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第3話 かすかな生気

「では、説明してもらいましょう。事件当日の被疑者の、『明らかに普段と異なって』いたという行動を」


 長谷部の言葉を聞いて、上田は持ってきていたタブレット端末の画面を長谷部の方へ向けた。


「まず、小林明人についての情報です。職業は――」


――――――

〇小林明人(コバヤシアキト)


・会社員、電車でしばらく西へ行った所にある大手電機メーカーの工場に勤務

・被害者とは会社内で知り合い、6年前、23歳の時に結婚。その後3年で離婚

・小林本人は現在に至るまで再婚せず、被害者はすぐ、築丘に住む別の男声と結婚

・離婚の半年後から被害者へのストーカー行為を行う

・その後警察から警告を受け、以降はストーカー行為の報告はなし

――――――


「――現在、勾留中です」


 上田が言葉を切って見ると、長谷部はなんだか難しそうな顔をしてタブレットの画面を見ていた。

 事件について考えているのか、それとも慣れないタブレットを前にして難しく思っているのか――上田は後者が正解な気がして、紙の資料を持って来ればよかったかと思った。


「小林についての情報は、それくらいですか?」

「はい。……そして、普段と異なっていた行動についてですが」


 上田は一旦タブレットを手元に寄せた。


「小林は普段、自家用車で通勤しています。ところが、犯行日である4月1日の朝は――」


 そう言って、画像を表示したタブレットを長谷部に見せる。


「うわ、ひどいですね」


 タブレットの画面一杯に、白いミニバンが映っている。

 そのきれいな車体を穢すように、黒いスプレーかなにかが乱雑に吹きつけられていた。


「夜間のうちにこのように落書きされたようで、小林は警察を呼び、また被害届を提出しています。そしてこの状態では車を出せないということで、この日はタクシーに乗って築丘駅まで行き、そこから電車に乗って出勤しています」


 長谷部は顎に手を当てて言った。


「タクシーで築丘駅……小林の自宅はどこに?」

梅ノ台(うめのだい)です。築丘が最寄り駅で、片道5キロほど。アパート住まいで、被害者と結婚した際に借りた所に一人で住んでいます」


 梅ノ台とは、この街の郊外の住宅地である。築丘の北にあり、かつて山だった所を大規模に宅地化した場所だ。しかし駅からやや遠いのが災いしてか、今でもあちこちに空き地が目立っている。


 長谷部はうなづきながら尋ねた。


「それで、怪しいと思う点は何ですか」

「車への落書き事件です。普通ならただのいたずらでしょうが、たまたま小林が関わった殺人事件と同じ日に起きているのは、さすがに不自然かと思います」


 長谷部は苦笑する。


「まあ、まだ小林が関わったと決まってはいませんけどね」


 そう言ってから、長谷部はその表情を消した。


「……ただ、そう仮定するのなら確かにその落書き事件は怪しいですね。自家用車を使えない理由を作るために、わざとスプレーをかけたと思えなくもない。……その車のドライブレコーダーの記録はどうなんですか?」


 ドライブレコーダーの中には、駐車時録画機能があるものもある。だから小林の車にそれがついていれば落書き犯が分かる。あるいは当日だけ手動で切っていたなら、それはそれで追及の余地がある。


 しかし――


「小林の車のドライブレコーダーに、駐車時録画機能はありませんでした。周辺の他の家の車も同様です」

「うーん、ダメですか」


 そう言いつつも、長谷部は特に落胆などはしていなかった。もしアリバイ作りをするような人物であれば、こんな初歩的なところを押さえていないわけがない。そう思ってドライブレコーダーには初めから期待をかけてはいなかった。


「それではつまり、小林は殺人事件の当日にたまたま別の落書き事件に遭って、普段の自動車通勤をこの日だけ電車通勤に変えたということですね」

「その通りです」


 短く答えた上田を見て、長谷部はさらに先を促した。

 上田は再びタブレットを手元に戻しながら話を進める。


「結局、小林は午前中は有休を使い、午後から出勤しています。その日は定時で退勤し、同僚を誘って近くの居酒屋に立ち寄りました。この時、車に落書きされたことをぼやいていたようです」


「居酒屋――すぐには帰らなかったのですね。……まあ電車で帰るわけですから、いつもと違って飲酒しても問題ありませんからね」

「しかしそこまで長居はせず、19時半を過ぎた頃に先に帰ったそうです」


 長谷部はそう言った上田を見て眉を寄せた。


「犯行のための時間調整、と思っているわけですか」

「……はい」


 ためらいがちに答えた上田を見て、しばらく何か考えた長谷部は、深くため息をついた。


「まあ……今回は小林が犯人と仮定しての話ですからね。その認識で正しいことにしましょう」


 長谷部としては、あまり気が進まない考え方ではあったが――初めからそういう仮定で考えることになっているのだからと、思い直した。


「そしてその後は、電車で築丘駅へ――行くはずがありませんね」


 そう言う長谷部に、うなづく上田。


「はい。犯行現場である『築丘子安神社』は、築丘駅のすぐ南にあります。もし小林が築丘駅へ向かったなら――居酒屋から駅までの歩きと電車の待ち時間、それに乗車時間を加味して、築丘駅に着くのは20時頃。被害者の死亡推定時刻はその2時間後の22時頃。2時間だけ、潜伏でもすれば犯行は可能です。ですから――」


「そうですね、もしそうなら君が私に『御用聞き』に来ることはなかった。小林のアリバイはなし、犯行現場にいたと考えられる。それなら、この話は簡単に片付くはずですからね」


 そう言う長谷部の顔を見ていた上田には――なんだか虚ろなその目に、かすかに生気が見えた気がした。


「つまり電車に乗らなかったか、あるいは他の駅で降りて築丘に寄らずに――」


 上田は長谷部が指で机をトントンと叩き始めたのに気付いた。


「はい、他の駅で降りています。築丘のひとつ手前、菜原(なばら)駅です」


「菜原――」

「はい、菜原駅で――」

「菜原、菜原……それから築丘、か」


 長谷部の言葉に上田は返事をしかかったが、それは長谷部の独り言だったらしかった。

 静かになった空間に、長谷部が指で机を叩く音が延々と単調なリズムを刻んでいた。

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