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第19話 予定の通り

 安藤麻衣は、その怪しい封書を机の引き出しに隠した。


 うざったく付きまとった、あの明人からの封書である。夫に知らせて、警察に届け出ようと初めは思った。

 しかし興味本位でそれを読み進めたがために、麻衣は終末点へ向け歩み始めることとなった。


 麻衣はかつて小林明人という男に飽きて離婚した。

 彼女はその1年ほど前から、ちょっとした財産を作ろうと明人に高価な服やバッグなどを買わせていた。

 それは明人を不幸にしたが、同時に麻衣自身をも不幸にしていた。


 麻衣はその頃の金線感覚が抜けなくなり、それが浪費癖となって自身の財産をむしり続けていた。


 麻衣には、金がなかった。

 そしてまた、金に対しての感覚が麻痺していた。


 「慰謝料として現金500万円を手渡ししたい」という申し出は常識的に考えて不自然なものである。昔の麻衣ならその話を真に受けることはなかった。

 しかし、浪費癖に散財を続け、現在の夫への金の無心も繰り返してしまった今、麻衣は支払うだけでなく入手することにも無頓着すぎた。


 彼女は封書の内容を信じた。


・・・・・・


「本当にやるぞ」

「はい。……お願いします」


 3月31日、23時。

 閑静な梅ノ台は闇の中に静まり返っていた。


 1軒の家の駐車場に停められた白いミニバンを前に、二人の男が並んで立っていた。

 片方の男の手には、塗料が入ったスプレー缶。


 男は少しためらったが、やがてその噴射口を車に向けた。

 その車は、明人が麻衣と二人で……いつかは生まれると思っていた子どもと一緒に乗ることを考えて買った車だった。


 スプレー缶を持った青木は、その車に黒い塗料を吹き付けていった。


・・・・・・


 4月1日、7時半。

 玄関を出た明人は無惨に黒いスプレーをかけられた車を見つけた。


 明人は警察に通報し、被害届を提出した。


 無論、明人は全て分かっている。

 やったのは青木、そしてその行為を指示したのは明人自身だ。


 警察の調べに付き合い被害の届け出をしたために時間を食い、明人は午前中は有休を使い午後から出社することになった。

 のたうつように塗料をかけられた車は、今日は出せない。仕方がない。


 そういことにして明人はタクシーで築丘駅に向かい、久々に電車に乗って会社へ向かった。


 こうして事態は、当初の予定通りに進んだ。


・・・・・・


 明人は残業があることも想定して計画を立てていたが、仕事は定時で終わった。


 その場合には時間をつぶすため会社近くの居酒屋で過ごすことに決めていたが、同僚たちを誘ってみると、都合よく3人ついてきた。


 飯を食いながら同僚たちと酒を飲む……

 と見せかけて、明人はゆっくり時間をかけてビール1杯を飲むだけで済ませた。


 これから大変なことをするのに、酔っぱらって行くわけにはいかない。


 一人で居酒屋に入って、ほとんど酒を飲まずに居座るのはさすがに不自然だろうと思っていた。だからといって、他に滞在できる場所はなかった。だから、違和感なく時間を調整するのに3人の同僚は役立ってくれた。


 3人とも明人との会話を楽しみ、一緒に酒を飲み飯を食うのを楽しんだ。

 彼らは知らぬうちに、明人が禁断の扉を開けるのを手伝った。


 明人は酒よりも、うまい飯を噛みしめていた。


 こんな飯を食うのは、これで最後になるかもしれない……と。


・・・・・・


 19時半、酔っぱらった3人がもう少しいいだろうと引き止めるのを断って、明人は店を出た。

 予定より少し遅れ気味になったが、19時50分発の砂本行き普通列車に間に合った。


 乗車してすぐ、手すりにつかまりながらスマートフォンを取り出しメッセージアプリを開いた。

 予定通り、青木が迎えに来るよう仕向ける。


【今朝、俺犯罪に遭ったんですよ】


 すぐ既読が付き返信が来た。


【どうした? 大丈夫?】

【俺は大丈夫なんですけど、車が。スプレーか何かをかけられたみたいで】


 朝撮っておいた画像を送信した。


【マジかよ! イタズラ? お前の家だけ?】


 当然、青木は分かっていて白々しく返信を書いている。


【俺ん家だけです。被害届出しました】


 そう送ってから、明人は付け足す。


【これのせいで今日車出せなかったんですよ。今電車乗ってて、築丘駅からタクシーです】


 そしてすぐ、予定通りの返信が来た。


【タクシー!? 金かかるだろ。今すぐ車出せるから、俺が送ってやる】

【いいんですか!?】

【いいよ! 菜原の方が近い。電車降りれるか?】


 当然、このやりとりは菜原駅に着くまでに終わるよう考えてある。


【降りれます】

【OK、北口で待ってろ】


 これで予定通り、青木はドライブレコーダーのついていない軽トラックを運転し菜原駅へ向かうこととなった。


・・・・・・


 20時07分、砂本行き普通列車が菜原駅に到着。

 小林は改札機にICカードをタッチして出ると、まっすぐ北口へ向かった。


 20時32分、青木が運転する軽トラックが菜原駅北口ロータリーに到着。


「悪りぃ、途中の信号渋滞してて遅くなった」

「大丈夫です、間に合いますよ」


 明人が助手席に乗り込むと、青木はすぐ車を出した。


 菜原駅の防犯カメラが、そのテールランプが道の先へ消えていくのを捉えていた。


・・・・・・


「こんなとこでいいか?」

「大丈夫です。駅から視線は通らないですし、ここなら――」


 駅前の小さな住宅街を北に抜けると、耕作放棄地が広がる暗がりに出た。

 背の高い草や木が生い茂り、周囲からの視線は遮られている。


 替えの服は青木が車に積んできている。車内は狭いので外に出て、明人は車体に隠れながら着替えた。

 上下とも紺のジャージ。中には白いポロシャツとベージュのズボンをあらかじめ着てある。ジャージを脱ぐだけで服装は変わる。

 白いキャップをかぶり、黒のボストンバッグを持った。顔を見せぬよう、マスクをつける。


 明人は今まで着ていた服を車内の青木に渡して、言った。


「じゃあ、行ってきます」

「ああ。帰って来いよ」


 青木の言葉に小さくうなづいて、明人は足早にその場を離れた。

 明人の姿が闇の中へ消えるのを、青木はバックミラー越しに見つめた。


「……絶対に帰って来いよ」

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