトルを重そうに机の上に置いて、紙コップを3つ並べた。

 それはつい3時間ほど前に、長谷部が上田に出したぬるいとも冷たいとも言えない常温の緑茶――本部長にこれを出すのかと思った上田は止めようとしたが、長谷部はそれより早く慣れた手つきで紙コップに緑茶をなみなみと注いで須藤の前に置いた。


 須藤の前に湯気の立つコーヒーカップと白い紙コップが、不釣り合いに並ぶ。

 長谷部は残った二つの紙コップにも緑茶を注いで、上田の前と自分の前に置いた。


 それを見た須藤はひったくるように自分の紙コップを取り上げ、ぐいっとあおる。

 音を立てて机に置かれた紙コップに、もう茶は残っていなかった。


「おかわりは要りますか?」


 さらりと尋ねる長谷部。

 須藤は紙コップを長谷部の方へ押し出し、大きく息をついてから言った。


「何時間待ったと思ってる?」

「1時間くらいでしょう」


 須藤のドスの効いた声に、長谷部は事も無げに答える。

 長谷部がもう一度出した常温の緑茶を、須藤はすぐまた飲み干した。


「そうだ。1時間ここで座りっぱなしだった」

「はあ、お疲れ様です」


 須藤は空になった紙コップを長谷部に渡し、長谷部はまたなみなみと茶を注いで須藤の手に返した。


「ああ、もう疲れたよ。一課の奴ら大騒ぎだったぞ。お前がこいつを勝手に連れ出してどっか行っちまうから」

「いやあ、すみませんね。つい」


 あまり機嫌がよくなさそうな須藤に、妙に馴れ馴れしい長谷部。長谷部は誰に対してもこうなのだろうかと思いつつ、上田は自分に矛先が向かないまま話が終わることを秘かに願った。


「お前、名前は?」


 上田に矛先が向いた。


「上田和樹です」


 嫌が応にも背筋が伸びる。長谷部のように馴れ馴れしくなど到底なれない。


「よりにもよって、こいつにこの事件の話を持ち掛けたか。しかも妙にやる気を起こさせちまって。まったく」


 長谷部に相談したのはまずかっただろうか――そう思う上田をよそに、須藤は再び長谷部に話を向けた。


「で……時間からみて、行ってきたのは菜原か?」

「いえ、築丘ですよ」


 さらりと答えた長谷部に、須藤が首を傾げる。


「築丘? どうしてだ、お前がわざわざ見に行くところじゃあないだろう」

「いえいえ、見に行くべきところでしたよ、私には」


 長谷部の答えを聞いて、須藤は大きなため息をついた。


「分からんな、俺には。いつもそうだ」

「どうも恐縮です」

「そこは恐縮するところじゃねえ」


 意外に馴れ馴れしく話す須藤と長谷部。上田は何も言えずひとまず黙っていた。


「まあ、それはいい。……で、お前はいいのか? この件に関わって」


 須藤は急に声のトーンを下げる。


「ええ、まあ。私が決めたことです。その辺りのことも考えようと思って、築丘まで行ってきたんですから。今回は、まあ一応やりますよ」


 いまいち締まりのない声でそう答えた長谷部をしばらく見て、須藤はまたため息をついた。


「分かった、好きにやれ。他の連中には俺から言っておく。あまり時間をかけるなよ」

「ありがとうございます、手短に済ませますよ」


 須藤は紙コップを手に取り常温の緑茶を口に含む。長谷部も自分の紙コップから緑茶をすすった。


「で、お前まだ昼飯食ってねえだろ。今日はなんだ?」

「いつものですよ」


 長谷部の答えに、須藤は顔をしかめる。


「お前また握り飯2個か? どうせこれからまた外歩くんだろ、大丈夫か」

「十分ですよ、おにぎりふたつで」


 須藤はあきれたふうに首を振った。


「ああ、上田さん。須藤さんはね――」


 そして蚊帳の外になっていた上田に、長谷部がようやく声をかける。


「私と同い年なんですよ。家が近かったら、小学校も同じで。あの時の須藤さんはまだ小さかったから、私が兄貴分でして。この人も昔はかわいかったんですよ」


「変なことを言うな、小さかったのは早生まれだったからだ。順当に成長すればほら、俺の方が兄貴分だろうが。昼飯に握り飯ふたつしか食わん奴とは違うんだ」


 妙に饒舌な本部長。上田の思う須藤彰規とはだいぶ違って見えた。


「それじゃあお前、早く行って握り飯食え。その代わりに、外でなにか腹の足しになるもの食ってこい。帰ったら領収書を俺のところへ出しに来いよ、証拠持ってこい」

「はいはい。……ああ、面倒なことですねえ」


 須藤に手で追い払われた長谷部は、するりとその場から出て行った。


「それで――」


 須藤の前にひとり残された上田は、ぎらぎらした「いつもの本部長」視線にさらされた。


「お前には、言っておくことがある」


・・・・・・


「お前、長谷部のことはどこまで知ってる?」


 1対1で本部長と話す――上田は今朝までそんな事は思ってもみなかった。


「ええと……長谷部さんは以前、だいぶご活躍されていたと。いくつかの難事件で、誰も崩せなかったアリバイをひとりで崩したと聞いています」


 そう言ったところで、上田は今朝長谷部が指折り数えていたのを思い出す。


「……30年は前、とのことですが」


 それを聞いた須藤は、背中を少し背もたれにあずけた。パイプ椅子が、ぎっと音を立てた。


「他には?」

「いいえ、何も」


 それを聞いて、須藤は長く息を吐いた。


「なら、教えとかなきゃあならん。あいつをこの事件に関わらせる以上は。……本人には言うなよ」


 ぎらついた須藤の眼光に、上田はただこくりとうなづくだけだった。

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