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第1話 御用聞きの刑事

「あの……長谷部(はせべ)、さん? ちょっとよろしいですか?」


 その声に、長谷部と呼ばれた初老の男は、文字入力ができなくなったパソコンの画面から目を離した。


「お忙しかったでしょうか……?」

「いえ、ちょうど固まっていたところです」


 そう言って声の主へ振り向いた男の頭には白髪が幾筋も走り、面長の顔にはしわが深く刻まれ、だいぶ老け込んで見える。


「それで、ご用件は?」


 男がそう聞くと、相手はぱっと背筋を伸ばした。


「はい、実はちょっと、お尋ねしたいことがありまして――あ、すみません、私は捜査一課の上田(うえだ)と申します」


 慌てて付け足された自己紹介。

 そして彼は、眉を寄せながらもうひとつ付け足した。


「……『御用聞きの上田』です、すみません」


 そう名乗った中肉中背の若い男の顔には、まだだいぶハリがある。いい顔をしているのに、やたらとかしこまった態度が似合わない。

 一方の初老の男は、少し呆けたような顔で言った。


「うん? 『御用聞き』って……なに?」

「はい?」


 話がかみ合わず疑問形の言葉が交わされる。一方は「知らなくて当然」のつもり、もう一方は「知っていて当然」のつもりでいる。

 それから若い男が、先に口を開いた。


「あの、捜査一課の上田和樹(うえだかずき)です。いつも『御用聞きの上田』と呼ばれてまして……」


 頭をかきながらそう言った、上田。


「あーなるほど、ハイハイ。わかりました」


 ようやく目の焦点が合ったかのように、初老の男の顔にいくらか生気が現れた。


「私は見ての通り、捜査二課の長谷部英行(はせべひでゆき)です。ぼちぼち仕事はしてますが、周りのことはあんまり興味がないもので。二課(うち)はともかく、一課の人のことは全然知らないんです」


 そう言ってあまり力のない笑いをみせる、長谷部。今年で55歳、ずっとここの隅に居座っている。

 ()()とはすなわち、県警察本部捜査二課。


「で、『御用聞きの上田』ってなんです?」


・・・・・・


 上田は苦笑いしながら、そのあだ名の意味を説明した。


 何という事はない。この上田という男、なにか分からない事があると誰かに聞きに行くのである。それも頻繁に、期待する答えが得られなければ次から次へと。

 それで『御用聞きの上田』である。若いとはいってももうすぐ30歳、まるで新人のように分からないことを聞いて回る様は揶揄の対象となりはじめていた。


 多少は笑われると思って頭をかく上田だったが、長谷部は表情を変えずに問うた。


「それで――その『御用聞き』さんが、私に何を聞きに? あなたは捜査一課でしょう、二課とはやることがまるで違う。二課の私があなたに、なにか有用な話ができるとは思えませんが」


 長谷部の言葉に、上田は頭をかいていた手を止めた。


「長谷部さんは以前、だいぶご活躍されていたと聞きましたので。いくつかの難事件で、誰も崩せなかったアリバイをひとりで崩した――とか。それで、今回ちょっとお力を貸していただきたく思いまして」


 それを聞いた長谷部は少し眉を寄せて、それからどこを見ているか分からない目を空中へ向けた。

 左手の指が、ひとつ、ふたつ、みっつ――折り曲げられる。


「上田さん、それはもう30年くらい前の話でしょう。『以前』と言うにはだいぶ時間が経ってますよ」


 そう言って長谷部はまた上田に視線を向けたが、上田はこの老け込んだ男の目が本当に自分を見ているのかよく分からないように思えた。

 しかしひとまず、長谷部がこの話を聞くつもりはないようだということは分かった。


「……はい。お手間を取らせてしまい申し訳ありませんでした。失礼します」


 そう言ってきびすを返し歩み出した上田。

 いつものことだ、気にはしない――そう思って。


「ちょっと、待ってください」


 その上田の背中に声がかかった。

 振り向くと、長谷部はまだ座ったまま上田の顔を見ていた。


「話くらいは、聞きますよ。なにせ一課のあなたが、部署も違って大した手柄もない私に『御用聞き』に来たのですから」


 長谷部の眉間のしわが、少しだけ緩む。


「もう、聞く相手がいないんでしょう?」

「……はい。実のところは」


 おずおずと答えた上田の前に、長谷部がゆらりと立ち上がる。背が低いのに細すぎる身体、ひょろりとした立ち姿。少し瘦せ気味の上田ががっしりした体格に見えるくらい、長谷部の身体は細かった。


「では、上田さん」


 また険しい顔をして、長谷部は言った。


「あなたは今から私の時間を取る。ですからあなたも、私のために時間を提供してください」

「――? どういうことです?」


 上田がそう聞くと、長谷部は机の上のモニターを手で示した。


「これを直してください」

「……」


 ……長谷部の要求はモニターか、あるいはパソコン本体か。いずれにせよ、上田にそんな物の知識はなかった。

 無理難題を吹っかけて断らせるだけのつもりか……と、上田はそう思ったが――


「さっきから文字入力ができないんです」

「はい?」


 意外に情けない言葉に、思わず聞き返した。


「これのせいで私の時間がどんどん取られていく――ですから、これを直してくれたら私もあなたに時間を提供します。どうでしょう?」


 上田は内心、戸惑った。持ちかける相談の内容とそれに対する代償が、釣り合っていない。


 そう思いはしたが――


「はい、それでお願いします」


 上田はそう言って、文字入力の問題を10秒で直した。

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